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端数報告4

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不安療法をお勧めします


 
「さあ、帰ってきたよ、マイ・ディア」と白いコートを肩にかけた人物が窓から入ってきて言った。かなり泥だらけだ。だがあまり濡れてはいない。「入ってきたとき飛び出していったのは、だれだったのかね?」
「とても変な人。ミスター・ナッテルとかいう人よ」とミセス・サプルトンは言った。「ご自分の病気のことばかり話していて、あなたがたが帰ってきたら、さよならも言わず、詫びの言葉も言わず、飛び出していったわ。幽霊でも見たような様子だったわね」
「スパニエルのせいだと思うわ」と姪は落ち着きはらって言った。「あの人は犬が怖いんですって。昔ガンジス河の岸べで犬の集団に襲われ、墓地のなかに追いこまれ、新しく掘られた穴のなかで、頭のすぐ上から、歯をむき出しにし、よだれをたらした犬の群れにうなられながら、ひと晩を過ごさねばならなかったんですって。そんな目にあうとだれだって神経がおかしくなって当り前ね」
 
画像:サキ傑作選表紙 ハルキ文庫〈サキ傑作選〉より『開けたままの窓』大津栄一郎・訳
 
サキというのは20世紀初め頃のイギリスの作家で、若い頃にビルマ、つまり当時にイギリスが植民地にしていたミャンマーで憲兵をしていたという。つまり当時に南アフリカで若きガンジーを殴っていた、
 
画像:ガンジー1 2
アフェリエイト:ガンジー
 
こいつと同じことをしていたのだが、マラリアにかかってぶっ倒れる。そんな目にあうとだれだって神経がおかしくなって当り前だろう。帰国して作家になり、ここに挙げた『開けたままの窓』だとか『不安療法』といった話を書くようになった。
 
ガンジーと言えばインドであり、インドと言えばガンジス川だ。けれども我々日本人にとって、インドと言ったら何はともあれカレーである。上坂すみれさんが以前ラジオで〈インド人シェフ マツヤさん〉の話をしたことがあり、日本のどこかでカレーの店をやってるらしいがそれ以外はすべて謎。ツイッターに何やらいろいろ書いていたのが一部で評判になってらしく、上坂さんもフォローしていた。
 
という話だった。おれはそいつを直に読んだことはないけど、ラジオで語るところによればツイートの中に、
 
 
   《インドで野犬に噛まれるとかなり死にます》
 
 
というのがあったそうで、ああガンダーラ。そうさ君は気づいてしまった、安らぎよりも素晴らしいものに……という話だけど、おれの書棚に岡井耀毅・著『瞬間伝説 すげえ写真家がやって来た。』(KKベストセラーズ)という本があり、藤原新也という写真家がインドに行くとガンジス川で野犬が人の死体を食ってた話が書いてある。
 
おれも以前書いたように住んでる部屋の窓を開けると猫がやって来てニャーニャー鳴くので、
「これは、奈落の底をかけめぐる餓鬼が吠える、哀しい歌のようにも聞こえる」
などと考えながら毎日エサをやってるのだけど、あまりそいつをカメラで撮ってここに出そうとは思わない。やったところで見ておもしろい写真になるとも思えんしな。
 
が、一方で、
 
画像:ガンジス川の犬
画像:瞬間伝説表紙
 
この写真は50年前の日本で雑誌にカラーで掲載されてかなり評判になったらしい。インドと言えばガンジス川で、ガンジスと言えば人間の死体。そしてそれを食う野犬の群れだ。でもって前にちょっと書いたが、『図解感染恐怖マニュアル』って本にこの通り、
 
図解感染恐怖マニュアル188ページ
図解感染恐怖マニュアル表紙
 
インドでは毎年何万も狂犬病で、なんて書いてあるわけだけどそれってつまり、ウイルス持ちの野犬に噛まれて人間が死に、川に流されてその死体がまた食らわれて……という話じゃないのか。そういう国で、
 
「コロナで何万も死んでいます」
 
と言われてもそれがなんだよ、としか思わないおれは薄情な人間なのか、はたまた、
 
「それは〈波〉がそこにまで迫っているということですよね! 日本に来たとき何百万も死ぬっていうことなんですよね! うわあーっ! うわあああああああ!!!!!」
 
なんて具合にすぐ恐怖に支配される人間でないというだけの話なのか。
 
もちろん、学者という学者は「〈波〉がそこにまで迫っていて日本に来たとき何百万も死ぬ証拠だ」と言ってるわけで、あなたが立派な社会人ならそれを信じなければならない。おれは立派な社会人じゃないからバカが言うことは信じないが、最近のPC画面を開いてやると、たとえばこんな、
 
画像:首相「医療態勢の構築が極めて大事」
 
もんが出てきて、これを見て、
 
はん? 《首相「医療態勢の構築が極めて大事」》? こんなふうに書いてあるとまるで首相が医療態勢の構築が極めて大事と思ってるみたいに読めちゃうな、とだけ考えて気にせずいると、何日かして、
 
画像:妊婦入院できず新生児死亡、知事言及
 
こんなのが出る。《妊婦入院できず新生児死亡、知事言及》だって。おやおや、してみると、首相の「医療態勢の構築が極めて大事」ってのはコロナ以外の患者を診るな、入院させるな、という意味だったわけかしらん。これに対してどこの知事がなんと言及しているのか。
 
立派な社会人でないおれにはどうでもいい話なのでもちろん確かめていないわけだが、あなたがもし二十代の息子を持つ人だとして、あるとき知らない人間が電話をかけてきたとしよう。アナタの息子がえらい不始末をしでかしましてね、ただし今日じゅうに三百万円……。
 
「払うのならば先方はなかったことにしようと言ってくれてるわけですよ」
 
と言われて、
 
「そうか。今日じゅうに三百万円払えば相手はなかったことにしようと言ってくれてるわけだな」
 
と思ってしまったとしたらあなたはすぐに恐怖に支配されてしまう人間である。首相が言った「医療態勢の構築が極めて大事」というのも明らかにそれと同じで、まわりに「医療態勢の構築が極めて大事」と言う人間がいるものだから、その気になって、
 
「医療態勢の構築が極めて大事と考えます」
 
と言ってしまう。厚労省の役人が、言ったわけだな。「総理」と。
 
 
「総理。今日の東京の感染者は6百人だったんですが、マスコミには《4千人》と発表することにしました。全国で1万5千……」
 
「な、何? なんでそんなことを」
 
「嘘でも多く言いさえすれば、〈波〉が来てくれるはずだからです」
 
「人為的に〈波〉を起こそうと言うのかね。だが何人殺す気なのだ」
 
「まあできるなら、三百万ほど」
 
「サ、サンビャクマン! サキの『不安療法』だって、そこまで凄いこと言わないだろうに。君らはなんちゅー恐ろしいことを考えるのだ」
 
「〈波〉が来てくれないと立場がないのは、総理も同じですよ。おわかりでしょう。『なんとかして十万くらい殺せんのか。最低でもそのくらいは死んでくれんと』と毎日お言いになってきたではありませんか」
 
「そりゃもちろんその通りだが、三百万……」
 
「いえ、『〈波〉を起こす』と言っても、若い人間のほとんどはごく軽症で済むわけですよ。国民の大半はいちんちふつか熱を出すだけ」
 
「それじゃ意味がないんじゃないのか」
 
作品名:端数報告4 作家名:島田信之