端数報告4
カウンター越しにどおんとひとり撃ち殺せば、まあそれなりの札束は積まれるでしょうが、「殺人」の項でお話ししましたとおり、「強盗」は有期刑ですが、「強盗殺人」となりますと、無期懲役がふつう、まかり間違えば死刑にもなりかねません。仮に成功しても、後々仲間からは気味悪がられて、おいしい話にも混ぜてもらえなくなります。
画像:初等ヤクザの犯罪学教室表紙
とも書かれている。同じ理由で放火をする人間などは、おれが考える者達ならば避けて仲間に入れたりはしないだろうと思えるのだ。
それにどうも、一連の事件の中でこの放火だけ、単独犯の仕業っぽい。そして全体に素人くさい印象を受ける。同じ日に30分の時間をおいて2件の火付けを行っているが、一方がビルひと棟全焼の大火災であるのに対し、もう一方はクルマ一台燃えただけ。
結果に差があり過ぎる。これが意図的なものというのはちょっと変ではないか。
2点間の距離が3キロというのもどうか。なんらかの移動手段を使っているに違いないが、自転車か、原付バイクというとこじゃないか。やはりいろいろ他の件と性格が違うような気がする。
『犯罪学教室』には、
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少々古い話になりますが、かの「かい人21面相」などはこうした警察のウィークポイントをよく心得ていて、重要な行動に出るときは必ず大阪府警と兵庫県警の所管を股にかけています。兵庫でさらった人質は大阪で解放する、という具合です。
これをやられるとわが国の警察は必ず指揮権が混乱し、捜査行動が遅滞します。
画像:初等ヤクザの犯罪学教室表紙
こうも書かれる。兵庫県西宮市で攫った江崎勝久氏を監禁したのは大阪府茨木市。
画像:水防倉庫空撮
のちの森永脅迫では、ウィキに、
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二府二県青酸入り菓子ばら撒き事件
1984年10月7日から10月13日にかけて、大阪府、兵庫県、京都府、愛知県のスーパーやコンビニから不審な森永製品が相次いで発見された。江崎勝久が当時居住していた自宅のすぐそばにあるコンビニもターゲットにされた。
画像:江崎宅近くのコンビニ
こう書かれる。毒入り菓子を置いたのは大阪・兵庫・京都・愛知の二府二県。
もし彼らが放火をするなら、グリコ本社に火をつけると同時に兵庫か京都あたりの支社に仲間がやっても良さそうじゃないか。しかし、それがこの一件だけ大阪市内。
他の一連の犯行とまったく性格が違っている。そう感じるおれは頭がおかしいだろうか。
ウィキではさっき見せたように、
《世間一般にほとんど知られていないグリコの関連会社を知っていたこと》
を、
《グループの中にグリコに怨みを持つ者がいるのではないか》
という根拠のひとつにしている。警察もそれを根拠に怨恨による犯行だと断定したのか。しかし本社はひと棟全焼の大火災だが、世間一般にほとんど知られていないその〈グリコ栄養食品〉ってのでは、
《車庫に止めてあったライトバンが放火される。こちらはすぐに消し止められた》
というだけなんだろ。
それで「怨恨に間違いないな」ってのはちょっとおかしくないか。断定する前にもう少しよく考えてみるべきだったのじゃないか。
そう感じるおれは頭がおかしいだろうか。グリコの本社ひと棟全焼ながら死者もケガ人も出なかったと言い、それは幸いなことではあったが、ひょっとして警備員などが死ぬことになっていたかもしれないじゃないか。〈彼ら〉はそれを考えず火をつけたというのだろうか。それとも、グリコに対する恨みを持つ者達だから、警備員だろうとなんだろうと〈グリコの人間〉ということになり彼らにとっては〈死んでいいやつ〉ということになる。〈劇場型犯罪〉で〈愉快犯〉の犯行だからそんなことも平気でできる、ということになるのだろうか。
どうも一般にそう見られているようだが、おれはそんなのはおかしいと思う。そんなやつはプロじゃない。そういう見方で事件を見るプロファイラーがいるとしたら、そいつもプロのプロファイラーだとは言えない。アマチュアだ。と、そう思う。捜査本部の人間達が揃いも揃って犯人達を極悪犯ということにしたい眼でしか事件を見ていなかったから、あの事件は解決できなかったのじゃないのか。
特に内部関係者に仲間がいて怨恨と言うのなら、『機動戦士ガンダム』の〈赤い彗星〉のシャアがザビ家の人間の命は狙ってもそれ以外には優しいように、社内でお菓子作ったり社屋の警備や掃除などしてる人から仕事を奪おうとしないんじゃないのか。ましてや命を奪ったり、ケガをするかもしれないことをするのはおかしい。
と、そう思うのだが、まだある。だからそもそもが、放火というのは多くが道端のゴミに火をつけるといった調子のもので、結果的に人が死んでも犯人は凶悪犯でなかったりするのが多いものなのではないか。
やるのは小物、という話が多いものなのではないか。火が燃えるのが見たいだけで、家を燃やしてやろうとか、人を焼き殺そうとかいったことを考えてやるわけでない。ボヤを起こしてやるだけのつもりがときに大火事になったり、自分自身がヤケドしたり焼け死んだりすることになる。
そんな話を聞きませんか。おれにはNHK『未解決事件』とウィキの記述を見る限り、そんな小物による放火の典型のような感じがどうにもしてならないのだ。
素人くさい。アマチュアだ。と、そう感じる。グリ森事件の犯人達はプロだった。プロであるゆえ捕まらなかった。しかし放火はプロがやる犯罪でなく、アカウマは、たとえ何回犯行を重ねようともプロと呼ばない。変質者が変質行為を重ねているだけと言う。捕まりにくい犯罪だからなかなか捕まらないだけだ。
これはそんなアカウマ放火の典型のような印象を受ける。「印象を受ける」というだけだが、しかしまだまだもうひとつある。
〈かい人21面相〉の手紙だ。144通もあるというその中に、
「あの放火はわしらがやった」
と書いてるものがあるのだろうか。
あるいは、確かに彼らの仕業と読み取れる箇所があるのか? どうだろう。ウィキには、
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この事件で江崎グリコに次いで脅迫されたのは丸大食品であったが、当初この事実は合同捜査本部により伏せられ、3社目に森永製菓が脅迫された事件を毎日新聞がスクープし連続脅迫が発覚、社会に衝撃を与えた(当局は当初、便乗犯であり誤報だとの態度をとったが、その後犯人側の声明文で確認された)。事件が「グリコ・丸大事件」ではなく「グリコ・森永事件」と呼ばれるのはこのためとみられる。
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などという文があるが、放火についても犯人達が「やった」と書いているならば、同じように、
《声明文で確認された》
と書いていいはずである。そうでないということは、144通のどこにも「やった」と書いてないってことなんじゃないのか?
ならば、彼らがやったのではない見込みがあることにならぬか。この、
画像:茶服の記者
茶服の男は、刑事部長への質問で、
「これまでかなり、そのう、脅迫文でえ、そういうことについてですねえ」