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短編集89(過去作品)

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 言われてみれば石かセメントのような臭いがしていたようにも思う。
「アルコールのような臭いを私はどこかからか感じたの。それで嫌な予感がしてあなたを探していたのよ」
 確か香苗と一緒に表に出た記憶はあるのだが、霧のせいではぐれてしまったのではなかっただろうか。ハッキリとは分からない。
「まるでこの世の果てを見てきたような気持ち悪さを感じたんだ。臭い? そういえばセメントのような臭いだったな」
「お酒を呑むと、鼻の通りがよくなるでしょう? そんな時に私はセメントのような臭いを感じる時があるわ。私の感じたアルコールの臭い、あなたのセメントの臭いと無関係ではなさそうな気がするわね」
――香苗は何かを知っている――
 そんな気がして仕方がない。
 不思議な気持ちのまま、その夜は更けていった。その夜、ベッドで激しくお互いを求め合ったことはいうまでもない。
 それから二人はつかず離れずの付き合いが続いた。ちょうどいい距離での付き合いだろう。お互いにサークル活動や趣味に時間を費やすことが多く、それぞれ邪魔したくなかった。ベッタリと寄り添っていなければ我慢できないような二人ではなかったのも、大人の付き合いをしたいと思っていた気持ちが一致していたのである。
 誠は大学を卒業すると、バス会社に就職した。まわりは、
「おじさんが呼んだのかしらね。血は争えないわ。そういえばあの二人は本当に仲がよかったからね」
 と口々に噂していた。
 入ってみると本当に理不尽なところがある。それはバス会社に限ったことではないだろうが、どうも会社ごとの縄張りのようなものもあるようで、なぜそんなところに就職したのか自分でも信じられない。国土交通省の通達もあるのだが、ハッキリと守られているとは言いきれない。
――きっとここだけではないだろう――
 と思うことで、自分を納得させようとしている。
――おじさんに会いたいな――
 と思って、ある日おじさんの家を訪ねた。
 そこには誰もおらず、風なければ、暑さ寒さも感じない。不思議な感覚だった。
 おじさんのずっと変わらぬ笑顔を写真で見ながら線香を上げて手を合わせると、おじさんに声を掛けてもらっているように思えるから不思議だった。
――どうして、バス会社なんかに就職したんだい――
 とおじさんが聞いてくる。
「分かっているでしょう」
 と答えると、ニッコリと笑いながら、その実、頬が引きつっているように見えるような顔をしているだろう。
――血は争えんな。そして、お前は私と同じで頑固なところがある――
 誠もニッコリと笑った。
 そう感じると、本当に目の前におじさんが現われた。声もまるで幻には思えない。
「お前は霧の出ている湖を見てきたようだね」
「どうして分かるんだい?」
「私もその湖を見たことがあるからさ」
 おじさんの告白には、まるで晴天の霹靂であるはずなのに、一瞬の仰天だけで、あとは不思議に感じることもなかった。
 さっきまでのことを思い出す。
 誠は高速バスを運転していた。まわりは晴天に恵まれていて、何事も起こるはずもないほど晴れ渡っている。小鳥のさえずりすら聞こえてくるようで、次第にバスのエンジンの音が静かになっていく。
――身体が宙に浮くみたいだ――
 と思った瞬間、衝撃を感じた。さっきまであれだけ綺麗に見えていた視界はゼロ、一寸先が闇だった。
 頭の中がパニックになる。何をどうしていいか分からない中で、思わずとっていた行動はブレーキを踏むことだった。
「キャー」
 という黄色い悲鳴がこだまする。霧は晴れることなく目の前に迫ってくるが、一瞬晴れたかと思うと、目の前に見えるのは湖だった。
――いつか香苗と一緒に行った湖だ――
 と感じると目の前におじさんが現われた気がした。
「神なき知恵は、知恵ある悪魔を作ることなり」
 おじさんはそう言った。
 おじさんの乗っていたバスには何やら細工がされていたらしいが、それが何を意味するものなのか、中学生だった誠に分かるはずもない。またそのことをなぜ誠が知っているのか、それも偶然にトイレで聞いた噂が元だった。したがってこのことは誠以外には一部のお偉方しか知ることではないトップシークレットのはずである。
 おじさんは誰かから恨まれていたということは考えられない。何かの利権に絡むことの犠牲になったのかも知れない。おじさんはそのことに気付いてお¥いたのだろうか? いやきっと死んだあとに感じたことだろう。それがこの言葉に表れているのだ。
 今、誠はおじさんと会っている。おじさんの姿も見えているが、他の人は誰もいない世界でもある。
「おじさん、どうして他の人は誰もいないんだい?」
「それはここが私とお前の聖地だからさ。お前には一度聖地を見せたことがあっただろう? 覚えているはずだ。霧の中の湖に行ったのは、偶然じゃないんだ」
「どういうこと?」
「同じ最後を迎えた人だけが同じところを通ることができる。そこから先の聖地は、皆にもあるんだけど、違うところから来た人と出会えるとは限らないんだ。お前の場合は同じところも通っているし、聖地も私と同じなので、出会うことができた」
「じゃあ、ここは?」
「そうだよ、霧の湖を通ってやってきたお前の聖地さ。私はお前を待っていたんだよ」
「僕の聖地がおじさんと同じだってどうして分かるの?」
「それは、血は争えないからさ。ここに来れば今まで分からなかったことが追々ながらすべて分かってくるのさ。お前は実は私の血を分けた息子なんだよ」
「頭が混乱してきたよ」
「それは無理もない。まだお前は完全にこちらの住人になりきっていないからな。まだ霧の中を本当は彷徨っているはずのところを私が引き上げたんだからね。もしあのまま彷徨っていれば、本当にここに来れるかどうか分からない。違うところに迷い込んでしまえばそこは、いわゆる地獄と同じイメージなんだよ。せっかくお前は神を信じていたんだからしっかりここに来るだけの権利は持っているんだ」
 誠は神を信じるようになってからというもの、他の人が考えている一般的なあの世の世界とは違う世界を創造していた。そのイメージに近い世界が今おじさんによって紹介されている。これもおじさんの導きであろうか?
 いや、お父さんなのだ。血は争えないとは本当にそうなのだろう。正義感の強さから、会社に不利益な情報を公開しようと考えていたのは事実だった。お父さんもそうだったに違いない。
 今頃、本当の誠はベッドの上で虫の息となっているようだ。そばにはたくさんの人が集まっているようだが、見えるのは母親と香苗だけだ。香苗の表情は何もかも分かっているように思え、キョロキョロしている。こちらが見えるのか、目が合ったと思った瞬間に香苗が微笑んだ。きっと何もかも分かっているのだろう。彼女の聖地も同じところにあるに違いない。
「あなたは運転に集中するあまり、神の存在を一瞬忘れてしまったのね」
 香苗が話しかけてくる。そして初めて悲しそうな表情になった。香苗がベッドの中の誠を見ると、臨終の寸前である。
「私は悪魔になりたくない」
 それが誠の最後の言葉だった……。

                (  完  )









作品名:短編集89(過去作品) 作家名:森本晃次