愛しの幽霊さま(1)〜(5)
第2話 自己紹介しましょう
「消えちゃった…」
私はトイレから一歩踏み出した姿勢のまま固まっていたけど、その場でふーむと考え込んで下を向く。
えっ…すごいかっこよかったよね?今の、幽霊?さん…。
背も高いし、髪が長くて細かいところまでは見えなかったけど、鼻が高くて、目がぱっちりして、ちょっと彫りがはっきりして…。
それに、消えそう!と思って全身を見た時、かなりスタイルいいのわかったし…。
どうしよう。なんか頭から離れなくなっちゃった…。
私はその時、自分の頬がかっかと火照って、胸がときんときんと鼓動を打つのがわかった。
待ってよ…幽霊に一目惚れしちゃった!
「えーどうしよう。どうしよう…」
とりあえず、トイレの扉を閉めるということで正気を取り戻そうとした。けど、無駄だったみたい。
廊下に出て、物音一つしない家の中に、彼が立てたのだろう「カチャン」という音を探してしまう。廊下を見渡して、彼の影がないか探してしまう。
どんな人なのかな。たとえ幽霊でも、お話くらいしてみたい…。
私の頭はもうそれしか考えられなくなっていた。さっき台所から戻る時に恐ろしくてたまらなかったこと、トイレのドアを開けた時にどんなに驚いたのかなんて、忘れていた。
「あ、あの…幽霊さん…?いますか…?」
そう言ってから思ったけど、「幽霊さん」と呼んでいいのかな。それって私が「人間さん」と呼ばれるようなものじゃない?あ、でも幽霊も元は人間だよね…?
まあいいや。とりあえず、家の中を探してみよう!多分この家に取り憑いてるんだろうし!
そんなこんなで私は、恋する幽霊めがけて、家の中を回ってみることにした。
「なんでいないの…」
キッチンを探すのは、かれこれ四度目だ。私は執念深さが売り。その執念で羽を一本ずつ描いたフクロウの絵で、小学生の時に銅賞をもらったんだから!
いやいや、懐かしい思い出話なんかしてる場合じゃない。
キッチンを探すといっても、彼は小さな子どもなんかじゃないし、扉を開ければすぐに全体が見渡せる中、見えないということは居ないのだ。
キッチンも、私の部屋も、両親の寝室も、トイレもお風呂もリビングもクローゼットも、ぜーんぶ探した。何回も。
「うーん、もう一回呼んでみようかな…」
声を出して呼ぶのはこれで五回目。
こうなりゃやけだ。叫んじゃおう!
「幽霊さーん!何もしないから出てきてー!」
「ひいっ!」
私の後ろで、高い声が上ずるのが聴こえた。ちょっと、いや、かなりびっくりした。
振り向くと、さっきの幽霊さんが片手で口元を押さえて立っていた。
彼の服装はぼろぼろのジーンズに、擦り切れたTシャツ一枚で、長く伸ばした髪が前に垂れている。
うん。やっぱりちょっと怖いのは怖い。だって、体の下半分は半透明で、足はない。本当に幽霊って足がないのね。なんでだろう。
でもやっぱり…かっこいいなあ。私はそう思って、幽霊さんに慎重に歩み寄った。
「えっ…」
幽霊さんは驚いているのか、そんな声を出してから、一歩後ずさった。
私はちょっと緊張していたし、真剣だったから、顔も怖かったかもしれない。そう思って笑ってみる。
「大丈夫ですよ。本当に何もしません。祓ったりもしないです」
私がそう言うと、幽霊さんは途端に震え上がって、こう叫んだ。
「祓うだなんて、縁起でもない!」
…そっか。こっちとあっちじゃ、価値観は正反対…なのかな?そうだよね。祓われたら幽霊さんはこの世からいなくなっちゃうんだし…。
私たち生きてる人間からすれば、多分、「幽霊が身近にいること」の方が、「縁起でもない」のうちに入りそうな気がするけど。
「うんうん、祓わない祓わない。だから、ここに座って」
「なんで!?」
私が指さしたすぐそばのキッチンテーブルの椅子には、彼は座ってくれなかった。その代わりに私を見つめて、さも怖そうに肩を縮み上がらせる。
「ねえ、なんで君怖がらないの?それに、どうして僕を呼ぶの…?怖い…!」
“怖い”。それはおよそ幽霊が口にする言葉とは思えない。恐怖の対象が恐怖するっていう想像がつかない。
でも幽霊さんは確かに私を怖がっている。このままじゃ、話なんかできないなあ。
理由を説明すれば怖がらなくなるかもしれないけど、それって…。
好きって、伝えるってことだよね。
早い早い早い!それはまだ早いよ!だって自己紹介もしてないのに!
そうだ。自己紹介に入っちゃえば、気にしなくなってくれるんじゃないかな…?
私はそう思って、シンクの前で立ったまま、彼に自己紹介をしようと思った。
作品名:愛しの幽霊さま(1)〜(5) 作家名:桐生甘太郎