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ほんのちょこっと街ある記 3/名古屋、伊勢、奈良、神戸、姫路

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パワースポットと言えば聞こえが良いが、そんな場所は全国にはたくさんあります。江戸時代から続く「お伊勢さん参り」とは、「遊興と娯楽で息抜き」の場所だったかも知れません。
 
初めて行った伊勢神宮ですが、「なるほど、なるほど…」と思わされることが本当に数多くありました。ただ、あまりに有名でしかも高尚なので、私が思惑を書くのもはばかられます。
 
神社の最高峰である伊勢神宮が観光地化して、世間で言われる「ありがたみ」はどうなのでしょう。「行ってきたよ〜」との報告のために行くのでは意味ないと思いますが…。
 
しかしさすがに門前町の「おかげ横丁」は歩いてみて、他とは一味違う雰囲気があります。そこが伊勢神宮のネームバリュー、「一度は訪れるところ」としてはずせない重みがありました。
 
伊勢神宮から宇治山田駅まではバスで15分ほど、その宇治山田駅の建物の姿は良かったですね。天皇家が参拝の際に利用されるからなのか、普通の駅とは趣が違うと思わせます。
 
さて、宇治山田駅から奈良方面に行くのには、やはりもう一度近鉄電車を利用。近鉄郡山駅へ行くには一度乗り換えましたが、慣れていないとは言え、予想よりも時間がかかりました。
 
宿泊の予約をしていた大和郡山市のホテルへ。(そこは結婚式場も兼ねたチャペル風外観のホテルでした。)着いた時は日没後で、さらに商店街の狭い道を「この道で大丈夫かな?」と思うくらいの路地風の道です。
 
薄暗い中を20分ほど歩いて、やっとホテルに到着した時はホッとしました。後で思えば、スマホのナビがなかったら不安でたどり着けなかったかも知れません。
 
奈良市内のホテルの予約が取れなかったので、近隣の大和郡山市内で見つけたホテルでした。夜の食事がコース料理だったのが、せめてもの救いだったでしょうか。
 
 
◆奈良市(人口約35.5万人)
 
大和郡山市で泊まったホテルのすぐそばにJR大和郡山駅があり、奈良駅まで約15分で到着です。私が20〜21歳まで過ごした奈良市ですが、48年ぶりの訪問になりました。
 
私がいた頃のJR奈良駅前はもう少し街のようにも思えましたが、昔の姿をよく覚えていません。48年前の「近鉄・油坂北町」駅の面影はなく、駅の近くにあった下宿先の花屋さんもお休みでした。
 
近鉄奈良駅の一つ手前は油坂北町だったのが、その名称は「新大宮」駅となっていました。いつ頃に変更されたのか知る由もないのですが、埼玉県の大宮を思わせる駅名ですね。
 
さて、近鉄奈良駅方面へ歩いてみると、アーケード街などはあまり変わっていなかったように感じました。
アーケード街を通り抜けた「猿沢の池」の周辺も昔に比べてすっきりと整備されていたようです池の雰囲気は48年前とほとんど同じでも、池を囲むような階段はなかったと思います。
 
そのまま、猿沢の池のそばにある興福寺の五重塔を経由して奈良公園へ。相変わらずの鹿たちのお出迎えで、愛嬌をふりまいている姿にはニッコリさせられます。
 
鹿たちはもともと春日大社の神の使いとされており、昔から保護されています。今は1,200頭ほどが国の天然記念物として生息している一方、毎年100頭前後が交通事故などの被害に。
 
ただ、6月頃には毎年200頭ほどの子鹿が誕生しているので、全体の個体数は漸増しているとのことです。奈良公園ではイベントなども開催されて、相変わらず市民の憩いの場としての役割を果たしています。そして当然のことですが、奈良公園に隣接している東大寺を訪れました。
 
女房殿は初めて大仏様とご対面。大仏殿も含めてその大きさに圧倒されたようです。私は過去に2〜3回拝殿の経験がありましたが、久しぶりに見て改めて「大きいなあ!」と見上げました。
 
奈良の大仏は「盧舎那仏」と呼ばれ、宇宙をつかさどる「大日如来」として建立されています。仏教の話は「奈良・付記」の段に回すとして、奈良の大仏殿は世界一の木造建築物として君臨しています。
 
過去において2度焼失しているようですが、今の大仏殿は江戸時代中期に再建されました。あの大規模な木造建築物を建立する技術はすごい、それも最初は奈良時代になされたことに感服します。
 
大仏殿から裏に回ると東大寺の倉として建てられた、高床式・校倉造りで有名な「正倉院」があります。外観は無料で拝観出来ましたが、私たちが行った時は中には入れませんでした。
 
東大寺の裏にある正倉院周辺は古い壁通りのイメージが一部残っていますね。
ほんの少しですが、何となくタイムスリップした感覚が味わえます。
 
さて、奈良の街も歩いたし、神戸まで行く途中でどこかに1ヵ所は立ち寄ることにしました。私は大阪の「アベノハルカス」を見てみたかったのですが、女房殿は特に興味なし。
 
それよりも、姫路城とともに日本で最初に世界遺産に登録された法隆寺がある斑鳩へ。奈良駅で調べると「法隆寺駅」があったので、JRで法隆寺駅へ行くことにしました。
 
ところが法隆寺駅から法隆寺まで2kmほどもあり、歩くか、それともバスに乗るか。駅にはコインロッカーがなく、荷物を駅のすぐそばの荷物預り所に預けて歩くことにしました。
 
法隆寺に着くまで予定より時間を食い、神戸までの時間を考えて残念ながら中には入りませんでした。しかし外観を見ることが出来ただけでも良かった。

 
◆神戸市(人口 約152万人)
 
法隆寺駅から天王寺駅→大阪環状線→大阪駅を経由して神戸・舞子駅まで約1時間30分。天王寺駅を通過する時は「アベノハルカス」を一目見ようと窓から探しても分からず、残念でした。
 
大阪〜神戸市街地も通過して目的地の舞子駅へ着いたのが午後5時過ぎ頃。高校の学年同窓会の会場が「舞子ビラ」と言うホテルで、舞子駅からのシルバスがありました。
 
着いてみたらかなり立派なホテル、私にとって普段はなかなか寄りつけないレベルでした。リゾート地の高級ホテル…と言ったきれいなホテルで、幹事さんたちのセンスが良かったのでしょう。
 
ホテルの部屋に荷を解いた後、私はホテル内の会場で同窓会に出席。女房殿は神戸の知り合いと連絡を取りあって、迎えに来た知り合いの方と一緒に出かけて行きました。
 
さて、翌朝眺めたホテルの窓からの景色は、目の前の海が素晴らしい上に明石大橋が見えるロケーション。
ただ、神戸の市街地からは離れた場所で、その時は結局神戸市の街並みを見ることは出来ませんでした。
 
私は、平成7年1月の阪神淡路大震災が発生した約3週間後に神戸を訪れたことがあります。佐賀県社協から派遣されたボランティアとして神戸・須磨区の鷹取中学校の教室に一泊しました。
 
その時は鷹取中学校で1日いろいろ活動し、翌日の午後から姉夫婦が住んでいた東灘区へ。まだほとんどの電車区間が不通だったので、被災状況の確認をしながら約10kmの大半を歩きました。
 
復興するのに50年はかかるだろうと言われた神戸の街ですが、見事10数年でほぼ復活しました。そんな思い出がある神戸の街、大震災以来の神戸だったので、街の姿をきちんと見れば良かった。