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「ほんのちょこっと街ある記」5/北九州、鹿児島、下関

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鹿児島本線の「門司駅」を駅前から見ると、どことなく昭和を感じさせる佇まいでした。駅舎の2階の通路から見ると、引き込み線なども含めて線路が30本ほどもあり「鉄道の街」を感じます。
 
門司の街の規模からみると、30本ほどの線路は貨物の集積地域であることをうかがわせます。国鉄時代に九州の鉄道全体を束ねていた「門司鉄道管理局」と言うのは、現在では存在しないでしょうね。
 
ところで、門司港駅などの歴史を感じさせる周辺エリアは「門司港レトロ」との名称で人気を得ています。海に面していない佐賀市民から見ると、港町というのは憧れの対象として独特の雰囲気を感じさせますね。
 
佐賀市から遠くない所だと、長崎市や佐世保市があります。(福岡市は大きすぎて港町とは思えませんが…。)門司に関しては、対岸に下関市と言う個性的な街と相まって、関門大橋を含めて全国的にも珍しい景観です。
 
レトロ地区は、歴史ある建物など特異なアイテムを持っている強みで、1度は訪れてみたい…と思わせます。すでに観光地として市民権を得ているのは、独特の雰囲気を活かすような観光戦略があったからでしょう。
 
【若松】
済みません、今回は日帰りでもあり、若松地区には時間的に行けませんでした。
機会を見つけて行きたいと思いますが、やはり北九州市全体のエリアをよく知らないのもネックです。
 
戸畑駅から若戸大橋がしっかり見えたので、それなりに街の一体感はあるので行かない訳にはいきません。ちゃんと全体の地図を再確認して、「この地域はあの付近だ…」と頭に入れて出かけることにします。
 
 ―――――――――――
 
関門海峡を隔てた下関市は、特に門司地区との関連性で、まるで北九州市の一部のようにも見えます。北九州+下関=「関門地域」として一体感を感じさせるのは楽しいですね。
  
下関市の人口は27万人ほどで、特に大きな街ではないのですが独特の存在感はあります。若松地区に行けなかったので、近々のうちに戸畑・小倉を含めて下関とセットで行く予定を立ててみます。
 
 
 
 
【鹿児島市】平成28年2月
 
◆鹿児島市(人口 約60万人)
 
鹿児島市は人口約60万人を擁し、政令指定都市に準じる規模の街です。
私としては30年以上も前に出かけて以来のご無沙汰なので、1泊で出かけることにしました。鹿児島中央駅に午後3時前に到着、駅舎の上の観覧車は実際見てみると珍しいですね。

エスカレータを降りた駅前の広場には高さ5〜6mほどの人間群像のモニュメントが目に入ります。駅前の広場などには、土地ゆかりの偉人や有名人などを設置するのが普通でしょう。
ところが鹿児島中央駅前には、若人14〜15人ほどの群像があり、英国に密航したメンバーとされます。幕末時の日本では、海外渡航はご法度だったと思われるのに、青年たちの勇気と功績を見るようでした。
 
駅前から5分ほど大通りを歩くと、甲突川沿いの小さな公園に大久保利通の銅像が見えました。河畔の小さな緑地に立っていますが、高さは結構高かったものの何だかひっそりとしていました。
 
西郷隆盛と同様に明治維新を牽引した人物にも関わらず、西郷のように有名な銅像ではありません。大久保と言えば、西郷とはある意味対照的な波乱万丈の人生を送った傑物と言えます。
 
明治維新を推し進めた人物として、西郷、木戸孝充と並んで「明治の三傑」と言われた人です。その知名度・貢献度から考えても、鹿児島市にしては扱い方が寂しく少し意外でした。
 
大久保の銅像がある駅前の大通りを街の中心方面に歩くと、路面電車が走る大きな街並みになります。さすがに政令指定都市に準じる街として、街の姿や建物などは期待どおりでした。
 
桜島が噴火する時は、風向きによっては火山灰が堆積して街中が灰だらけになると
のことです。降灰の時は市民生活にも影響が出るんでしょう、自然災害が少ない佐賀では考えられない状況ですね。
 
そんな場所なのに大きな街がよくできたな…と感心しながらの街歩きでした。その日は鹿児島中央駅周辺から中心地の天文館近くのホテルまで20分ほど歩きました。
 
宿泊するホテルが大通りに面していたので、夕暮れ時にはホテルにチェックイン。開荷後にホテルのスタッフに天文館の場所を確認して、夕食を摂るために繁華街へ出かけました。
 
天文館のアーケード内で、店の入口にメニューの写真が沢山載っている大衆的な店で食事。その店には地元の食材やお酒もあり、値段が表示されていて予算を考えるとそんな店が安心です。
 
翌朝もよく晴れて、8:30頃にはチェックアウトして予定通りに行動出来ました。
慣れない鹿児島市でしたが、まず鹿児島に来たらぜひ行ってみたい場所がありました。
 
そこは薩摩藩が幕末期に取組み、金属加工などの技術的な成果物を展示してある「尚古集成館」です。当時の佐賀藩と同様に、西洋化へ向けていろんな先進技術・物づくりに取り組んでいます。
 
私の街歩きの基本行動として、その街の形を見ながら歩くのですが、集成館はさすがに歩くには遠かった。地図で見てみると5km以上もあって、訪れる方法は路線バスなどを利用しようと思っていました。
 
まだ寒さが残る道路を30分間ほど歩いていると、大きな鳥居が目に入りました。それは照國神社の鳥居で、すぐそばには島津斉彬公と島津久光公などの銅像が並ぶように立っています。
 
その鳥居から大通りの方へ200mほど歩くと、通り沿いにあの有名な西郷隆盛銅像を見つけました。西郷さんの銅像からさらに100mほど離れて周遊バスの停留所があり、「おいでおいで!」をしています。
 
鹿児島市には市内を周遊するバスがあり、そのバスを利用することに…。バス停からは小松帯刀の像も見え、それほどあちらこちらに銅像があるのが鹿児島市なんだと思わせます。
 
周遊バスに5〜6分ほど乗車して、小高い場所になっている城山公園で一時下車しました。城山公園から桜島と鹿児島市内の景観を見るためで、写真などでお馴染みの景観はさすがでした。
 
全国の都市や観光地には、このような街を巡る公共交通機関があちらこちらにあるようです。もちろん有料ですが路線バスとは違って安く、一律料金なのが分かり易くて嬉しいですね。
 
尚古集成館は薩摩の技術歴史を紹介する資料館としては、予想より小規模でやや期待外れでした。その代わり、周辺の庭園(仙巌園)敷地はなかなか立派な設備で、目の前の桜島の威容が印象的です。
 
集成館前のバス亭から再び周遊バスに乗車、15分ほどで市内中心部の山形屋前に着きました。山形屋周辺は路面電車が走り、何となく一昔前の繁華街を感じさせる古さがあったのが良かったですね。
 
あっちに行こうかこっちに行こうか、その周辺は街路図を見ないとなんだか迷いそうでした。その中心街周辺から、こっちが鹿児島中央駅方面かな…と思われる方向に彷徨!

10分ほど歩いているうちに、西郷隆盛と弟の従道の生家という石碑に行き当たりました。私としては特に目指していた場所でもなかったので、何だか得した気分でした。