端数報告4
「社長が監禁されていたのは、普段、地元の人間もほとんど出入りしない水防倉庫だった。社長は、三人の男に手足を縛られ、頭から袋を被せられていた。男達は、社長の家族の名前を挙げ、『逃げたら殺す』と脅迫していた。3日目の夜、男達は、突然姿を消した。その隙に、社長は自力で脱出した」
画像:水防倉庫空撮 脱出再現映像
と言うのだが、いろいろとやはりおかしい。
まず時間だ。ウィキでは、
《事件から3日後の3月21日14時30分ごろ》
なのが、番組は、
《4日》《4日目》
と言って、それが3月何日なのかは言わない。
脱出・保護が何時頃なのかも言わずに
《その隙に》
という言い方だが、これでは夜に男達が目を離したわずかな隙に逃げだしてから一日くらい、無人の荒野をさまよってでもいたように聞こえる。
あるいは午後でなく朝早くにでも保護されたかのように見える。事件発生は18日夜9時だから、これを〈1日目〉とすれば21日は〈4日目〉ということにもなろうが、拉致されてから保護されるまでウィキによれば65時間なのである。72時間経ってないのを「4日目に入った」とは普通言わないのではないか。
おれはつまらないことを気にしているか? しかしおれはこの番組をまず見たときに「4日」「4日目」と言うものだから、
「えーと、それは3月22日ということなのかな」
とカレンダーを眺めながら考えてしまった。普通に聞いたらそうなると思う。何しろ、
「誘拐されてから4日目か」
「社長は、もう……」
だ。この番組は、たとえばこんな、
アフェリエイト:96時間
映画のように、勝久氏に〈5日目〉はなく、隙を見て逃げることができなければ間違いなく殺されていただろう、とでも見る者に思わすような話の作り方をしている。
ように感じる。そしてこの時、72時間経過していて状況は絶望的と見られていた、というように。
が、実際は65時間。しかも犯人らはその前の晩に姿を消してると言うのだから、監禁時間は実のところ48時間程度に過ぎない。
勝久氏は犯人達が消えた後で逃げようと思えばすぐにもおそらく逃げられたのに、
《男達は、社長の家族の名前を挙げ、「逃げたら殺す」と脅迫していた》
から、翌日の午後2時まで十数時間もその場を動かずいたのじゃないのか。
つまり、《その隙に》という言い方はおかしい。事実を歪めようとしている。わずかな隙に脱出できねば勝久氏に命は決してなかっただろう、という話にしたいから時間をごまかし、曖昧にしている。だから「21日」と言わずに22日のようにさえ見える演出をほどこしている。
のではないのか。さらに、
《社長が監禁されていたのは、普段、地元の人間もほとんど出入りしない》
ところだった、というのも疑わしいものがある。確かに空撮映像の方は人の姿がまったく見えぬが、雑草も生えてるようすがないというのはどういうことか。
画像:水防倉庫空撮 脱出再現映像
一方で地上で撮られた方は雑草が青々としている。どうも空撮映像の方は、古いものから人が写っていないものを探した結果、誘拐から10ヶ月後の真冬に撮ったものだけしか見つからなくてそれを出した。そういうことじゃないのかオイ。NHKは、犯人達が勝久氏を、叫んでも悲鳴が誰にも届かぬ場所で残虐なやり方で殺す気だったに違いない、と見る者に思わす番組の作り方をしている。
のではないのか? 番組はさらに、
*
ナレーション「犯人は多くの遺留品を残したが、その捜査も難航した」
当時の大阪府警捜査一課長「大量生産・大量消費ですから、特定の持っている方を探す難しさ。さらにそれから犯人まで絞り込んでいく難しさですね。そういうものが結局……」
画像:トレンチコート スキー帽
なんて言ってこんな画を見せる。だがその後で、スキー帽はまあいいとして、コートについては、
画像:戦前の希少品
こんなこと言い出して、話が違いはせんか。どっちなんだ。大量生産だから難しかったのか。古い希少品だったからダメだったのか。
これがウィキでは、やはり内部関係者説の根拠として、
《江崎を水防倉庫に監禁した際に江崎に着せていたコートが戦前から戦中にかけての江崎グリコ青年学校のものと似ていた》
という記述があり、だから、
《グループの中にグリコに怨みを持つ者がいるのではないかと言われる》
と言うのだが、いやいや、どうでありましょうね。
結局のところNHKにせよウィキのまとめ人にせよ、そしてたぶん警察にしても、犯人達を〈グリコに怨恨を持つ者〉ということにしたがっていて、コートなんてものまでもその証拠にしたがっている。そう見るしかないんじゃないか。だがトレンチコートなんて、そもそもが塹壕で兵士が着るための服であってデザインは大体決まっているもんだろう。特に昔は厚いウールで作るものと決まっていた。
古いトレンチコートであれば全部が江崎グリコ青年学校のものと似ていることになりゃせんのか。犯人達がそのコートを勝久氏に着せながら、
「これはなあ、その昔に……」
と話していただとか、内側に、
〈江崎グリコ青年学校〉
と刺繍でもしてあった、とでも言うならともかく、こんなものが内部関係者による怨恨の証というのは相当に飛躍している。「怨恨による犯行」と思いたい者にはなんでも怨恨の証拠に見えるだけではないのか。
勝久氏は〈5日目〉に、ハダカの体にスキー帽とトレンチコートの惨殺死体で発見されるはずだった。そうだそうに違いない、とでも言いたいわけだろうか。犯人達はその気だったと? バカらしい。トレンチコートが本当にグリコ青年学校のものだったとして、それがハッキリ見てわからないようでは意味がないじゃないか。
それよりおれは、コートとスキー帽のおかげで勝久氏はハダカで拉致されながら寒さをしのげたことにこそ着目すべきでないかと思う。犯人達が少しは氏の健康を気遣っていた証拠と見るべきではないか。
コートが戦前のものと言うなら、戦後の物々交換の時代に米と換えられたものかもしれない。それを蔵から引っ張り出して、使っただけのことかもしれない。
古くてもう要らないものであったからだ。おれも軍の放出品のコートを一着持っててモノはいいんだが、袖口なんか結構傷むんだこれがまた。分厚いウールの生地だから、ジーンズの裾みたいに擦れちゃうのね。だからそいつも同じ理由で古着屋とかで安かったのを見つけて買っただけかもしれない。
画像:ピーコート
遺留品に必要以上にこだわって、意味など見つけようとするべきでない。と、いったところでこの勝久氏誘拐(正しくは略取)についてのおれの考えをまとめよう。
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犯人達は凶悪犯でなく、「でっかいことをやって世間をアッと言わせてみたい」と考えただけの小悪党の集まりである。勝久氏を狙ったのは「グリコの社長を攫えばグリコの看板が世界的に有名になる」と考えたからで、捕まっても刑務所の中で英雄になれる。そんな冗談の計画だった。