倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」17/松山、高松、高知
さて、翌日の朝はホテルで朝食。ホテルの朝食と言えば自由に食べるバイキングが普通ですが、コロナ禍の時期と言うことでホテル側がお客さん各人に1セットの食事を準備。私にとっては絶対量が多く、少し食べ残しが出てしまって何となく心苦しい気分でした。
9時前にホテルを出発、ホテルを出てクスノキが立派な大通りを駅とは反対方向へ10分ほど。市街地図では中心街から少し外れて市役所と県庁の建物がほぼ隣接していたので、その周辺を見てから中心街へ行くことにしました。
大通りの主な交差点には地下道が設置され、地下に入ると直径30mほどの広い円形スペースがあり、何となく楽しい感じがします。歩行者の横断など通行に気を配っている様子が伺えます。
中央公園の交差点へ差し掛かると、13階建ての高松市役所が目の前にありました。
その角を左折して200mほどで、これも背が高い(20数階建て)香川県庁が見えます。
何だか無理に高い建物にしているような県庁の横を通り過ぎて、約1kmで高松市中心商店街のアーケード方向へ。
朝の10時頃なのに、8月初旬の陽射しで早くも汗が流れてきます。「今日はあまり無理をしない方が良いかな…」と思いながら、まだ人があまり歩いていないアーケードで早くも一休みです。
そしてそのままアーケードを抜けると、高松市街を縫って走る「ことでん」のターミナル駅・瓦町駅。そこは10階建てほどの建物でショッピングモールにもなっており、市街地の真ん中にあります。路面電車が無い分、「ことでん」の電車が市民の足としての役割を果たしているようです。
香川県なので讃岐電鉄でも良さそうですが、金刀比羅宮(こんぴらさん)の名前が有名なので「ことでん(琴電)」なのでしょうか。ちなみに「ことひらぐう」とPCに入力すると「金刀比羅宮」と出て来ます。「琴平宮」ではないのですね。
何故なのか調べないまま、ことでん・瓦町駅から高松港方面に2駅目、終点の高松築港駅まで乗ってみました。
この周辺は高松駅と高松港が隣接しており、真新しい建物が並んだ道路も広く近代的なイメージのエリアです。
しかし、前日に降り立った駅前でも感じましたが、都会的な街の様子と人出がかみ合っていません。シンボルタワーの中で休憩した際にも、こんなまばらな人数では活気を感じない…と思わせるほどでした。
瀬戸内海に架かる3本の大橋の一つ、瀬戸大橋が出来る前の高松港は「宇高連絡船(宇野⇔高松)」で賑わっていたはずです。瀬戸大橋が開通した頃は通行料も高く、その頃はまだフェリーの利用も多かったらしいのです。
しかしさらに2本の大橋が完成してからは通行料も下がり、乗船時間が長いフェリーより大橋を通行する車が増加したのは仕方ないと言えます。
それでも四国の玄関口を自負する高松市は、港周辺を整備することで少し背伸びして見栄を張った感は否めません。私の偏見では、高松港と高松駅周辺を「見かけの良い近代的エリアとして整備した」のではないか…と感じました。
すぐ横には高松城址の庭園などもあり、一種独特の雰囲気を持つ整った街並みであるのは間違いありませんが、やはりその周辺の人の少なさが気になりました。
さてさて朝のホテルの食事が多すぎたこともあって空腹には至らず、せっかくの讃岐うどんを食べる機会を逸してしまいました。まあ、前日に福岡空港で「讃岐うどん」の看板がかかるお店を利用したので、本場ではスルーしても惜しくはありませんでしたが。
高松駅前のバスターミナルから高知市行き高速バス(とさでん・黒潮エクスプレス)の出発時間が11時40分。バスに乗る前に、高松駅前の30階建てのシンボルタワーの展望台にのぼり、市内を見渡すことは忘れませんでした。
初めて訪れた高松市は、香川県としての「うどん」「金刀毘羅さん」も良いですが、私の中には駅周辺の近代的建物のイメージが残ります。
旧来のアーケード商店街もあったのですが、四国の中でも「どことなくトレンディーな街」とのイメージを持ったのは間違いありません。
◆高知市
高知市までは高松市から高速バスで約2時間、やはり同じようにこの時も定員35人くらいのバスに6?7人の乗客で、何だか気の毒な気持ちになります。
既に政府主導の「Go to トラベル」がスタートしていたものの、まだ1週間くらいしか経っていない時期。従ってまだまだ人の流れが少なく、旅行者の増加を期待することを望む頃でした。
そんな時期に高知市に入り、バスは高知駅の裏側(北口)に13:40頃に到着。駅の外観が何だか木造のようなイメージでどことなく黒っぽく、意識して江戸?幕末時代を彷彿とさせるようなデザインにしたように感じました。
高知市で一つ確認したかったのが「はりまや橋」の姿、日本で一番ガッカリする名所として有名で一度は見ておくに越したことは無い。やはり「はりまや橋」は高知観光の目玉の1つと言えそうです。(二番目は札幌時計台らしい。)
さて、高知駅の正面に出てみると、何とも広い駅前のスペースです。それは大分駅前で感じた広さに匹敵しました。都会地の駅前は広いのは当然ですが、中堅都市の駅前の広いのも気持ちが良いものです。
大きな都市の駅前とは違い、高知駅前はゴチャゴチャしていないのがイメージを良くしたポイントだったかも知れません。一般的に市内を走る道路の幅と駅前広場の広さは、その街の文化度・街づくりの計画性の高さに比例すると思います。
高知駅前の広場はゆったりした市民性を感じさせ、広い駅前の先を横切る片側3車線の道路は車の通行量もそれほど多くはなく、気のせいか割とゆったりした時間を感じました。
駅の出口正面から見て右側、70?80mほど先の駅前通りに面した場所に3人の銅像が立っています。駅から見たのは後姿でしたが、土佐なので恐らく坂本龍馬・山内容堂(豊信)・板垣退助の3人ではないかと勝手に思いました。
ただ、銅像が立っている駅広場の逆サイドから街の中心に向かったので、街歩きから戻って来た時に銅像の3人を確認することにしました。
人口は約33万人ながら路面電車が走っている高知の街は、四国の太平洋側の中心都市として存在感は十分です。
そして高知市と言えば「日曜市」がつとに有名です。
私が訪れたのもたまたま日曜日でしたが、日曜市は後回しにして、まずは駅前から大通りを直進して「はりまや橋」に向かいました。
途中、大通りから100mほど入った街路樹が目立つ道路に、日曜市かな…と思わせる多数のテント張りの露店が見えました。「多分、あそこが日曜市の会場やろね」と思いながらも、取りあえず通過です。
そこから歩いて「帯屋町」と言うアーケード街の前を通り、10分ほどで「はりまや橋」界隈に着きました。途中、歩道にはアンパンマンのモニュメントがあったので、やなせたかしさんの出身地なのが分かります。
市電が交錯する広い交差点(はりまや交差点)付近が、恐らく高知市の中心かなと思わせました。その交差点の手前に幅5?6mほどの小川があり、長さが10mもないような赤い太鼓橋、「そうか、これがはりまや橋か。」
作品名:倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」17/松山、高松、高知 作家名:上野忠司