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世界終了

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 しかし、庇護するということがすなわち愛であるといえるだろうか。
 気がつくと、おれはとりとめのない思考を口に出していた。伊勢崎は黙ってそれを聞いていたが、やがてしずかにいった。
「ぼくは」
 喋ると傷が痛むらしい。伊勢崎はわずかに顔を歪めた。
「さっき、ぼくはきみたちを庇ったけど、本当は、佐古がどうなろうと、気にならなかった。ぼくは、きみさえ無事なら、それでよかった」
 意味がわからなかった。首を傾けて伊勢崎を見た。伊勢崎は焦点のあわない目を空中に向けて、大きく息をついた。
「きみはぼくのことなんかただの同級生としか見ていなかったかもしれないけど、ぼくはずっときみを見ていたんだよ。だれかを護りたいと思うことが、そのひとのことを好きだということなら、ぼくだって……」
 想像もしていなかった伊勢崎の告白に、おれは狼狽した。なんと答えていいのかわからなかった。後ずさりかけているおれに微笑を向けて、伊勢崎は首を振った。唐突に話題を変えた。
「こんなに歩いたのに、まだほかのだれにも会えていない。この悲劇的な状態は、東京だけなのか。それともこの国全体がそうなのか。もしかすると、世界全部が、終わってしまったのかも」
「つまり……」
 痰が喉に絡んで、咳き込んだ。ひどく喉が渇いていた。
「つまり、おれたち以外に生き残っている奴はいないかもしれないってことか」
「考えたくはないけどね」
 あくまでも冷静に伊勢崎はいう。全身の重力が増した気がした。
「あえて念を押すまでもないと思うけど」
 ぎこちなく言葉を切って、伊勢崎も咳をした。おれのものとはあきらかに異なる種類の咳だった。
「ぼくのことは気にしなくていいから、佐古を護ってやってくれ」
「おまえを見捨てるわけにはいかねえよ」
「そうじゃないんだ。考えてもみてくれ。もし、生き残っている人間がぼくたちだけだったとしたら。ぼくたちが最後の人間だったとしたら」
 おれの言葉を遮って、伊勢崎がいう。怪我を負っているとは思えないほど、強い口調だった。
「さっきもいったように、ぼくは佐古のことなんかどうでもいい。でも彼女は女だ」
「勘弁してくれよ。いくらなんでも、それはちょっと大袈裟すぎるぜ」
「可能性と確率の話だよ。人類のために必要なのはイヴで、アダムはふたりもいらない」
「やめろって」
 真剣な表情の伊勢崎を見て、おれは笑った。
「いくらなんでも、世界中がこんなふうになっているはずがないだろうが。きっと今頃、ウィル・スミスがステルスに乗って宇宙人と闘ってくれてるさ」
「楽観したい気持ちはわかるし、それでいい」
 伊勢崎ははじめて声を荒げた。震える手でおれの腕をつかんだ。
「ただ、約束してくれ。ぼくじゃなく、彼女を護るって。愛してるとかいないとかは措いておいて、なにかあったときのために、そうしてほしいんだ」
「そんな馬鹿げた約束はできない」
「人類の未来とただの同級生とを天秤にかけることのほうが、馬鹿げているとは思わないのか」
 腕をつかむ伊勢崎の手を見下ろした。運動とは縁のない貧弱な手には、おれなど到底敵わないだろう強さがあった。この異常な事態を突きつけられてもなお、理性的でいられる。一見平凡でこれといった美点の見当たらない男の隠された強靭な心を目の当たりにして、おれはなんともいえない劣等感をおぼえた。
 おれが口を開こうとするよりも先に、声が響いた。金属音に似た甲高い叫び声。真理亜のものにちがいなかった。おれは弾かれたように立ち上がった。
 真理亜の名前を呼びながら、彼女が向かったほうに駆け出す。すこしも行かないうちに、足が止まった。真理亜を見つけたわけではなかった。目の前に広がったのはたしかに見覚えのある景色だったが、容易に信じることはできなかった。
 佐古の名が刻まれた門の間から、真理亜が夢遊病者のような足どりで出てきた。
「真理亜!」
 ふらついて倒れそうになる真理亜を、慌てて抱きとめる。
「あたしの家……あたしの家だよね。そうだよね」
 おれの胸に縋りつきながら、真理亜が泣き叫ぶ。
「どうしてここにいるの。大学から逆方向に歩いてきたはずよ。なのに、どうしてここにたどり着くの!」
「落ち着け、真理亜」
「ここはわたしたちの知ってる世界じゃない。わたしたち、なにかの力でここに連れてこられたのよ。そうとしか考えられない!」
「無茶苦茶をいうなよ。そんな馬鹿げた話、あるわけないだろう」
「じゃ、どうして、わたしたち、みんな記憶がないの?」
「それは……」
 いいかけたところで、おれは真理亜がなにかを抱えているのに気づいた。煤で黒ずみ、ところどころ歪んだ小ぶりのケース。
「それはなんだ。どこから持ってきた」
「触らないで!」
 おれの胸を突いて、真理亜が離れる。銀色のケースをしっかりと抱いて、敵意を剥き出しにした目でこちらを見る。
「わかった。とにかく戻ろう。伊勢崎が心配だ」
「嫌!」
 伊勢崎の名を出したとたん、真理亜は異常に取り乱した。理解できない言葉を叫びながら、その場にうずくまってしまう。
「嫌よ。あのひとは信用できない!」
「伊勢崎だって、おれたちとおなじ被害者なんだぞ」
「ちがう。あのひとはちがうわ」
「おまえがあいつを気に入らないのは勝手だけど、ほかに仲間はいないんだ」
「あのひとが仲間だとでもいうの?」
 大きな目を見開いて、真理亜は笑った。さもおかしくてしかたがないというような派手な笑いだった。半壊した屋敷の前で、その笑い声は異質だった。思わず胴震いしながら、おれはぎこちなく笑いを返した。
「なにがそんなにおかしい」
「そりゃおかしいわよ。あんた、なにもわかってない!」
 それだけいうのにも苦労するほど、真理亜は烈しく笑いつづける。髪を振り乱し、唇の端に唾の泡をこびりつかせ、狂態を晒していた。
 はじめて見る真理亜の異常な姿に、おれは完全に萎縮してしまっていた。あとずさると、背中がなにかにぶつかった。ブランコの細長い鉄材を支えにして、伊勢崎が立っていた。
「どうした。なにがあったんだ。佐古……」
「こないで!」
 伊勢崎が近づこうとすると、真理亜は叫び声を上げて立ち上がった。ケースを開け、取り出したものは、小型の拳銃だった。
「おまえ、それ……」
「こっちにこないで。撃つわよ!」
「落ち着け。それをどうしたんだ。どこで見つけた?」
「そこの茂みに隠してあったのよ」
 真理亜の手からケースが落ち、中身が地面に散らばった。膨大な数の紙切れのうちの一枚を手に取る。地図のような立体的な図面に混じって、数字や文字が書かれていた。難解な数式の意味はさっぱりわからなかったが、図面の中心が大学になっていて、街の平面図が記されていることはすぐに理解できた。
「伊勢崎くん、あなた、その茂みのあたりから出てきたよね。これはあなたのものなんでしょう」
 伊勢崎のほうを見る。彼の顔からはこれまでの冷静沈着な表情が消え、戸惑いの色が濃くなっていた。
「ぼくはきみたちとおなじように大学で目覚めて、ここまで歩いてきたんだ。こんなもの、見たこともないよ」
作品名:世界終了 作家名:新尾林月