裏表の研究
誰にでも裏表は存在するが、どちらが裏でどちらが裏なのか、理解しようとしたことがなかったのかも知れない。裏表を発見したことで満足し、それ以上を追及してこなかったことで、人はおろか、物事の裏表に対しても、関心が薄くなっている。その存在に気付いていながら、どちらが裏でどちらが表なのか、その重要性をまったく無視していると言ってもいい。
そこが、北橋のまだまだ研究を極めることができないことへの最初の難関であるように思えてならなかった。
最近では裏表を理解しようという思いはあるのだが、どうしても理解することができない。何か引っかかるものが自分の中に存在している。
そこまでは分かっているのだが、何に引っかかっているのか、それが分からない。研究を続けながら、そのことを考えているのだが、それを考えているからと言って、研究が疎かになることはなかった。集中力が途切れるということがないからだった。
北橋は、自分が今考えているのは、裏の自分なのか表の自分なのか分からない、
「ひょっとすると、裏の自分も表の自分を理解できているのかも知れない」
と感じた。
ジキルとハイドのように、まったく違う性格が存在していて、表にはどちらかが出ているのだが、そのどちらも意識できている。だが、あまりにも違いすぎるため、自分の本質に入り込もうとすると、今度は意識を妨げるかのように、白いベールに包まれる。これは黒いベールのように暗黒ではなく、白いベールであるために、うっすらと相手の影が見えるのだ。
あくまでも相手を知ってはいけないという性から生まれたものであるが、北橋が優秀であるがために、その反動が裏にまわり、裏の自分も天才的な自分を作り出している。
そんなことを考えると、純一郎という人間にも、同じように裏表が分かっている性格なのではないかと思った。その理解がそのまま友達の気持ちを夢の中という媒体を使って知ることができる。そして、苦しんでいる友達を何とかしようとして、相手を殺すという小説を書く
それはあくまでももう一人の自分を殺すというもので、その意識を持っているので、殺そうという人間を選定することもでき、選定された人間の裏の部分を殺すことができるのだ。
ただ、それが表まで殺すことになるという意識がないため、小説で殺してしまうと、その本人が死んでしまうというトラウマを残してしまい、苦しむことになる。
実は、純一郎は忘れていたが、北橋を殺すという小説も書いていた。それは、高校の時であり、かなりの時間が経っているが、北橋は死ぬことはなかった。裏の北橋を殺しただけだったが、表の北橋は生きている。
「それでも彼は自分の中に裏表を見ているではないか」
これは一体どういうことなのかというと、北橋が裏だと思って見ているのは、純一郎の裏だったのだ。
純一郎も、北橋も、それぞれ自分の裏を総合的に判断するという意識を持っていたので、裏の部分が人と共有しているおとに気付いていないのだった。
二人は裏を共有することで、将来において、何を発見することになるというのだろうか?
それを知る者は、神のみではないのだろうか……。
( 完 )
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