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没、乃至没集

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して、かように胃を痛めながらも生活を送っていると、次第に腹が膨れていくのである。それが何故かは分からぬ。ストレスのためか、骨が蕩ける程甘やかす祖母の作る栄養の偏った食事のためか、将又単に腹筋がないだけか、その全てが因か、とかく、それが攸治のコンプレックスとのさばり、して、どこまでも面倒臭がりに出来ている彼は、ただ運動やら腹筋をつければよいだけの事を、向後自信を無くす理由としてそれを使う事となり、それがまた悪循環という化け物が繋いで逃がさないのであった。殊に、皮と骨で雑に作られた悍ましい程に細い腕に、寸胴な腹という異な体型には、些か餓鬼のような気味悪さが誘発させられる。
その、恰も首から下は他人であるかのような体躯と、また、毛という毛が己を縛る、蔦とも、紐とも、鎖とも、干乾びたミミズとも思わしき剛毛に、発狂さながら、身体中の毛を乱雑に毟り取る。と、幾分引っ込んだ興奮に伴って、痛みは跋扈し、己の醜さが脳内を渦巻く。しかし騏驥過隙の間に、精神に反して身体は精々としているが為か、幾ら毟り取ろうとも、折れても生えくる雑草の如く、尚と強く逞しく生えてくる己の毛に、半ば諦観した態であきたりぬ思い。どうで己は醜いまま生きていかなくてはならない、己を心内なぞ誰一人とも理解できず、どこでとってつけたか分からぬ陳腐な言をもって、己が理解できるよう落とし込められるのだろう、と。

果然、攸治は父の、後先考えぬ性獣の子であるからして、異様なほど強い性欲というものに振り回されたものであった。
性の目覚めは早くから、モラルと道徳が育つ前から本能的に携わったものとして存在しており、童時に犯した数々の所業は、思い返せば悶絶、輾転反側し舌を噛み千切りたくなるほど。
また、高校へと上がり初めての彼女が出来ると、十年と待ちに待った本番行為に、彼に潜む色欲は濁流が如く彼女を食み、蛇が嚥下するが如く彼女を性の道へと堕落させてしまった経緯を持つ。、清純で可憐、純粋無垢の擬人とも言えた彼女は、当時、学年一二を争う程美々しい少女であったが、僅々三カ月という交際期間の中で彼女を精液まみれにした挙句、閨狂いの男通へと変貌させたのは、悉く彼の所為である。
何が質の悪い話、彼女に対する罪悪感をふとこりつつも、攸治は己の自己憐憫さに拍車をかけ、自責することで許しを得ようとしていたところであろう。別れてから終ぞ卒業まで一度たりとも口を交わすことはなかったが、阿呆みたいに男を貪る彼女へ、俺が彼女をああしてしまった、なぞと責任を感じるのは、甚だ自意識過剰極まりない痛い男であり、それが朝な夕なに彼を苦しめさせていたのは、最早これは彼女の戦略とも捉えかねぬ、見事天晴な女である。むしろ、その色魔とはる程の肉欲を以てして貪られたのは、攸治の方ではないかと最近になって思うほどに。
して、卒業から早数年、攸治は一人の女と出会う。

蝉の音と橙の残光が、しぶとく、煩わしい日の頃。
攸治は派遣の短期バイトへと足を向けていた。
独りイヤホンを耳にさし、ランダムに流れる音楽と、薄い硝子窓一枚では防ぎようのない煩い蝉の音をあき足りない心奥へと捻じ込み、しかし半ば放心する態で箸を黙々と口へと運ぶ。で、騒々しい緘黙とした一室には、何も目移りする面白いものはなく、窓の縁の中にすっぽり納まるほど遠くある積乱雲を、絵画を眺めるが如く仰視することで、退屈をせいぜいかき消そうとした。
よもや卒業してから早四年の月日が徒に流れ、飽和した資本主義で新たに生まれた、さとり世代、とやらの一角を担う形で、また彼も、瓦全とす日々を送る。煙草を吸い、酒を呷り、仕事へ行く、という一連の流れを三年も繰り返していた攸治は、殆ど毎朝見る大学生くらいの集団の手前、条件反射に迸る焦燥感には、はなこそ、このミゼラブルな生活から足を洗おうと心を固めるも、今やすっかりその焦燥感に慣れる始末。どうで己はこのまま死ぬ。そう思うのも既に飽きる程。
斑消に白く、灰色と混じった壁は、塗装が剥げた形跡があり、背丈が足りないカーテンは、汗を吸い込んでいるか、外から来た砂を吸ったか、長らく洗濯していないものと見え、黄土色となり、そのカーテンに染み付いた、目には見えない汚物まで吸い込んでしまわぬか心配になる程。予め錆びた鉄をつけたようなパイプ椅子は、皮が剥げて鉄が丸見えの背凭れには凭れたくないとの思いで、自然と姿勢は良くなるか、ややその姿勢に疲れると前のめりになる。その青黴臭いパイプ椅子は室内に三つしか置いていないため、攸治はそれを知ってか、予め、手を洗いに行くよりも前に、椅子に弁当を置いておく形で先約を確立させていた。部屋の真ん中に縦に置かれた長机は、休憩室が六畳ほどに対し、三分一も占めている。その部屋に四人、汗を四方八方飛び散らかす背丈の低い小太りの中年男性は窓を背中に座し、夏に見合わず長袖を着ている三十代に見える痩躯の男は、顔はアトピーか、肌は爛れているため近寄りがたく、それを自覚してか少し離れて部屋の隅に。攸治は扉を背中に、窓に凭れかかる女性をいないものとして、外を茫然と眺めていた。
と、中年男が何も言わずに窓を開けた。直後、行き場を見つけた破裂しそうな水のような風が一室を吹き回し、気持ちの良い風に思わず、ふう、と、一同一息ついていた。それと同時に聞こえる耳障りな蝉の甲高い声に、風が吹きつける轟音に、一気に部屋が騒々しくなった。
で、頓に風が吹き荒れ、割り箸と言えども、己の所有物を搔っ攫われたことに、酷くあき足りない思いの攸治。ややあってその方を向くと、窓辺で気持ちよさそうに風に当たられている女と、その髪、そして、靡く髪の隙間から見えた、慈しみを抱いた柔らかい瞳に、時が奪われた。
童顔に、少し厚い下唇と、可愛らしく小さな鼻がついており、あえかな腕と、春先の鶯が梢と間違えて攫っていってしまいそうなほど、その指は細く、美しい。そこまで大きくはない胸は、しかし、陽の光で透けて見えたその形は、なでらかで、しかし、美しい湾曲をえがいていた。陽の光で髪が透けたのか、元来茶色なのか、薄明るい、沢の様に無抵抗に風に流されている髪に、なによりも、それらを全て際立たせる、透き通った肌の白さには、夏までしぶとく残ったなごり雪、乃至、その全貌から雪女をどことなく彷彿させた。身丈が平均よりは低いと気づいたが、それを以てしても、己の躰を守るかの如く凛とした立ち振る舞いに、攸治が恋に落ちないはずもなく。
俄然、攸治の躰は震えていた。あまりの歓喜からか、運命とも呼べなくもない出会いの、その僥倖さに快哉を叫びたい思い。つとめて平然に、つとめて恬然に、恰も誰にも興味を持ち合わせていないように、視界に入れず、また、視界に入ろうともせず、窓と向かい合わせにあるロッカーに弁当箱を入れる。

仕事が終わってすぐ、当然ともいえるように攸治は逸早く帰路についた。一言も口を交わさず、社会人としての最低限の礼儀も欠き、その場を後にした。
で、平生、仕事が終わり、家までの帰途の丁度真ん中に位置するスーパーに立ち寄り、何かしらの物を購めるという流れ。雑然とした店内を物色している最中、彼女がそこにいることに気づいた。
作品名:没、乃至没集 作家名:茂野柿