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ほんのちょこっと街ある記 3/名古屋、伊勢、奈良、神戸、姫路

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名古屋市・伊勢市・奈良市・神戸市・姫路市】平成27年10月
 
◆名古屋市(人口 約232万人)
 
名古屋市は、数年前まで私にとって何とも中途半端な場所でした。
 
中途半端とは、東京・横浜地域〜大阪・神戸地域との中間に位置していること。私が東京在住の頃(昭和46〜48年頃)は関西方面へ行く新幹線の窓から見るくらいでした。
 
その頃はまだ街の姿を見ることにそれほど興味がなかったのか、途中下車をしたことはありません。もちろん大都市であることは分かっていたので、今考えればもったいない。
 
戦国時代から江戸時代初期の頃、歴史的な背景から考えても、京都・大坂と並んで重要な地域でした。私が長い間、最も気になっていた街ではあったものの、訪れる機会を逸していたようです。
 
私の中ではそんな名古屋市ですが、平成25年に次女が福岡市から名古屋市に転勤になりました。名古屋市が突然身近に感じられ、少しは名古屋のことを知りたい…と言う気持ちが湧いてきました。
 
今回初めて訪れたセントレアから次女へ電話、指定された場所は、電車で30分ほどの「金山」と言う駅でした。お昼頃に次女と待ち合わせ、その日の午後は女房殿と3人で名古屋城と熱田神宮へ出かけました。
 
名古屋城はさすがに日本三名城の一つで、威風堂々とした佇まいは一見の価値があります。東門入場口から本丸御殿入口まで歩いて10分以上、ゆったりした雰囲気は良いですね。
天守閣は鉄筋コンクリート造り、数年後に建立当時の木造の姿を再現する旨の案内がありました。と言うことはこの立派な天守閣を一度解体して、また最初から建造するのでしょうか。
 
資料によれば、今の天守閣は第2次大戦中の名古屋大空襲で本丸御殿と共に焼失しています。昭和34年に「二度と燃えないように」との願いでコンクリート造りにしたとのこと。
 
エレベータも設置されていて、障害がある人も入場できるようになっています。今更ながら昔の木造に戻したら、エレベータの設置は無理でしょう。
建立当時の木造と言っても、結局は本物ではなく「レプリカ」です。せっかくバリアフリーにしているのを破棄するのは時代に逆行しているように思えますが…。
 
さて、1時間以上かけて一通り見学した後、城外に出たところで珍しいものを見ました。普通は城の周囲の濠には水があるのに、名古屋城を囲む一部の濠跡に水が入っていなかったのです。
しかも、昔は電車が走っていたらしく、市電であったと思われますが、本当なら面白い。それを聞いて濠を覗き込むと、確かに線路の名残のような形が残っているのが見えました。   
 
ネットで検索すると「名鉄・瀬戸線の遺構…」となっています。瀬戸から名古屋まで瀬戸物を運ぶ電車として、昭和10年頃からスタートしたようです。
何故わざわざ低地である濠の跡に電車を走らせたのか。用地買収の手間や費用が削減できるからとありますが、大雨でも降ればアウトでしょうけどね。
 
さて、次に訪れた熱田神宮、他の日本の大きな神社と並んでも、その名前は有名です。大学三大駅伝の一つ「全日本大学駅伝」のスタート地点で、ゴールが伊勢神宮と言うのも面白い。
 
熱田神宮は都会の喧騒の中に約6万坪と言う壮大な敷地に鎮座しています。北海道神宮も広かったのですが、ほぼそれと同じ敷地面積と言うから驚きです。
 
案内では、天皇家の三種の神器の一つ「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」が祀られているとのこと。八つの頭のヤマタノオロチをスサノオノミコトが退治した際に、尻尾から出てきたと伝えられます。
 
しかし、「三種の神器と言うのは、あくまで架空の神器ではないか」と言う説があります。誰も本物を見た人はいないのですが、唯一皇居にある「勾玉(まがたま)」の存在は確かなようです。
 
それはともかく、熱田神宮は一歩足を外に踏み出すと広い道路の国道に接しています。車両の往来も多く、俗っぽく感じられ、せっかくの厳かな気分が少し損なわれたのは残念でした。
 
さて、夕方から夜にかけて、栄地区の繁華街に出向きました。
期待通りの街並みで、中央分離帯が広く両側にはビルが立ち並び、名古屋テレビ塔も見えます。
 
私が目指す「街歩き」は、このような全国の街並みを見ることです。それも多くの高い建物があるとなお一層喜ばしい…私にとっては満足でした。
 
通りでは、宵闇にまぎれた木々のシルエットに高層ビル群の窓明かりが見え隠れしています。私が見てみたい景色と一致して、何とも言えない良い気分でした。
 
  
◆伊勢市(人口 約12.7万人)
 
次の日の予定は伊勢神宮を参拝、その後に奈良まで行くと言うスケジュー。朝はやや早い時間に栄駅から地下鉄で名古屋駅へ。
名古屋駅で地下鉄から直接近鉄へ接続、そこも地下だったので外へ出ませんでした。私が見たかった名古屋駅の駅前周辺を見ることが出来なかったので、その時は本当に残念でした。
 
名古屋駅から近鉄名古屋線で初めて訪れる伊勢神宮を目指しました。伊勢市までの沿線で、三重県の主要な街である四日市市や津市を見逃さないようにしました。
 
ところで、日本の私鉄では近鉄が路線最長区間を有し、紀伊半島の半分を網羅するのには改めて感心です。名古屋から伊勢中川駅までは「名古屋線」、伊勢神宮方面へは伊勢中川駅から「山田線」となっています。
 
そして、伊勢神宮に行くために、確か「山田線・伊勢市駅」で下車したと思います。目の前には「伊勢神宮外宮↑」との案内看板があり、近くには「伊勢神宮内宮行き」のバス停もありました。
 
江戸時代から庶民の憧れでもあった「お伊勢さん」参り。もちろん庶民ばかりでなく、天皇家から公家・武士も含めて日本人全体の憧憬の場所と言えます。
 
まず「外宮」を30分ほど見学しましたが、外宮もすごく広くて立派、そこだけでも充分だったかも。バス停の案内地図では、内宮まで結構な距離があり、20人ほどが内宮行きのバスを待っていました。
 
そこに1台のタクシーが私たちの横に来て、「複数の人数ならタクシーに乗った方がお得ですよ。」確かに乗車定員の4人で乗ると一人あたりはバスより割安です。
 
ちょうど私たちの後ろに同年輩(向こうが少し若かった?)のご夫婦がバス待ちをされていました。話し合って、私たち夫婦と4人でタクシーに割り勘で乗ることに。
 
タクシーで内宮入口まで5〜6分もかかったでしょうか、やっぱり結構遠かった。見ず知らずの2組の夫婦がタクシー内で会話するのは、何となく新鮮ではありました。
「どちらから来られましたか?」
「群馬からです。富岡製糸場が世界遺産に登録されて群馬に来る人が増えたようですね。」
「はあ、そうですか。そう言えば佐賀も明治産業革命遺産の一部に登録されたばかりですよ。」
 
会話の内容はそんなことで、発音としてはどんな風だったか…半分は方言だったでしょうけど。
 
内宮の入口付近…あの有名な鳥居の周辺やバス乗降場所には、さすがに人出は多い。厳かな日本伝統の場所と言うより、変な言い方をすれば「一種のリゾート地」との感覚がありました。