小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

端数報告4

INDEX|56ページ/58ページ|

次のページ前のページ
 

電電無視無視真田虫


 
「いまコースの報告を聞いていて感じたんだ。……敵は、この線におれたちを誘っている。では、こいつは本命ではないんだ、とな。(略)やつらが金を下すのは、この線上のどこでもない。全く別の地点なんだよ」
「でも」と夫人はまた思わず口を挟む。「犯人がそう正直に書くもんですの?」
「書いている、とは言わなかったぜ。書いてない、と言ってるんだ。そこがおかしなとこなんだが、こいつら誘拐犯のくせに、へんに几帳面なとこがありやがるんだな。紛らわしいことは書くが、ウソは書かない。対面がそうだろ。中継車の行動は、事細かに指示しているが、よく読み返すと、その中継車の前に刀自を出現させる、とは書いてないんだな。だれだって当然そうなるものと思いこんでしまうが、やつらに言わせたら、おれたちが勝手にそうカン違いしただけだというかも知れん。こんどの指令も、書いてあることより、書いてないことのほうが重要なんだよ」
 
アフェリエイト:大誘拐
 
また『キツネ目』の話だが、この本ではグリ森事件犯人への著者の怒りが爆発している。たとえば、
 
画像:キツネ目70−71ページ
アフェリエイト:キツネ目
 
こんな具合だ。上に見せたように、
《森永製菓を目の敵にし、責め苛んだのは》うんぬん、《理不尽な怒りを爆発させたのである》
と言う。そうすか。でもって外国の作家の本からずいぶんな文を引用し、
 
《キツネ目の男にとって、卑しい犯行計画を拒否されたことで、無意識の層から顕在化した「自分自身の良心の苦痛」や「自分自身の罪の深さや不完全性」を抑え込むには、大企業である江崎グリコや森永製菓をねじ伏せ、悲鳴をあげさせ、要求したカネを払わせる必要があった。単にカネが目的の犯罪とは違った異常さが絶えずつきまとったのは、この男の倒錯した邪悪性に起因していたのである》
 
という持論に持っていく。うひゃひゃひゃひゃ、素晴らしい。なんと言うか、こんな人の、
 
画像:トニーたけざきのガンダム漫画72−73ページ
アフェリエイト:トニーたけざきのガンダム漫画
 
ヘイトスピーチのようではないか。でもってさらにその後に、見せたように、
《キツネ目の男を理解し、事件の全体像を掴むうえで欠かせないのは、企業やマスコミ、警察に送り付けた脅迫状や挑戦状の分析である》
と言う。うん、それはいい。いいけど、しかしさらにその後の、
 
《言語学者で筑波大教授だった芳賀純は、「脅迫文の分析と解釈―江崎グリコ事件から」のなかで指摘している。
「形式的面からの分析で……文章の間に共通点も多く、文の原型は怪人21面相と自称している犯人の手によって書かれたものと考えられる。また、その理由として、内容的側面から見ると……旧仮名遣いが用いられていること」「特定の知識を前提とした『ホームズ』と『怪人二十面相』への言及がなされている。以上から、書き手が複数であるというよりは1人であると考》
 
える」ってのは一体なんだ? そんなこと、別にわざわざ学者に教えてもらわなくても誰でも見てわかるだろう。このハガジュンという先生様は、簡単なことを難しい言葉を使って言ってるに過ぎない。
 
が、この事件を見る上で、〈彼ら〉の手紙をよく読むことは重要だ。今回はそんな話をすることにしよう。
 
『キツネ目』の著者は手紙を本の中で見せるたんびにいちいち〈彼ら〉を悪く書く。おれにはそこからこの人物の性癖が読み取れる気がするんだけども、最初のものが24ぺージの、
 
画像:キツネ目24−25ページ
 
これだ。詳しくは例によって本を買うか図書館で借りてほしいが、見せたように、
《文面から読み取れる性癖は、怒りに火がつくと見境がなくなり、偏執的なまでに攻撃性を剥き出しにする反面、妙に律儀な一面があり、異常なほどに面子にこだわるというものであった》
と言う。ふうん。一方で別のところに、
 
画像:キツネ目282−283ページ
 
《キツネ目の男は、詐欺犯のように、あることないことデタラメを述べるのではなく、自身が発した言葉にこだわり、意地でも言行一致させるところがあった》
と言う。そうかな。かなりデタラメなことも書いてると思うんだけど。最初の手紙に、
「けいさつにナカマがいる」
と書いたと思うと次の手紙で、
「ナカマはおらん」
だがまたすぐに、
「ナカマがおるんや」
という調子。読み手を翻弄する文章の連続で、天藤真の『大誘拐』のようにビジネスライクに事を運ぼうとするものではない。
 
画像:大誘拐173ページ
 
真逆だ。書くことはウソだらけ。けれどもその一方で、『キツネ目』の著者が言うように妙に律儀なところがあるように見えるのもまた事実である。嘘は書くけど本当の嘘は書かない。約束は守る。悪党には悪党なりの仁義があってそれに背くことはしない――そういう人間なのではないかと感じさせるところがある。
 
〈彼ら〉の嘘は人を騙すための嘘でない。嘘とわかっていいはずの嘘をいちいち本気に取ってギャーギャーわめき立てる、こんなような、
 
画像:加藤譲ちょっとでも肉付けしたいという思いで
 
バカがいて、それに乗っかり、
 
「創業者の江崎利一は生前何か途轍もなく悪いことをやっているとワタシは見ますね。誘拐だの放火だのされるのがその証拠ですよ。会社の内部や警察に仲間がいなけりゃあんなことができるわけが……」
 
アフェリエイト:レディ・ジョーカー
 
と考えてこんな本を書くバカがいる。おれはそう感じるし、『キツネ目』の著者も少しは認めていて上に見せたようなことを書いている。
 
書いてはいるが「だからと言ってなぜあんな?」というところに踏み込もうとはしていない。「いない」と言うか、見せたように外国のナントカ・カントカ・カントーカという作家の本から、
 
《「彼らは、ご立派な体面や世間体を獲得し維持するためには人並み以上に努力し、奮闘する傾向がある。……彼らに耐えることのできない特殊な苦痛はただひとつ、自分自身の良心の苦痛、自分自身の罪の深さや不完全性を認識することの苦痛である」》
 
なんて文を引っぱってきて「そういうやつ」ということにして、それで説明できたことにしてしまう。いかにも権威に寄っかかりなマスコミ人種らしいと言うか。
 
これを読んでわかった気になれる人はわかった気になれるかもしれんが、わかった気になるだけじゃないのか? この説明でグリ森事件の、この著者が言う、
《単にカネが目的の犯罪とは違った異常さ》
が本当にちゃんと説明できているのか? どうだろう。あるいは、
 
画像:福田充 こいつや、こいつなら、画像:NHKアナウンサー
 
   「社会不安型テロだったということですね?」
 
とか言って頷くのかもしれないが、実際のところ大抵の人に、
 
「〈キツネ目〉は無意識の層から顕在化した『自分自身の良心の苦痛』や『自分自身の罪の深さや不完全性』を抑え込むために一連の犯罪を行っていたのですね。単にカネが目的の犯罪とは違った異常さが絶えずつきまとったのは、この男の倒錯した邪悪性に起因していたのです」
 
なんて言っても、
 
   「ピンとこないな」
 
作品名:端数報告4 作家名:島田信之