過去への挑戦
「警察側から見ればそういうことになるのでしょうが、弁護士というのは口八丁手八丁ですからね。被害者の家族に対して、『訴えることもできますが、訴えて起訴して裁判を起こすまでにはかなりの困難が必要になります。さらに困難を乗り越えて裁判になったとしても、証拠の提出や立証責任は被害者側にあります。しかも、いろいろ聞かれて、恥ずかしいことも言わなければいけなくなる。しかも、それは今までのように隠密ではできないことなので、自らの恥ずかしい経験を自ら世間に公表することになる。なるほど、今は感情に任せて訴えることもできるでしょう。でも、強姦というだけなら、相手も未成年ですから、罪になったとしてもそれほど大したことはありません。あなた方が受ける被害と、こちら側の被害とを比較してみると、このまま訴えて罪に問うのがいいのか、それとも、まとまったお金を貰って、このまま隠密にしておくことがいいのか、お嬢さんの将来を考えたらどっちなのでしょうね。世間というのは、存外に冷たいもので、被害者であっても、面白おかしく誹謗中傷されることもあります。それにご本人やご家族はいつまで続くとも分からない誹謗中傷に果たして我慢できるでしょうか?』などと言えば、家族としては娘を説得して、言いなりになるしかなかったと思っても、仕方のないことではないですかね」
と、鎌倉探偵はなるべく淡々と話した。
「それは酷い」
と、逆に門倉刑事はこれでもかというほどに声を絞り出すようにして呟いた。
「世の中というのはそういうものです。弁護士というものは、いくら非人道的なことをしていると分かっていても、彼らの仕事は、依頼人の利益を守ることなんです。だから彼らは裁判になったら、どんなことでもしてくるでしょう。そのことも脅し文句の中に入っていたかも知れませんね。当時からテレビドラマでも、そういう裁判のあり方などを示すようなものもあっただろうから、そういうドラマを見ていれば、弁護士の言っていることに信憑性を感じたとしても無理のないことです」
「じゃあ、それが今回の本当の目的に繋がったということですか?」
「ええ、そうです。その時に暴行にあった女性は自殺してしまいました。そして、悲惨なことはその女性の彼氏もその後、後追い自殺を遂げています。実にやり切れない事件ですが、こんな事件は決して稀なことではないんですよ」
まさにテレビドラマの世界の話であったが、本当に何と言っていいのか分からない。
「あの社長がそんな男だったなんて、狂気の沙汰ではないですか」
「その通りなんだ。だからと言って、彼が生まれつきそんな性格だったというわけではないような気がする。あの男が本当にそんな風になったのは、一種の病気のようなものなのかも知れない」
「どういうことですか?」
「実はその事件が起こる十数年前に、子供が冷蔵庫に押し込められるという事件があった。それは、鬼ごっこをしていて、誤って閉じ込められることになったのだ。次の日にその子は助けられたが、それが、安藤社長だったんだよ」
「ということは安藤社長は、その時のトラウマで、そんな異常な性格になったということですか?」
「そういうことだ。閉所と暗所への恐怖が一緒に襲ってきた。小学生の少年にとってはかなりの恐ろしさだっただろう。それが彼に強いトラウマを植え付け、そして恐怖心を植え付けた。自己防衛本能と結びついて、彼の中で、思い込んだことをやらないと、恐怖心とトラウマが一気に襲ってくるようなそんな心理を持つような人間になってしまったのかも知れない。私も小説を書いている時、心理学の研究をしていたことがあったが、そんな例を見たことがあった。もちろん、皆が皆同じような状況になれば、同じような道をたどるとは言えないが、少なくとも安藤社長にはそういう性質があったということだね。これは性格ではなく性質なんだ。つまりは持って生まれたものでも、変えられるものではなく、それを持っていることで定めや運命と呼ばれるものに結び付いてくるようなものだと考えてもらえればいい」
と、鎌倉探偵は言った。
その話を聞いていると、門倉刑事は本当にやり切れない気分になったが、我に返って話を先に進めた。
「じゃあ、犯人は誰なんですか?」
「これは私の想像なんだが、生田美佐子という女性ではないかと思うんだ。彼女の姉というのは生田愛子と言って、彼女こそ、二十年前に安藤社長に暴行されて自殺したその本人なんだ」
「そうだったんですね」
「そして、彼女は数年前に安藤の会社の掃除婦として派遣されていたことがあった時、安藤から暴行を受けかけたこともあった経験がある」
「それは偶然だったのでしょうか?」
「それは私にも分からないが、ひょっとすると、その時に彼女は安藤社長を妹を暴行した犯人だと思ったのかも知れませんね。安藤のことだから、彼のような男は暴行しようとする時の行動は、精神的に自己防衛、つまりトラウマや恐怖から逃れようとしていると感覚があり、しかも、妄想と頭が混乱しているので、ひょっとすると、襲おうとしている時、自分を鼓舞させるためか、それとも相手を威嚇するつもりだったのか、思わず二十年前の事件を口にしたのかも知れない。普通では考えられないことだけどね。その時、その時の反省をまったくしておらず、しかも今また暴行しようとしている。さらにだよ、それが自己防衛やトラウマから逃れるためという、暴行とは関係のない動機であると分かった時から、彼女はこの男を許せないと思っていたのかも知れない。犯行が今になってしまったのは、彼女の中で葛藤を必死に繰り返していて、この二十年の思いが今爆発したんでしょうね。そして、それまで殺害を思いとどまったのは、彼女の理性というか、性質的なものがあったと思えるんです。このような結論を出したことには残念に思いますが、彼女はすでに苦しみぬいてきているということを、警察でも考慮してほしいと思っています」
と、鎌倉探偵は言った。
その後沈黙が続いたことで、鎌倉探偵のところを後にした門倉刑事は、彼の話を元に捜査を行い、アッサリと犯人が罪を認めたことで、あっという間の大団円になってしまったのだった。
逮捕され起訴もされたが、情状酌量もあり、被害者が死んでいないということもあり、刑としては、かなり譲歩のあるものだった。そこには証人として参加した鎌倉探偵の事件報告が役に立ったのはいうまでもない。
「ところで、鎌倉さんは、どうしてすぐに犯人の目星がついたんですか?」
と門倉が聞くと、
「この間君と犯罪談義をしたじゃないか。あの時の言葉にヒントがあったのさ」
と言って、鎌倉探偵はニコニコしながら言った。
事件解決のヒントというのは、どこに隠れているか分からない。そしてこの時ほど、
「罪を憎んで人を憎まず」
という言葉が身に染みることはないと、門倉刑事は感じたのだった……。
( 完 )
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