倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」17/松山、高松、高知
その途中に「大街道」というアーケード商店街があり、5分ほど立ち寄りました。まだ朝10時過ぎだったのでそれほど人出はなかったものの、松山市の中心になる商店街なのが分かります。
大街道のアーケードを途中で引き返し、大通りに戻る頃から少し汗ばんできました。その日は早起きだったにも拘らず、見ず知らずの街を歩いているためか眠気もなく足取りは軽い。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」で有名な秋山兄弟生誕地という案内板を横目に、大通りから少し外れた道路を愛媛大学方面へ。松山城へのロープウエイ乗り場などもありましたが、何となく住宅地の雰囲気になったのでまた大通りへ戻りました。
道後温泉は中心市街地から少し離れていたものの、それなりの市街地の中にありました。有名な建物なので、街中に誘導看板などが派手に設置してあるもの…と思っていたのに、どうも分かりにくい。やはり公共交通機関を利用して行くのが普通でしょうか。
市街地図を見ながら辿り着いた道後温泉でしたが、あの建物の前に「門前商店街」があるのは知りませんでした。著名な神社やお寺の前のような門前町が形成され、200mほどのアーケードもあります。アーケード出口付近には伊予鉄道の路面電車の終点と始発用の小さな駅舎と車庫を見つけました。
さすがに帰りは同じ距離を歩くことはやめて、「松山市駅行き」の路面電車を利用しました。JR松山駅ではなく、市の中心…と思われる伊予鉄道・松山市駅を見なければ松山市の姿を見たことにはなりません。
道後温泉前から15分ほどで着いた松山市駅は屋上に観覧車が設置してあるような大きな8階建ての建物で、高島屋が入っていたようです。
しかし駅前のスペースが狭く、無理にその場所に駅を造ったのではないか…と感じさせます。伊予鉄道の線路も何だか市街地を強引に横切っているようにも見えました。
駅前で少し休憩しながら伊予鉄道についてネット検索してみると、明治18年(1885年)創業です。そして何と日本の私鉄として日本で(もしくは西日本で)2番目に古い歴史があり、失礼ながら意外と言うしかありません。(1番古いのは南海電鉄となっています。)
そうなると、伊予鉄道の線路が強引に街中を横切っているのではなく、線路の周辺に街がくっついて出来た…と言う姿が想像できます。明治期からの松山市歴史の一端が垣間見えたようで、なるほど「街の雰囲気が微妙にレトロ」な理由が分かりそうです。
もともと愛媛では伊予鉄道が地元の経済発展の中心になっており、市の中心にある駅名も最初は松山駅を名乗っていたとのこと。しかし後からやって来た国鉄(JR)の駅に名称を奪われ、国の依頼で無理に「松山市駅」に変更させられた経緯があるようです。
地元の中心企業からそっぽを向かれたJRの松山駅が、古くて小さいままなのは分からんでもないですね。平成12年の建設になっているのでまだ20年しか経ってないのにやっぱりショボイです。(近い将来、再開発の計画はあるようですが…。)
中心市街地から戻って来たJR松山駅周辺で、やっと見つけた数少ない食事処で昼食です。昼食後、高松駅行きの高速バス出発時間まで1時間ほどあったので、せっかくなのであと1ヶ所立ち寄るところを探すことに。
すると駅前から左側に延びている大通り沿い、数百mほど離れた付近に地元ショッピングモールが見えました。外観が円形で、屋上が駐車場になっているちょっと窮屈そうな小規模で6階建ての建物でした。
街全体を見ようと屋上まで登ってみると、特に目立つような高い建物はなかったものの、マンション群の向こうに松山城が見えます。あたかも「この次に来る時は寄ってくれんかね」とでも言っているようでした。
初めて街の姿を見て感じたことは、人口ほどの迫力は無かったのですが「全体的にどことなくシットリ感」があります。同規模の人口を持つ宇都宮市や姫路市などに比べて、明治以降からの歴史を何となく感じる感覚がありました。
松山市はちょっと前の時代(大正・昭和)をそのまま引き継いでいるかのような落ち着きを感じさせます。愛媛県全体をもっと見てみたいような気分にもなり、特に今治市とか伊達宗城の宇和島市あたりは気になります。
ところで、「松山駅」から乗車した高速バスの2つ目の停留所が、「松山市駅」でした。
◆高松市
松山駅から高速バス(四国高速・坊ちゃんエキスプレス)で2時間45分、たまに瀬戸内海の景色が見え隠れする高速道路は快適です。この時も定員35人くらいのバスに6?7人の乗客で、交通機関が苦戦している状況が分かります。
高速道路がそのまま高松市街地に乗り入れていて、あたかも大都市の都市高速を走っているようなイメージになった頃から、ふと高松市は都会かも…と思わせました。
夕刻5時30分頃に高松駅前の高速バスターミナルに到着。
事前に地図で見ていましたが、高松駅は頭端駅(突き当りの駅、門司港駅などと同様)になっていたのが気になりました。JR四国の路線は四国循環と思うのですが…。あたかも短い盲腸線の形態です。
まあ、駅の成り立ち調査は後日の課題に残すとして、降り立った高松駅の周辺は「四国の玄関口」にふさわしい…と言うか、横浜みなとみらい地区を一部分切り取ったような近代的なエリアに見えます。
歴史と古さを感じさせた松山市とはかなり異なる雰囲気で、来て見なければ分からない姿がありました。もちろん街としては高松市も歴史が古いと思いますが、かなりリフォームが進んでいるのでしょう。
駅前には見上げるように背が高い30階建て、四国で1番高いノッポビル「高松シンボルタワー」と、斬新なデザインのホテル2棟が並んでいるのは、確かに迫力があります。
高松駅は大きくはないものの結構新しい建物で、前方から見ると全面ガラスに笑顔の「たかまつえきちゃん」というラッピングが目立ちます。笑顔とおもてなしで利用者を迎えるそうです。
そして駅前広場は直径50mもありそうな丸い形に造ってあるのが特徴的でした。
そんな近代的に見えた高松駅周辺でしたが、しかし土曜日の夕方なのに42万人の街にしては人の通行量がかなり少ない。いかにも街の真ん中ではありませんよ、と教えてくれたようです。
予約していたホテルは駅から歩いて10分ほど、街の中心部に向かう大きな通り沿いにありました。そのホテル周辺に近づくにつれてアーケード商店街や繁華街が目立ちます。
高松駅周辺から真っ直ぐ伸びている大通りは、かなりの距離にわたって中央分離帯に大きなクスノキが植えてあります。片側3車線の大通りは全国的に見てもクスノキの並木通りとして規模が大きいと言えます。
既に薄暮状態ではありましたが、数km先まで続いているように見えました。
クスノキの大きさから考えると過去においてしっかりしたコンセプトを持って街づくりが行われたことを表しているようです。
その部分だけなら、むしろ松山市より整備された大きな街のイメージを持たせます。
第一印象だけで言うと、やや古さを感じさせる松山市vsどこか近代的な高松市、私にとっては好対照の街のように見えました。
作品名:倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」17/松山、高松、高知 作家名:上野忠司