端数報告4
新聞も読まないわたくしですが
いよいよニーマーが登場する番になった――プロジェクトの責任者として総括し――めざましい実験の創始者としてスポットライトを浴びるために。彼が待ちわびていた日であった。
(略)
それから結びの一節で彼はこう言った。「ビークマン大学においてこのプロジェクトを担当したわれわれは、自然の創造の過ちの一つに挑戦し、われわれの新しい技術が優秀な人間を創造したことに深い満足をおぼえております。チャーリイがわたしどものところへやって来たとき、彼は社会からはみだした存在であった、友人もなければ世話をしてくれる親族もいなかった、正常な生活を送るための知力もなく大都会にたったひとりでおったのであります。過去もなく、現在とのコンタクトもなく、未来への希望もない。チャーリイ・ゴードンはこの実験前には、実在しなかったと言えるかもしれません……」
彼らをして、私が彼ら個人の宝物として新たに創造されたものと思いこませることに、なぜこれほどの憤りを感じるのかわからないのだが、これこそ――確信がある――シカゴ到着以来私の心の片隅で響きつづけているあの考えの木霊だった。立ちあがって、彼がどれほど愚かしい人間であるか示してやりたいと思った、彼に向かってどなってやりたいと思った、ぼくは人間だ、一人の人間なんだ――両親も記憶も過去もあるんだ――おまえがこのぼくをあの手術室に運んでいく前だって、ぼくは存在していたんだ! と。
アフェリエイト:アルジャーノンに花束を
人間としての生き方を知らぬ人間は人間でない、なんて話を前回にした。TVアニメ『スーパーカブ』の主人公・子熊という子は人間でない。親がないため親の愛情を受けずに育ち、他人との接し方がわからずまともに話しもできない。
そういう人間はある意味人間でないことになる。それが山梨の田舎町にたったひとりでおったのだが、ホンダの〈カブ〉を手に入れたのをきっかけにしてなんだかんだ――というアニメだった。正直に言ってあんまり出来がいいもんでもなかったが。
画像:七里ヶ浜駐車場
それでもまあ、かなり楽しめるところもあった。第6話で主人公が防波堤に腰かけて海を眺めるこの海岸は、
画像:クラップ・ゲーム・フェノミナン04
たぶんおれがおれの小説『クラップ・ゲーム・フェノミナン』にこう書いたのと同じところだ。今は小説投稿サイト〈ノベリスト〉に冒頭部だけ出しているが、
画像:クラップ・ゲーム・フェノミナン表紙
https://novelist.jp/88870.html
さて前回、子熊という子はアガサでミリアムなんて話を書いたけれども、この主人公とほんとに似てると思った人間は実は別にいたりする。『クラップ・ゲーム――』を書くとき参考にした本に米本和広・著『カルトの子 心を盗まれた家族』ってのがあるのだが、それには〈ヤマギシ会〉というカルト集団の中で育ったユカリ(仮名)という若い女の話が紹介されていて、
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ユカリは小学校一年のときにヤマギシに入れられているが、それまでも母親の愛情を感じたことは少なかった。(略)
ヤマギシ学園の子ども部屋に入れられ、係から「あなたは(両親とは別に)ずっとここにいるんです!」と強く言われたとき、子ども心に未来を悟り、「違和感を感じないようにして生きていこうと思った」という。
(略)
誰とも仲良くせずに集団に埋没する。中等部、高等部でも一貫してこの姿勢を貫いた。ユカリは十年間に及ぶヤマギシ時代の自分をこう分析する。
「ヤマギシでは仮面をかぶって生きてきたと思います。生きていくために精神的に防御し、自分を殺していた。そんな自分は嫌いだったし、人間すべてが嫌いだった。親友、友だちって、何かわかりませんでした」
高等部二年のときに、何でも話せる仲のいい子ができた。初めての友だちである。「その子と話していて、はじめて自分は自分の(ありの)ままでいいのかと思い、ふぁっとした気分になったことがあります」(略)
一人で暮らすようになったとき、ユカリは猛烈な孤独感に襲われた。
「あれほど一人になりたかったのに一人になるとものすごく寂しかった。スーパーに買い物に行きましたが、何を買っていいのかわからなかった。何が欲しいのか何が食べたいのか。それさえもわからなかった。取りあえず、洗濯バサミを買った。何もない部屋に戻って、ラジオをずっとかけていました」
アフェリエイト:カルトの子
などと書いてあったりする。
……のだけど、しかし、そいつはいいや。この本には〈エホバの証人〉の信者の子として育った子供の話なんかも書かれていて、それはこっちの、
画像:セントエルモの灯表紙
https://2.novelist.jp/68292.html
話のヒロインのネタにしたりもしてるのだけど、それについても、
アフェリエイト:よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話
このマンガを見てもらう方がいいだろう。人間としての生き方ができん人間は人間でない。人と話して相手の気持ちを考えもしない人間は人間でない。SF小説の名作として名高いダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』には〈ニーマー教授〉というキャラクターが登場するが、若い女を前にして、
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ファルマス大学から来た若い魅力的な臨床医が、私の精神遅滞の原因を解明しうるかどうか問いかけてきたとき、ニーマー教授がそれに答えてくださるでしょうと私は言った。
これこそ彼が権威を誇示するために待っていたチャンスであった。そして、われわれが知りあってからはじめて彼は私の肩に手を置いたのである。「チャーリイが幼時から患っているフェニルケトン尿症の病因が何であるかはわかりませんが――生化学的あるいは遺伝学的な異常な状態、おそらく電離放射性物質か自然放射能か、あるいは胎生期のウイルス感染か――それが何であれ何かが、不完全な生化学的反応を生じさせる、〈変性的酵素〉とでも言うべきものを作りだす欠陥遺伝子を発生させてしまうことになった。そして新たに作りだされたアミノ酸は、当然正常な酵素と競合して脳に損傷をきたしたわけですね」
その女は眉をしかめた。彼女は講義を聞こうとは予期していなかったのだがニーマーはここぞとばかりに話を続けた。「わたしはこれを〈酵素の競合的阻害〉と呼んでいます。その仕組の実例をお話ししましょう。欠陥遺伝子によって作られる酵素を、間違った鍵として考えてください、これは、中枢神経系の化学的な鍵穴には入るけれども、――まわらないわけです。間違った鍵があるから、したがって正しい鍵――正常な酵素――は鍵穴に入ることすらできない。鍵穴がふさがっている。結果は? 脳組織における蛋白質の非可逆的破壊」
アフェリエイト:アルジャーノンに花束を
なんてこと言うくだりがあって、こういうやつを英語のスラングで〈ナード〉という。前に『空想科学論争!』って本から、
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