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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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愛しの幽霊さま(1)〜(5)

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第3話 できない恋






それから数日、“茅野時彦”さんと言った幽霊さんは、出てきてくれなかった。

私は、初対面の時に私があまりにも図々しかったから、嫌われちゃったかなと思った。それでずいぶん悩んだけど、ある日の朝、時彦さんはもう一度姿を現してくれた。





私はその朝、朝食を作り終えて、先にフライパンだけを洗おうと思った。

このあとは学校にすぐに行かなくちゃいけないから、急ごう。

そう思ってキッチンペーパーを一枚破り取って、私はフライパンの柄を掴もうとした。でも、予測に反してフライパンはふよふよと浮き上がった。

「えっ…!?」

私は思いもよらない、というか、ありえない現象に、ただ見ているしかできなかった。

フライパンは隣のコンロに着地して、その前にすうっと時彦さんの姿が透かし絵のように現れる。

時彦さんは朝の日光を返さずに、影もなく立っていた。彼はそんな、どこか悲しげに見える様子で、ふふっと笑った。

「フライパンは冷めてから洗わないと、火傷するよ」

その言葉に私は胸が高鳴り、それが恥ずかしいので、ちょっとうつむいてしまった。

それに、久しぶりの対面なのに私はパジャマ姿だったし、髪も梳かしてない。

こんな姿、見られちゃうのは恥ずかしいけど、なんかその分嬉しいような気もする…。

「ありがとうございます…」

私の声は小さくなってしまったけど、きちんと目を見てお礼が言えた。時彦さんはそれで満足そうに頷いて、すぐにまた消えてしまった。

「あっ…」

私はしばらく拍子抜けしたように立っていたけど、また洗い物に戻って、フライパンは最後に洗った。







それから時々、私がスマートフォンをいじってばかりだったり、課題を放ったらかしにしていたりすると、時彦さんが現れるようになった。



「こら。明日は宿題の提出日じゃないの?」

その声に顔を上げると、私の横には、あぐらをかいた時彦さんが居た。

私は自室の窓際にあるベッドに寝転んで、スマホをいじっていたところ。ベッド横の床に時彦さんは座り込んで、どこか挑戦的な目で私を見つめる。

びっくりした…。時彦さん、急に部屋に現れるんだもん…。しかも、ベッドの隣なんて、そんなに近くに!

私はうつむいて、顔の熱さが消えるまで頑張った。それから、なるべく無愛想に聴こえるように「はーい」と返事を伸ばしてから、ベッドを降りる。


「終わるまで見ててあげるから、頑張りなよ」

机の前に腰掛けた時、後ろからそう聴こえてきて、私はまたドキドキするのが止まらなってしまった。


時彦さんって…優しい。


それが嬉しくて、その優しさをもらえるのが嬉しくて、私はしばらくときめいたままで勉強していた。


でも、初めは怖がってたのに、どうして私が優しくしてもらえるのかな。きっと、元々誰にでも優しい、だけだよね…。






それから、たまに時彦さんと話をするようにもなった。とは言っても、世間話みたいなものだけど。

それは私が初めて時彦さんのことを聞いた時。


「時彦さんって…あ!あの、ごめんなさい、馴れ馴れしい呼び方して…」

やばい。いつも心の中では勝手に「時彦さん」って呼んでたから…。

「別にいいよ。名字で呼ばれても気まずいし」

「あ、ありがとうございます。それで、時彦さんって、この辺に住んでたんですか?それともこの家が建っていた場所、とか…。あの、嫌だったら、答えなくて全然大丈夫なので…」

私は途中からしどろもどろになってしまったけど、時彦さんはうんうんと頷きながら聞いて、それからこう答えた。

「いや、実は、何もわからない」

それは、あまりにもあっさりした言い方だった。

えっ?どういうこと?

「何もって、でも、名前とかは…」

私は自室のベッドから身を乗り出して、勉強机の椅子に座った時彦さんにもう一度聞く。

「何がわからないんですか?」

時彦さんは「こまったぞ」といったように顔をしかめて、下を向いた。

「いや…どこで生まれたとか、どこに住んでたとか、なんで死んだみたいな…そういう記憶はなくてさ…。だから僕は誰にも害は与えない」

下を向いたまま、まだ考えてる途中のように時彦さんはそう言った。

え、でもあなた、初めて会った時、思いっきり私をおどかしましたよね…。

そう思ったけど、なんとなく私はそれは言えなかった。それに、そのおかげで時彦さんに会えたんだし。

でも。そんなになんにも分からないんじゃ、不安じゃないのかな…。

「あの…でも、知りたいなって、思わないんですか…?」

私がそう言うと、時彦さんは大きく胸を反らせてちょっと腕を組み、「うーん」と唸る。でも、その顔は不安そうじゃなかった。

「そうねえ。わかったらいいのかもしれないけど、探したり調べる方法もなかなか思いつかないし…まあ、人が死ぬ理由にいいものなんてあるかわからないし、自分のものならなおさらね…。それならそれなりに、幽霊としての人生も楽しめるかなって」

そっか…考えてみれば、そうかも…。

…ん?ちょっと待って。じゃあもしかして…。

「あの…、じゃあ私があの時におどかされたのって…」

私が控えめにそう切り出すと、時彦さんは申し訳なさそうに笑って、長い髪の間から薄い頬を掻いた。

「ごめんなさい。ちょっと、興味本位で…」

へへへと笑いながら時彦さんがそんなことを言うもんだから、あの時死ぬほど驚かされた私は、彼を控えめにらみつける。

「もう。本当に怖かったんですからね」

「ごめん。もうしない」

私たちはそんな話をして、くすくす笑い合ってから、その晩私は眠った。私が眠ってしまう前に時彦さんは部屋を出ていったけど、その時彼はこう言った。

「あんまり女の子の部屋に長居しても悪いし、もう寝るでしょ。おやすみなさい」

「おやすみなさい」



時彦さんは優しい。それに、すごく控えめで、礼儀正しくて…。

そんなふうに彼を少しずつ知ることができて、嬉しくて、私は家に帰るのがいつも楽しみでしかたなかった。