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名前はアガサでミリアムなもーにゃ



フィッツジェラルド「(略)法廷で被害者のひとりのエプスタインに会ったよ。あの人は指二本と半分の手でこのさき生きていくんだ。裁判に持ち込めて、良かったが、終わりじゃない。エプスタインにとっては、有罪が確定しテッドが刑務所に入るまで終わらない。医療刑務所じゃダメだ。いずれ釈放され犯行を繰り返す」
ナタリー「わたしね、あなたが初めてテッドと面会したとき、戻ってくるか心配だった。テッドと同じように、あなたは怒りや恨み、まわりから裏切られたという気持ちを秘めてて、世の中に不満を感じてるから。でもあなたにはひとつだけ違うところがある。それはエプスタインさんの身になって気持ちをわかってあげられること。被害者の思いに寄り添って、期待に応えるために、テッドに立ち向かっていこうとするあなたの心は、他のどんなものよりも尊いわ」
フィッツジェラルド「テッドになくておれにあるものか」
ナタリー「確かにテッドは頭が良くて、いろいろな考えを持ってる。でもあの人の哲学には人間愛というものがないわ。それがすべて。あなたはエプスタインさんの手を握ることができる」
フィッツジェラルド「シンプルだな」
ナタリー「愛ってシンプルなものよ。さあ行って。自分の手で終わらせるの」
 
画像:マンハント番組タイトル マンハント:謎の連続爆弾魔ユナボマー第8話

いつだったか、以前ここに、
 
   *
 
どうもここんとこ毎日毎日、夜の11時50分くらいになると救急車がピーポーと音を鳴らして前の通りを過ぎていく。おれは東京の下町で小さな私鉄の駅近くに住んでるんだが、その後に零時過ぎると静かになって朝まで何も通らなくなる。
 
それがあまりに毎日なんで、なんだろう、厚労省のお達しで、人が死んでるように見せかけるために毎晩、一日の終わりにサイレン鳴らしてその辺をひとまわりしてこいなんて話になってんじゃねえだろうな。そんなことまで疑いたい気分になるが、皆さんがお住まいの町はどうですか。
 
   *
 
なんて書いたがその後やたらと救急車がサイレン鳴らして道を過ぎるようになり、朝から晩まで一日じゅう今やひっきりなしである。けれども前にこう書いた頃からおれは、《ピーポーピーポー》の聞こえ方がなんかおかしい気がしていて、だからあれにもああ書いたんだが、最近になってやっとわかった。
 
   ドップラー効果がない。
 
だった。おれがおれの部屋にいて、表の通りを救急車がサイレン鳴らして走り過ぎれば以前は必ず感じていたお馴染みのあの奇妙な感覚。別に説明は要らんだろう。あれだよ。あのドップラー効果が、救急車が日に何回通り過ぎてもまったく感じることがないのだ。
 
 
「ここ最近のサイレン音にはドップラー効果というものがないわ。それがすべて。あなたはエプスタインさんの手を握ることができる」
「シンプルだな」
「愛ってシンプルなものよ。さあ行って。自分の手で終わらせるの」
 
 
『マンハント』の最終回を見るにそのエプスタインて人は法廷に立ってカジンスキーに、
「爆弾で耳が聞こえなくなってしまった人がいたら、完全な沈黙の中で生きていってもらいたい」
と言ったらしい。どうしてドップラー効果がないのか、おれの耳がおかしくなったのでないなら答はひとつだろう。
 
   スピードを出してない。
 
だ。ある程度の速度をクルマが出さないとドップラー効果は生まれない。救急車がピーポーと何度サイレン鳴らして過ぎても、その速度を出してないならおれの耳は感じ取らない。患者なんか実はおらず、〈聞かせ〉のためにピーポーと住宅街を流しているなら速度は自転車が走る程度。なんてことになるがためにおれは2ヵ月ばかり前から、
「どうも《ピーポー》の聞こえ方がなんか変な気がするなあ」
と思うことになっていた。
 
のではないかと考えているところなのだが皆さんがお住まいの町はどうですか。それと言うのも《ピーポー》の音とは別にまた例の隣に住んでるおばあさんが、
 
「コロナのワクチンって役所が案内送っても接種を受けに行く人あまりいないらしいね。予約しても後でキャンセルする人までいるらしいよ」
 
なんて話している声がまた壁越しに聞こえるんだが、これもやっぱりおれの耳がおかしくなったのでないなら答はおのずと明らかだろう。ちょっとでも頭がマトモな人間ならばワクチンなんか射たずに済ますか、人に聞かれて、
「射ちました」
と応えるけれど射たないでいる。あなたに番がまわってきてもそうするのが利口だ。どうせ、全部がデマであったことが判明してこの〈禍〉は終わる。
 
それ以外では終わりようがない。世の税金泥棒やマスゴミにとってこの〈禍〉は天の恵みだから、どこどこまでも〈聖戦〉を続けようとする。〈ミスター・グリコ 加藤譲〉の〈肉付け〉に決して終わりがないように、コロナが消えてもまだいることにするのは簡単なのだから、
 
「第一回目のワクチン接種は失敗に終わりましたがこれからです! 次のワクチンで今度こそ! インドやイランでまだ死者が! 東南アジアでまだ死者が! これはすなわち〈波〉がすぐそこまで迫っているということであり、日本に来たとき人類が滅亡するということで、止められるのはワタシだけ。ワタシだけが世界を救えるということなのです。わかりますよね。わかりますよね。ワタシがテレビで語る言葉。その言葉の力だけがセカイを救えるということを! だからワタシです。ワタシなのです。この〈禍〉が終息したときに、終わらせたのはワタシであって他の誰でもないことを決して忘れないでくださーいっ!!!!!!」
 
とやるのは実に簡単なことで、肺炎で年に世界で百万人が死ぬのは当たり前だからいつまでも続けられる。百万の死を二百万や三百万や、一千万に水増しするのも簡単だからいついつまでも続けられる。権力を持つ人間はクルーセイダーになりたがり、一度始めた〈聖戦〉をみずから終わらすことはない。
 
だが、すべての聖戦が常にそうあるように話の全部が最初からおかしく、完全に狂っている。続ければ続けるだけ綻びが出て広がっていく。「新型コロナウイルス感染拡大防止の観点」という言葉に人間愛はなく、他人の言葉でしか物事を話せぬ者に世の中を救うことなどできはしない。
 
ただ偽善により肥え太るだけだ。グリ森事件が解決できなかったのはなぜか。それを追う者に人間愛がなかったからだ。未だその謎が解けていないのはなぜか。それを語る者に人間愛がないからだ。おれはセオドア・カジンスキーと同じように、怒りや恨み、まわりから裏切られたという気持ちを抱いてて、世の中に不満を感じている。おれがネットに何を出しても読む者がみな盗用を企むのにウンザリしてる。もう何年も。「絶対に成功しねえよ」とどれだけ言葉を尽くして述べてもまったく無駄であることに。
 
それが人間だ。救いようのなく愚かな生き物。けれども、だから〈かい人21面相〉が、
「わしら、もう飽きてきた」とか、
「『怪人二十面相』でも読んで頭を良くしたらどうだ」
「そろそろやめまひょか。仕方ありまへんな」
「あんたら忘れっぽいな。わしらみたいなワルをほっとったらあかんで」
作品名:端数報告4 作家名:島田信之