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倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」17/松山、高松、高知

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駅前から続く大通りをはさんだ反対側の小さな河畔スペースに「ペギー葉山・記念植樹」の標柱が立っています。何と言っても「南国土佐を後にして」の大ヒット曲がはりまや橋を有名にしたのです。
 
市街地図ではその付近から高知城址に向かう通りがあり、そちらを目指して歩くと10分ほどで高知城のお濠周辺に着きました。
付近には県庁や市役所のほか、高知放送・高知新報などの報道機関があります。公園なども整備されていて、それほど広くはありませんが落ち着いた雰囲気で一休み出来ました。
 
そこから裏道を高知駅方面に歩いて行くと、「日曜市」が開催されている通りに出ました。しかし、着いた時はお店をたたむ時間だったのか、ほとんどの露店が片づけられて人影が消えつつありました。
 
日曜市の会場に差し掛かった時刻が15時を30分くらい過ぎた頃。先にこっちに寄っていれば賑わいがある日曜市を見ることが出来たかも知れず、やや残念ではありました。
 
さて高知駅まで戻る道は大通りを通ることなく、少しはずれた道路を歩きましたが、こちらはシャッター通りです。人口33万人の高知市といえども、全国に共通する商店街の寂しさがありました。
 
そんなことを感じながらも20分ほどで高知駅に戻って来たので、駅前に立っているあの3人の銅像は誰なのか確認することに。
その3人は、坂本龍馬・武市半平太・中岡慎太郎でした。
 
なるほど、高知市民としては元々の土佐藩士が心の中に根ざしていることを表していると思わせる3人です。言わば「土佐勤王党」ですね。
あの山内容堂や後藤象二郎などは明治維新では良い仕事をしていても、「憎まれ役」として存在して、銅像なんか建てるもんか…と思われているのかも知れません。
 
ところで、「銅像」と言うのは当然ながら銅で作るから銅像です。説明板には「ウレタン製」との説明があり、ネットで確認すると「発泡スチロール+ウレタンで作製」とありました。
 
何だか急に軽いイメージを受けましたが、しっかり重量感があり、説明板を見逃していたらどう見ても銅像です。まあ、素材はどうであれ土佐藩の志士の像には変わりはなく、むしろ近代風と思い直すのも悪くはありません。
 
ウレタン製銅像を通り過ぎると駅前の広場の中に「高知銘品館」という、駅舎同様にこちらもほとんど外観が黒で統一された広い建物があり、観光案内所もあります。その窓口で20歳代後半の女性に「高知のお土産は何が人気でしょうか?」と尋ねてみました。
 
「『かんざし』なんかがよく出ているようです。」と女性からの返事。「いや、かんざしではなくお菓子が良いのですが…」いくらなんでも「かんざし」はお土産に向かんでしょう。
 
但しそれは髪に付けるかんざしではなく、お菓子の名前でした。あらぁ、それは知らなかった。半分恥をかきながらも、高知空港で手に入れることにしました。
 
高知駅バスターミナルから約40分で着いた高知の空港は「高知龍馬空港」、名称がいかにも土佐・高知を表しています。バスを降りると空港ビルの端っこに銅像が立っているのが見えたので、坂本龍馬の銅像やろ…と普通は思いますね。
 
そそくさと見に行ってみると、何と戦後の日本を再興に導いた宰相・吉田茂の銅像です。トレードマークのステッキを持っていました。

何故高知の空港に吉田茂の銅像が…、早速ネットで調べてみると吉田茂は「東京神田駿河台出生」とあります。その実、どうやら父親が今の高知県宿毛市出身で、戦後復興の立役者が高知県ゆかりの人物として県民の誇りになっているらしいのです。
 
それは、美智子上皇后様のお母様が佐賀県出身で、美智子様は佐賀県人ゆかりであると誇りに思うのとどこか似ていますね。
いやいや皇室と比べたらいかんやろ…と思わんでもないですが、ちょっと思いつくところではあります。
 
初めて訪れた高知市ですが、どうしても「旧土佐藩」の感覚から抜け出せません。
薩摩藩の鹿児島市も似たような感じでしたが、高知市はより強く明治維新の頃のイメージが私には刷り込まれているのでしょう。
 
実際に行ってみると、それほど古くもないが新しくもない、街としての形は人口に即した普通の街だったと言えます。それでも高知県の人口の半分近い高知市は、四国の中でも瀬戸内海側と一線を画した土佐の中心として存在します。
 
江戸時代以前も、その後の明治時代の頃の交通手段を考えても、四国山脈を越えての往来はそんなに簡単ではなかったでしょう。
山陰地方のように関西から九州地域への通過道という訳でもないのに四国の南側での明治維新の立役者、なかなか根性あるエリアです。

さて、お土産の「かんざし」を少しだけ購入して、高知龍馬空港を予定通り19:25に離陸した飛行機は約45分で福岡空港へ。
福岡空港からは待ち合わせ時間もほとんどなく佐賀行きの高速バスに乗れました。
 
飛行機であれバスであれ、交通機関の時間が正確だと旅の流れもスムーズです。日本の時間遵守感覚は素晴らしい。