端数報告4
と言うもんだから捜査を打ち切ることになり、言い訳のために1時間のテープから放火だの青酸入り菓子のばらまきだのと言ってるとこだけつないで出した……。
ってのが真相だったりしねえの? おれは『レディ・ジョーカー』も、
アフェリエイト:闇に消えた怪人
このなんとかいうやつも読んでないから知らないけどさ。
――と、いったところで後は簡単にいこう。まず〈宮崎学説〉だが、ウィキでは、
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犯人グループの一人と目されたキツネ目の男に酷似していること、過去にマスメディアを操作して警察と敵対したこと、会社を倒産させて借金を抱えていたこと、地理的条件やアウトローとの人脈から疑われたが、アリバイがあったことと物証がなかったことから、捜査が打ち切られた。宮崎学は『噂の真相』1985年10月号で事件に関して語り、その後も1996年(平成8年)に出した自伝『突破者 戦後史の陰を駆け抜けた五十年』で触れたり、『グリコ・森永事件最重要参考人M』を著したりするなどした。宮崎の友人の大谷昭宏は『グリコ・森永事件最重要参考人M』や同時期のテレビ番組で、宮崎のことを犯人として疑い、宮崎からの反論を受けた。後に大谷は2005年に出演したテレビ番組の中で、「実はまだ少し疑っている」という旨を笑い話として述べた。大谷は2007年(平成19年)6月に発行された『こちら大阪社会部+α社長誘拐スクープ編』のあとがきでも、同じ趣旨のことを述べた。
しかし、丸大食品事件とハウス食品事件でキツネ目の男を実際に2度にわたって目撃した唯一の捜査員は、手記で「一時期話題になったM氏など論外です」と宮崎学説を一蹴している。
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だって。まあそれっぽいと言えばそれっぽい感じの人ではありますね。
でもそれだけ。次が〈北朝鮮工作員グループ〉だが、ウィキでは、
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事件終結後に産経新聞1997年(平成9年)7月4日付朝刊や『週刊文春』で報じられた、捜査線上で浮上した北朝鮮の工作員関係者のグループである。53年テープの声に似た兵庫県の貿易会社社長が北朝鮮の非合法活動の黒幕的存在で、その周辺にキツネ目の男やビデオの男によく似た人物がおり、江崎グリコ社長を恨む北朝鮮工作員との証言がある考古学者もグループに属していた。犯人グループがグリコに要求していた100kgの金塊を持っていたことから、捜査が行われた。ただし、これは北朝鮮の国家的謀略というものではなく、北朝鮮の金鉱山への開発投資に失敗して金策に困った北朝鮮工作員のグループの犯行ではないかというものだった。しかしグループの中心とされた社長は1987年(昭和62年)にすでに死去しており、1998年(平成10年)に行われた首謀者と目された人物の声紋鑑定やグループ内でキツネ目の男やビデオの男と疑われた人物の面割捜査で、別人であるという結論があり、捜査が打ち切られたという。
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だって。これもなんだか『ウルトラセブン』の『狙われた街』みたいだな。
次が〈元暴力団組長グループ〉だが、ウィキでは、
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1990年(平成2年)ごろから捜査本部がターゲットに絞ったのが、暴力団の元組長の実業家を中心とするグループである。元組長が1979年(昭和54年)にグリコから5億円を脅し取ろうとして拒否された過去があること、元組長の銀行口座に被害にあった企業の関係者から3億円の入金があったこと、犯行に使われたのと同種の和文タイプライターやタクシー払い下げ車輌を親族が所有していること、グリコに恨みを持つ人物が周辺にいたこと、53年テープに登場する人物と接点があることなどが疑惑の根拠となった。捜査本部は1992年(平成4年)3月に元組長を始めとするグループに任意同行を求めて事情聴取を行ったが、容疑を認める者は誰もおらず、物証もなかった。主要なメンバーにはアリバイもあった。捜査本部が最後に総力を挙げて取り組み、グリコ・森永事件の捜査史上最大とも言われるこのグループへの捜査だったが、これをもって事実上グリコ・森永事件の捜査は終了した。
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ですって。これも『ウルトラセブン』の『史上最大の侵略』と言うか。
そんなところである。ではずいぶんと長くなったが最後におれの〈プロレス説〉を総まとめすることにしよう。
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グリ森事件は〈事件〉と言うより〈騒動〉である。〈劇場型犯罪〉と言われるが、社会を劇場にしていたのは犯人達より読売新聞の〈ミスター・グリコ〉と呼ばれた記者・加藤譲によるものが大きい。この男こそ真犯人、と言って悪ければ〈騒動の張本人〉と呼ぶべきだろうか。この人物が仮面ライダー気取りで事件に取り組んだため、社会が〈ミスター・グリコ対かい人〉のヒーローショーの劇場にされ、国民みんながその観客にされてしまった。
というのが真相だ。実際には犯人達は「でっかいことをやって世間をアッと言わせてみたい」と考えただけの小悪党の集まりで、決して凶悪犯でなかった。グリコの社長を攫ったのはグリコの社長を攫ったら道頓堀のグリコのネオン看板が世界的に有名になり、自分達は刑務所の中で英雄になれると考えたからだった。
しかし、加藤がそれを怨恨と決めつけてしまう。加藤ひとりに限るまいが、特に加藤がボックス閉鎖の逆恨みをぶつけた記事を書き出して、読売新聞の上層部がそれを大きく扱い出す。レクに出ることのない読売は週刊誌やスポーツ紙と変わらぬイエロー新聞となった。
大手の読売がそうなったことで、他の新聞やテレビのニュースも追随し、怨恨説や内部犯行説が言い立てられ、
「江崎グリコという会社は過去に相当に悪いことをやっているのに違いない」
という話が作り上げられてしまう。
が、中でも読売だ。犯人からの2通目の手紙「けいさつの あほども え」はむしろ、その流れを変えたいと〈彼ら〉が考え書いたものであったのだが、加藤はそう思わない。加藤に限らず、世の〈識者〉を自任する当時の言葉で〈ピーマン〉と呼ばれた頭がカラッポな人間達は、
「グリコの内部にも警察にも仲間がいるのがいよいよ確実になりましたネ」
などと言い出す。バカである。その者達の全員に、のちに起きてしまうことの責任があると言えるだろう。
まずは次に起きる放火だ。犯人らでなく、その者達のせいで起きる。やったのは事件報道に刺激を受けた無関係なアカウマで、ボヤを起こすだけのつもりが本社の方は大火災になったのだが、警察は根拠らしい根拠もなしに同一犯の犯行だと決めつけてしまう。そこには兵庫県警から捜査の主導権を奪おうとする大阪府警本部官僚の醜い欲望があった。
画像:四方修(いやそんなことないよ)
うるさい。警察が見当違いの線を追いかけだしたと知って、〈彼ら〉は当初の目的を変える。グリコから億の単位のカネを脅し取れるでこれは。ただし裏取引でなければあかんやろけどな、と言うので3通目の手紙「まづしい けいさつ官たち え」が書かれた。致死量の毒を入れた菓子を全国にバラまかれたくなければ、追って指示する場所へ警察に報せずにカネを……。