過去への挑戦
被害者のななみは、そのまま緊急手術となったが、手術は成功し、命には別条ないということだったが、事件のショックか、その時のことは覚えていないようだ。集中治療室から出て、食事も普通に摂れるようになるまでには、まだ一週間はかかるではないかという医者の話だということだった。
警察の捜査もそれなりに行われたが、通り魔の意見が強く、他に何か発見されない限り、通り魔による犯行として、通り魔探しに焦点が絞られるということだった。
そのせいもあってか、捜査陣はそれほど彼女の家庭のことについて調べはしなかったようだ。もっとも、彼女のことを聞きこむ限り、誰かに恨まれたりすることはなかったようだ。もしあるとすれば妬まれることはあるかも知れないが、妬まれるような人も彼女の友達にはいなかった。
もちろん、利一のことも調べられた。だが、彼はその後、明日の出張のために急いで家に帰ったことは分かっている。近くのコンビニに寄った時間、もらったレシートの時間と防犯カメラ、そして彼のマンションの防犯カメラにもしっかり収められていて、アリバイは完璧だった。そんな利一に、
「ななみさんを恨んでいたり、妬んでいたりする人とか誰か思い浮かびませんか?」
と言われたが、そんな相手はいないという。
彼が彼女の身に起こった不幸な出来事を聞いたのは、ななみが襲われたその日だった。携帯電話の履歴から分かったことであって、電話に出ると、ななみの携帯電話番号からなのに、
「もしもし、こちらは警察ですが」
といきなり言われて、面食らってしまった。
だが、勘のいい利一は、
「ななみに何かあったんですか?」
とすぐに返事をしたことで、警察も最初は、彼を怪しいと思ったらしいが、アリバイの正立と動機についてまったく考えられないということから、完全に容疑者から外された。
もちろん、出張は中止して、彼は数日会社に有給届を出して、その間、ななみに付き添っていることにした。
警察も、不審者に襲われたとは思ったが、もし怨恨だったらいけないので、数日は彼女の病室の前に警官を配備することにした。しかし、その間に何かが起こることはなかったので、犯人が諦めたのか、それともやはり通り魔の犯罪なのかのどちらかだと思った。
ただ、あのあたりで通り魔が出たという話は最近は聞かない。確かに看板は掛かっていたが、あれはあくまで注意を喚起するという意味でのものであり、最近増えているからというわけではなかった。実際に看板自体は十年くらい前のもので、最近何かあったというわけではないようだ。
警察の捜査も行き詰っていた。何しろ誰に聞いてもななみを恨んでいる人はいないという。これ以上は警察も捜査を続行するのは難しいと思えた。
ただ、一人彼女のことが気になっているのは、利一だった。彼はいつもであれば送っていくのに、その日は明日の出張が頭にあって、一人で帰らせえてしまったことを後悔していた。
「もう少し捜査を」
という意見を、警察が採用してくれるはずもなく、引き下がるしかないのかと思っていたところに、ちょうど捜査を担当していた門倉刑事が、
「そんなに気になるなら、鎌倉探偵を訪ねてみればいい。捜査を引き受けてくれるかどうか分からないけど、気になるならそれもいいかも?」
と言ってくれた。
利一はさっそく鎌倉探偵を訪ねてみることにした。
利一から一通りの話を聞いた鎌倉探偵は、それなりに興味を示したようだ。
「今君から聞いた話以外にも、この事件は、何か裏があるような気がするんだ。誰にも恨まれているはずのないという彼女が襲われたというのも気になるし、犯人は相手を本当に殺すつもりだったのかどうかも疑問なんだ。胸の刺し方などを聞いていると、どうも殺害目的のようにも思えるが、そのわりには完全に急所を外れているという。これは計画的なものではなく、突発的に起こったことではないのかな?」
と鎌倉探偵がいうと、
「じゃあ、警察のいう通り、通り魔のような事件ですか?」
と利一が聞くと、
「それこそ違うと思う。通り魔だったら、もっとしっかりやってるさ。少なくとも相手を生かしておくようなことはしない。もっとも通り魔にも種類があって、愉快犯などの場合はこれに限らずだが、本当に殺そうとはしないだろうけどね。でも計画的な犯罪ではないことは確かだ。そうなると、通り魔というのはおかしい。通り魔はちゃんと相手を選んで刺すはずだからね」
と鎌倉探偵は、最後に利一にとって意味不明ないい方をした。
「じゃあ、誰かに間違えられた?」
「それはあるかも知れませんが、彼女は見てはいけないものを見てしまったのかも知れませんね。ただ、なぜそこにいたのかというのも、もう一つ疑問として残るわけですけどね」
と、鎌倉探偵は首を傾げながら言った。自分でも頭の中を整理しかねているようだった。
それでも彼の推理は捉えるところは捉えていた。それも探偵としても目がしっかりしているからだろうか。
鎌倉探偵は、警察があまり重要視していなかった、ななみの家族を探っているようだった。ななみの父親が元々大財閥の家系で、ただ父親は養子だったということも突き止めていた。
さらにビックリしたことに、父親である社長には社内でもいろいろな誹謗中傷があったということも把握していた。
相手が警察であれば、なかなか口を開こうとしない社員であっても、探偵だということを言ったり、食事をご馳走になったりすると、
「私から聞いたなんて言わないでくださいよ」
と言いながら、簡単に話してくれた。
それだけ会社に対しての愛がないということも言えるし、社長もその器として見られていなかったということも言えるだろう。
社員は、社長に対して不満こそあれ、尊敬などは決してしていなかった。そして一番社長で胡散臭いウワサを聞いたのは、セクハラの問題だった。
その時、ちょうど掃除婦の話も出た。それが美佐子であったのは周知のことだが、美佐子がななみの料理教室に通っていることもすぐに突き止めることができた。
「ただの偶然なんだろうか?」
と、鎌倉探偵は思ったので、この疑問を直接社長に訊ねてみることにした。
ただ、彼女の名誉と安全のために、彼女の名前や現在の情報は一切明かさないということは、探偵としてのモラルである守秘義務に沿うことなので、いまさら言うまでのこともない。
安藤社長の秘密
鎌倉探偵が、社長室を訪れたのは、ななみが襲われてから一週間が経った時だった。利一が鎌倉探偵を訪ねてから四日後のことである。
「これはこれは、娘のことではお世話になります」
そう言って入ってきた安藤社長は、思ったよりも若く見えた。
大学生の娘がいるほどには見えなかったのは、若々しさが原因なのか、それとも社長としての貫禄に致命的に欠けているからなのか、どちらなのかを探ろうと鎌倉探偵は目論んでいたが、どうもハッキリと分かる感じではなかった。
「いえいえ、お嬢さんは大変な目に合われましたね」
「ええ、あの子は私にとって、目に入れても痛くないほどの子供ですので、話を聞いた時には、立ち眩みを起こしそうになりました」