端数報告4
と言ったが、「そういうこと」ってなんだ? この時点で犯人達からの手紙は2通。
最初の手紙は勝久氏誘拐のときに寄越したもので、
「10億円と金塊を出せ。警察にもグリコの会社にも仲間がいるぞ」
といったことしか書いてない。カネを出さねば人質を殺すとしか書いてない。
二度目の手紙はさっきここで見せたもので、警察の愚弄に終始したうえで、
「警察にも江崎の身内にも仲間はいない」
としか書いてない。
一体全体、茶服の男はこの2通の何を指して、
「これまでかなり、そのう、脅迫文でえ、そういうことについてですねえ」
と言い、
「今度はまあ、それに輪をかけたもんであるかという」
と言うのだろうか。
と、言ったところでさっき〈元グリコ関係者説〉としてウィキから見せた、
《他にも53年テープの存在もグリコへの怨恨が原点にあるという説の補強材料になっている》
という文について考えてみよう。〈53年テープ〉。それはウィキには、
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53年テープ
事件発生の6年前の1978年(昭和53年)8月17日、グリコに金を要求するテープがグリコ常務に送られた事件である。1時間弱のテープの内容は部落解放同盟幹部を名乗る初老の男性の声で、送り主の男は過激派の学生が江崎の誘拐、グリコへの放火、青酸入り菓子のばらまきなどの犯行と引き換えに、グリコに対して3億円を要求する計画を立てているとし、これらの犯行を抑えられないまでも3億円の要求額を1億7500万円に減額できるとして金を要求し、応じるなら指定した手法の新聞広告を出すこととなっていた(グリコは応じなかった)。江崎の誘拐、グリコへの放火、青酸入り菓子のばらまき、連絡に新聞広告を使うなど、後のグリコへの犯行を予告するような内容であった。
このテープが届く2年前から、江崎グリコ常務宅に黄巾族と名乗る人物が手紙や電話で脅迫を続けていたという。
グリコ・森永事件の捜査本部はこの送り主の男をグリコ・森永事件の犯人グループの一味と断定して、犯人グループの一員と目された人物の声紋鑑定の材料にした。同時にこのテープの存在が犯人グループの過激派説の一因ともなった。
1993年(平成5年)末に兵庫県警が53年テープを1分ほどに編集して公開した。
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こう書かれる。《補強材料になっている》とか《説の一因ともなった》とか、ずいぶんといろんなものに張り付けられるセロテープみたいなテープのようだな。
《犯人グループの一員と目された人物の声紋鑑定の材料にした》
などともあるが、それってつまり、鑑定の結果、
「違う」
と出て、その人物を釈放するしかなかったっていうことなんじゃないの? にもかかわらず、やった刑事が、
「あいつだ。あいつが犯人の一味なのに間違いないんだ。鑑定なんかアテになるか!」
と言い続けてるということじゃないの? その昔にSMAPの草?剛が酔って全裸事件を起こして、尿検査で麻薬は出なかったというのに、
「尿検査などアテになるか! 家宅捜索だ。絶対に、麻薬が出るに違いない! それに絶対間違いがあるわけないんだからあるわけないんだ!」
とやったあの話みたいにさ。
ともかく、53年テープ。そして黄巾族うんぬん。茶服の記者が言う、
「これまでかなり、そのう、脅迫文でえ、そういうことについてですねえ」
というのは2通の手紙のことでなく、過去に常務に送られたそれを指しているんじゃないのか? 勝久氏誘拐から3週間のあいだにそれらの存在が、ほじくり返され新聞などに書かれることになっていた。今度のやつらと同一の者達なのに違いない。黄巾族がかつての脅しを実行しにやってきたのだ!
という話になっていた。この、
画像:茶服の記者
男がそういう話にしていた。そして火事を、まだなんにもわかってないのに、
「今度はまあ、それに輪をかけたもんであるかという」
という話にし、刑事部長の言質を無理に取りつけた。
のではないのか。ウィキはこの〈53年テープ〉とやらを、
《江崎の誘拐、グリコへの放火、青酸入り菓子のばらまき、連絡に新聞広告を使うなど、後のグリコへの犯行を予告するような内容であった》
と言うが、脅迫など大きな団体・組織ならどこでも何かしら受けそうなものだし、放火やトップの誘拐にしてもその手のものの決まり文句なのじゃないのか。青酸入り菓子のばらまきにしたって、1978年と言えばその前年に〈青酸コーラ〉や〈毒入りチョコ事件〉というのがあったばかりの時期だろう。
画像:青酸コーラ事件
画像:毒入りチョコ事件
画像:報道写真1978表紙
つまり誰でも書きそうなことだ。連絡に新聞広告を使うというのもまたしかり。この程度で同一グループと断定するのは根拠薄弱ではないか。
おれはそう思う。たとえば特に、黄巾族の話というのが結構人の知るところになっていたとしたらどうする。グリコの常務を脅迫する変なやつら、黄巾族。それがたとえばMIB(メン・イン・ブラック)とか、口裂け女やツチノコの話のように都市伝説化し一部に知られていたりしたら? ひょっとして『オレたちひょうきん族』なんていうのもそこから名前を取ってたりして。
いや知らないが、黄巾族の話が知られていたならば事情はまるきり違うだろう。のちに〈かい人21面相〉を名乗る者達は警察の留置場の中で『ひょうきん族』の話をするうち黄巾族の話になって、そこからイタズラ計画を思いついた、なんてこともあるかも……。
しれないじゃないか。というわけでこのへんで、この放火に関してのおれの考えをまとめよう。
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放火は〈かい人21面相〉一味でなく、誘拐事件の報道に刺激を受けた無関係な人間がやったことである。この当時にテレビでは識者ヅラした人間達が、
「江崎グリコという会社は、過去に相当悪いことをやっているとボクは見ますネ」
などと口々に言い、新聞、雑誌、そしてもちろん写真週刊誌〈フォーカス〉などがああだこうだと書きまくり。2度目の手紙で警察と江崎の身内に仲間がいるのが確実となった!という調子だ。
そんな報道にムラムラとした人間がやったことだ。大阪市内に住む人間で、数キロ離れたグリコ本社まで自転車で行って火をつけたが、しかし決して「ビルひと棟を燃やしてやろう」とか「人が焼け死ねばおもしろい」などと考えたわけではない。
ボヤを起こしてやるだけのつもりで、火をつけるとすぐにその場を立ち去ったが、しかしその場所がいけなかった。ウィキに、
《火元は工務部試作室》
とあるが、つまりお菓子かその製造機械を試作するところなのだろう。砂糖・小麦粉・油などを混ぜたものが大量にあったはずであり、ガス器具などもあったはず。それに火がつき、最初はなんということもなかったのだがやがて盛大に燃え上がることになってしまった。
といったところが真相でないか。けれどもそうと知らない男は、もうひとつの現場に行ってクルマに火をつけた。
〈彼〉はおそらく、第二の現場〈グリコ栄養食品〉からさほど離れていないところに住んでいる。ウィキはこの会社を、
《世間一般にほとんど知られていない》