倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」17/松山、高松、高知
【松山市・高松市・高知市】令和2年8月
実は四国に行くのは今回が初めてです。
松山市や高松市など以前から気になる街はあったのですが、何故かそれまでは訪れる機会がありませんでした。
四国は地図上の距離は近いのですが、距離の割には時間がかかり、交通費もそれなりに必要なので二の足を踏んでいました。(バスの運賃はかなり安いのですが…。)
陸上交通では瀬戸内海をまたぐので、鉄道を利用すると途中まで新幹線を使っても乗換などで4?5時間、高速バスに至っては7?8時間ほどかかります。
しかし飛行機を使うという手段があったのです。距離が近いので飛行機を使用することを最初は思い付きませんでした。
航空会社のHPを検索、宿泊をパッケージにした便を利用すれば鉄道より安い費用で、しかも往復する時間を大幅に短縮出来ます。
福岡から四国方面へ向かう飛行機の便数は少ないものの、2日間で要領よく四国を巡る計画を立てられる飛行機便を見つけました。飛行機と高速バスを利用して、福岡→松山→高松《泊》→高知→福岡というスケジュールを組めたのです。
2泊すればもっと訪問出来たのですが、新型コロナ禍で旅行に行くのが少し後ろめたく感じる時期だったので、仕方なく1泊に。そんな中で松山市と高松市はすんなり決めたのに、次に訪れる街をどうするか…徳島市か高知市か迷いました。
そこで高知市に決めた理由は、幕末時代の土佐藩の活躍、薩長土肥の一角を担った城下を見てみたかったのです。土佐藩で活躍した人物の名前を挙げるだけでも数人が浮かんできます。
坂本龍馬の名前は抜きんでていますが、山内容堂、後藤象二郎、武市半平太、中岡慎太郎、板垣退助…等々。幕末時代の土佐藩では、上士と郷士として対峙するなど各人の立場は全く異なりますが、私の中では誰もが歴史の中での有名人です。
比較して阿波藩出身者としての名前は?となるとハッキリ言って浮かびません、それほど私にとって知名度に差があるんです。
現在の街の姿と何の関係もないと言えばそうかも知れませんが、しかし歴史から受けるイメージは仕方ありません。
残念でしたが徳島市は次の機会ということにしました。
ところで。面白いことに四国4県の県庁所在地の人口が約9万人ずつの差で並んでいます。松山市=51万人、高松市=42万人、高知市=33万人、徳島市=25万人。どんな偶然でしょうか、正にきれいに並んでいるのは何でしょうかね。
但し、人口の差はあるのですが、今回訪れた3市はほとんど同じようなレベルの街に見えました。特に高松市については駅前周辺と隣接する高松港周辺の整備具合は近代的な雰囲気を醸し出し、都会の一部分を持ってきた様相です。
近い将来、今回の日程から外してしまった徳島市を訪れるように計画したいと思いますが、その時の徳島市の姿が楽しみです。
但し、原稿を書いている令和2年12月段階では全国的に第3波の襲来が目立ちます。徳島市行きに限らず、次回の行動がいつになるか分からないのは残念です。
ところで四国4県の名称は、日本旧来の国名4つの領地(国境)をそのまま含めて継承している唯一の地域です。
伊予/愛媛、讃岐/香川、阿波/徳島、土佐/高知…の4つの国は領地も同じで四国と呼ばれます。
ちなみに九州も旧来の国名を9つ継承しているものの形は大きく崩れているので、四国の特異性がより目立ちますね。
筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後、日向、薩摩、大隅…の9国、現在の行政区分は7県なのに九州と呼ばれます。
……………
◆松山市
四国で一番多くの人口を抱える松山市。
福岡空港から松山空港へJALで1日に2便の直行便があり、そのうち朝7時50分発の便に乗るために当日は早起きをしました。佐賀・金立SAから高速バスを利用、福岡空港に着いたのはまだ7時前でした。
そして7時50分の定刻に離陸した飛行機は8時30分頃に松山坊ちゃん空港に到着、わずか40分です。松山空港そばから連絡しているバスを利用して15分ほどで松山駅へ。何と私は朝9時前には愛媛県・松山駅前に立っていました。
言わずと知れた「坊ちゃん」の名称と道後温泉で名高い松山市。
人口約51万人と言えば全国的にも数は少なく、当然ながら私の街歩きの対象としては期待したいところでした。
空港から乗ったバスに掲示されていたバス停案内を見て、松山市には「松山駅」と「松山市駅」があることを初めて知りました。
松山駅はJR、松山市駅は伊予鉄道。どちらで降車しようかと迷いましたが、高速バスが出発するという松山駅で一旦下車しました。
ところがその松山駅は…まるで人口10万人くらいの街の駅ではないかと見紛うほど建物はどこか古くて小さいのです。いくら中心市街地から少し離れていると言っても「これが松山駅?間違いやろ。」と疑うほどでした。
駅周辺にはさしたる商店街や目立つような建物等もなく、恐らく四国はJRの規模が小さく輸送量が少ないので駅自体も小さいのでは…と思わせました。松山市の駅がこんなはずはない、どうやら松山市駅の方がメインのようですが、しかしそれも行ってみなくては分からない。
松山駅の1ヶ所しかないロッカーに手荷物を預け、窓しかない小さな観光案内所で手に入れた市街地図を片手に、おもむろに歩き始めました。地図では600mほど先に松山城のお濠がありますが、そのお濠は半分ほどしか残っていません。
その理由はもちろん分かりませんが、街を開発する時に残り半分は埋めたのでしょうか。街の真ん中付近の小高い丘(山?)に位置する松山城、回りを路面電車が巡り、歩き始めてやっとそれなりに大きな街であることが分かってきました。
お城をグルっと囲んだように市街地があり、路面電車が走っている風景はどこか熊本市とイメージが似ています。(熊本市の方が都会的ではありますが。)
松山駅から松山城方面に10分ほど歩くと、お濠に突き当たって三叉路になっています。そこの横断歩道で信号待ちをしていると、まるで遊園地を走る小さなSLのような姿の濃緑色の珍しい路面電車に出会いました。
後で松山市のパンフレットを見て知りましたが、路面電車なのに「坊っちゃん列車」との名称で親しまれているようです。
伊予鉄道の車両はバスも含めてきれいなオレンジ色。時には流線型の近代的な路面電車もあったので、濃緑色のミニSLのような電車は好対照でした。
市街地図によると、その三叉路付近から松山城のお濠を半周して更に市街地を通り過ぎると、2kmほどで有名な道後温泉があります。松山市内中心地の道路の多くは直線的に縦横に走っていて、私にとっては分かりやすい街並みでした。
松山駅周辺から道後温泉までの距離は約4kmで普通に歩くと1時間ほどかかりますが、街歩きには丁度良さそうな距離です。お濠周辺には大きいホテルなども建っていて、水面では数羽の白鳥が遊んでいました。
道後温泉に向かうメインストリート沿いには市役所や県庁があり、道後温泉まではお濠や市街地を楽しめました。
実は四国に行くのは今回が初めてです。
松山市や高松市など以前から気になる街はあったのですが、何故かそれまでは訪れる機会がありませんでした。
四国は地図上の距離は近いのですが、距離の割には時間がかかり、交通費もそれなりに必要なので二の足を踏んでいました。(バスの運賃はかなり安いのですが…。)
陸上交通では瀬戸内海をまたぐので、鉄道を利用すると途中まで新幹線を使っても乗換などで4?5時間、高速バスに至っては7?8時間ほどかかります。
しかし飛行機を使うという手段があったのです。距離が近いので飛行機を使用することを最初は思い付きませんでした。
航空会社のHPを検索、宿泊をパッケージにした便を利用すれば鉄道より安い費用で、しかも往復する時間を大幅に短縮出来ます。
福岡から四国方面へ向かう飛行機の便数は少ないものの、2日間で要領よく四国を巡る計画を立てられる飛行機便を見つけました。飛行機と高速バスを利用して、福岡→松山→高松《泊》→高知→福岡というスケジュールを組めたのです。
2泊すればもっと訪問出来たのですが、新型コロナ禍で旅行に行くのが少し後ろめたく感じる時期だったので、仕方なく1泊に。そんな中で松山市と高松市はすんなり決めたのに、次に訪れる街をどうするか…徳島市か高知市か迷いました。
そこで高知市に決めた理由は、幕末時代の土佐藩の活躍、薩長土肥の一角を担った城下を見てみたかったのです。土佐藩で活躍した人物の名前を挙げるだけでも数人が浮かんできます。
坂本龍馬の名前は抜きんでていますが、山内容堂、後藤象二郎、武市半平太、中岡慎太郎、板垣退助…等々。幕末時代の土佐藩では、上士と郷士として対峙するなど各人の立場は全く異なりますが、私の中では誰もが歴史の中での有名人です。
比較して阿波藩出身者としての名前は?となるとハッキリ言って浮かびません、それほど私にとって知名度に差があるんです。
現在の街の姿と何の関係もないと言えばそうかも知れませんが、しかし歴史から受けるイメージは仕方ありません。
残念でしたが徳島市は次の機会ということにしました。
ところで。面白いことに四国4県の県庁所在地の人口が約9万人ずつの差で並んでいます。松山市=51万人、高松市=42万人、高知市=33万人、徳島市=25万人。どんな偶然でしょうか、正にきれいに並んでいるのは何でしょうかね。
但し、人口の差はあるのですが、今回訪れた3市はほとんど同じようなレベルの街に見えました。特に高松市については駅前周辺と隣接する高松港周辺の整備具合は近代的な雰囲気を醸し出し、都会の一部分を持ってきた様相です。
近い将来、今回の日程から外してしまった徳島市を訪れるように計画したいと思いますが、その時の徳島市の姿が楽しみです。
但し、原稿を書いている令和2年12月段階では全国的に第3波の襲来が目立ちます。徳島市行きに限らず、次回の行動がいつになるか分からないのは残念です。
ところで四国4県の名称は、日本旧来の国名4つの領地(国境)をそのまま含めて継承している唯一の地域です。
伊予/愛媛、讃岐/香川、阿波/徳島、土佐/高知…の4つの国は領地も同じで四国と呼ばれます。
ちなみに九州も旧来の国名を9つ継承しているものの形は大きく崩れているので、四国の特異性がより目立ちますね。
筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後、日向、薩摩、大隅…の9国、現在の行政区分は7県なのに九州と呼ばれます。
……………
◆松山市
四国で一番多くの人口を抱える松山市。
福岡空港から松山空港へJALで1日に2便の直行便があり、そのうち朝7時50分発の便に乗るために当日は早起きをしました。佐賀・金立SAから高速バスを利用、福岡空港に着いたのはまだ7時前でした。
そして7時50分の定刻に離陸した飛行機は8時30分頃に松山坊ちゃん空港に到着、わずか40分です。松山空港そばから連絡しているバスを利用して15分ほどで松山駅へ。何と私は朝9時前には愛媛県・松山駅前に立っていました。
言わずと知れた「坊ちゃん」の名称と道後温泉で名高い松山市。
人口約51万人と言えば全国的にも数は少なく、当然ながら私の街歩きの対象としては期待したいところでした。
空港から乗ったバスに掲示されていたバス停案内を見て、松山市には「松山駅」と「松山市駅」があることを初めて知りました。
松山駅はJR、松山市駅は伊予鉄道。どちらで降車しようかと迷いましたが、高速バスが出発するという松山駅で一旦下車しました。
ところがその松山駅は…まるで人口10万人くらいの街の駅ではないかと見紛うほど建物はどこか古くて小さいのです。いくら中心市街地から少し離れていると言っても「これが松山駅?間違いやろ。」と疑うほどでした。
駅周辺にはさしたる商店街や目立つような建物等もなく、恐らく四国はJRの規模が小さく輸送量が少ないので駅自体も小さいのでは…と思わせました。松山市の駅がこんなはずはない、どうやら松山市駅の方がメインのようですが、しかしそれも行ってみなくては分からない。
松山駅の1ヶ所しかないロッカーに手荷物を預け、窓しかない小さな観光案内所で手に入れた市街地図を片手に、おもむろに歩き始めました。地図では600mほど先に松山城のお濠がありますが、そのお濠は半分ほどしか残っていません。
その理由はもちろん分かりませんが、街を開発する時に残り半分は埋めたのでしょうか。街の真ん中付近の小高い丘(山?)に位置する松山城、回りを路面電車が巡り、歩き始めてやっとそれなりに大きな街であることが分かってきました。
お城をグルっと囲んだように市街地があり、路面電車が走っている風景はどこか熊本市とイメージが似ています。(熊本市の方が都会的ではありますが。)
松山駅から松山城方面に10分ほど歩くと、お濠に突き当たって三叉路になっています。そこの横断歩道で信号待ちをしていると、まるで遊園地を走る小さなSLのような姿の濃緑色の珍しい路面電車に出会いました。
後で松山市のパンフレットを見て知りましたが、路面電車なのに「坊っちゃん列車」との名称で親しまれているようです。
伊予鉄道の車両はバスも含めてきれいなオレンジ色。時には流線型の近代的な路面電車もあったので、濃緑色のミニSLのような電車は好対照でした。
市街地図によると、その三叉路付近から松山城のお濠を半周して更に市街地を通り過ぎると、2kmほどで有名な道後温泉があります。松山市内中心地の道路の多くは直線的に縦横に走っていて、私にとっては分かりやすい街並みでした。
松山駅周辺から道後温泉までの距離は約4kmで普通に歩くと1時間ほどかかりますが、街歩きには丁度良さそうな距離です。お濠周辺には大きいホテルなども建っていて、水面では数羽の白鳥が遊んでいました。
道後温泉に向かうメインストリート沿いには市役所や県庁があり、道後温泉まではお濠や市街地を楽しめました。
作品名:倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」17/松山、高松、高知 作家名:上野忠司