端数報告4
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アフェリエイト:キツネ目
まず前回の補足と訂正からいこう。上の本には、
画像:水防倉庫内部
このように、グリ森事件の最初の社長誘拐の際に江崎勝久氏を閉じ込めた場所の写真が載っていた。見てほしいのは斜めの支柱で、鉄で出来てるのがわかりますね。勝久氏の片手かあるいは足首にでも手錠を掛けてこれに繋げば脱出は到底不能になるし、ロープで縛り直すまでは実際そうしていたのじゃないか。
それが補足1。もうひとつ、本の巻末に事件の年表があるのだが、1984年4月10日前後を見せると、
画像:関連年表1
こう。この著者は放火を〈彼ら〉の《報復》とするが、直後の手紙に8日の件の言及はあっても放火に触れるものはない。脅し文句を並べてもいるが、だからと言って「また火をつけてやる」というように、放火を〈彼ら〉のしたこととできる根拠になるものはここにないのがわかるだろう。
あったらこの著者がここに書かないわけがないこともわかるのじゃないか。何しろだいぶ一方的な憎悪を募らせてるようでもあるし。
詳しくは上の『キツネ目』をどうぞ。で、次に訂正だが、グリ森事件で内部犯行説の根拠として、ウィキに、
《(犯人らが)江崎誘拐における身代金要求の脅迫状で社長運転手の名前を名指ししたこと》
と書いてあることについておれは、
「〈彼ら〉は江崎家の裏庭に水銀灯のコンセントを外して潜み、一家を観察してたのだという。運転手の名前も何かそのようにして知ったわけだね」
と書いた。書いたけど、あの後に『キツネ目』を読み直して気づいたことに、スキャンして見せるが、
画像:キツネ目94−95ページ
このような記述があった。ご覧になればわかるように、
《指名された社長専属の加藤幸雄運転手は〜名が新聞で報じられていた》
とある。本を細かく見ていくと、いちばん最初の勝久氏を誘拐したときの手紙では、
《車には 北摂の道路に くわしい 会社の運てん手だけ のっておけ》
というようにだけ書かれて名指しではなかったものが、4月になって、
《金は 運てん手の加藤に もたせて》
などと書くようになっている。ならばその新聞の記事で〈加藤幸雄〉の名を知った見込みが高いことになるな。
もちろんまた、
《顔写真までは載っていなかったが、犯人側が顔を知っている可能性もあるということで》
とも書かれている通り、〈彼ら〉が事前の偵察で運転手の顔と名前を知っていた可能性も残るけれども、いずれにしても〈怨恨・内部犯行説〉がいかにいいかげんな根拠のもとに語られているかがあらためてわかるだろう。
てわけで、今回はその点を掘り下げてみたいと思う。ウィキにこいつがどう書かれていたかをここにもう一度見せるが、
*
元グリコ関係者説
江崎家やグリコの内部事情に犯人グループが通じていたことから出た説である。
具体的には江崎誘拐の実行犯が江崎の長女の名前を呼んだこと、江崎誘拐における身代金要求の脅迫状で社長運転手の名前を名指ししたこと、世間一般にほとんど知られていないグリコの関連会社を知っていたこと、江崎を水防倉庫に監禁した際に江崎に着せていたコートが戦前から戦中にかけての江崎グリコ青年学校のものと似ていたこと、グリコがすぐ10億円を用意できることを知っていたことなどである。ほかにも人質を取ったり放火したりしたことや、脅迫状ではグリコ以外の会社の社長を「羽賀」「松崎」「浦上」「藤井」と苗字で書く中で江崎社長のみ「勝久」と名前で書いていることなど他の企業を脅迫したときにはない特徴があることから、グループの中にグリコに怨みを持つ者がいるのではないかと言われる。
他にも53年テープの存在もグリコへの怨恨が原点にあるという説の補強材料になっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%BB%E6%A3%AE%E6%B0%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6
こうだ。江崎勝久氏を「勝久」と呼んでいたから内部の仕業。
いや、おれだって勝久氏をここで「勝久氏」と書いてるが、それはそれが適切だと思うからで丸大食品の当時の社長・羽賀孝(たかし)氏を「孝氏」とは書かないけどな。だが内部犯行説を信じる者は、言っても首を振るだけだろうし運転手の名が新聞に出ていたことを知らぬか知っても無視するのだろう。これらが内部犯行説の確かな根拠とされてしまう。
「創業者の江崎利一は、生前何かとんでもなく悪いことをやっているとボクは見るね。誘拐だの放火だのされるのがその証拠だよ。グリコ内部に仲間がいなけりゃ、こんなことできるわけがない」
と言ってカッコいい気でいる。それに向かって、
「そういうのを〈下司の勘繰り〉と言うんだよ」
と言うのも言うだけ無駄だろう。下司の勘繰りをする人間はゲスなのでげす。だから言うだけ無駄なのでげす。マスコミにかかるとしかしこういうゲス野郎が、〈識者〉と呼ばれてしまうわけだが。
画像:NHKアナウンサー「社会不安型テロ」
とこんなのに言わせるために。グリ森事件でグリコと森永は大きな打撃をこうむったが、おれに言わせれば犯人達よりマスコミが悪い。『キツネ目』を読むとその序章にそれがわかるまたずいぶんな記述がある。事件当時、この、
画像:まずしいけいさつ官たちえ
『グリコをたべて はか場え いこう』の手紙が出た直後に勝久氏の記者会見があったというのだが、前のページに、
《グリコ本社で開かれた記者会見は、率直な質問というよりは詰問調で、しかもその記者の舌先には棘があった。》
と書かれてその後に、問題の箇所をスキャンして見せるが、
画像:キツネ目16−17ページ
こうだ。詳しくはこの本を買うか図書館で借りてほしいが、おれがここで言いたいことはわかるだろう。
マスコミは当時勝久氏の弟が(ほら、「勝久氏」と書かなきゃわかりにくいだろ)事件と関わっていると疑う報道までしたらしい。でもってここに《読売新聞》と書かれているってことは、ここで《その記者》と呼ばれているのは、
画像:少しでも肉付けしたいという思いで
この記者だということじゃないのか。NHK『未解決事件』では、親しい刑事から他の記者の訪問を断ってまで、
「江崎社長の口が重いんは、マスコミ不信やとおれは思うとる。新聞が、グリコの内部犯行説だの、グリコへの怨恨だの書き立てたらそないになって当然や」
「犯人からの挑戦状、新聞に載せるなとは言わへん。せやけど、あそこまで大きく扱わんでも」
と言われても、
「ウチに言うなや」
としか応えなかった後のところに『はか場え いこう』の手紙が来たように描かれている。
で、どうやら会見と記事の後でまた刑事の家を訪ね、あらためて強い口調で、
「江崎社長は」うんぬんかんぬん、「せやから、グリコを追いつめんといてほしいんや」
と頼まれても、
「ぼくらは現場の記者で、記事の扱いは決められへんのや」
との論法で拒絶していた。だがなんとまあ、見せたように会見で、