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木星、そして無限の彼方


 
世の中には二種類の人間がいる。宝くじを買う人間と買わない人だ。
 
それとは別に二種類がいる。ターバンを巻いて原付バイクに乗るインド人とそうではない人間だ。おれは両方後者なんだが、中島らもの『やっぱり明るい悩み相談室』には前回見せた次のページに、
 
画像:やっぱり明るい悩み相談室12-13ページ
画像:やっぱり明るい悩み相談室表紙
 
この通り、『ガンジス川には遺体が流れ、』うんぬんと書いてある。全文を知りたい人は探して読むこと。
 
去年の前半、ヨーロッパではコロナのより毒性の強い型が生まれて広がり、多くの人を殺していた。それが日本に入ってくれば一万の死者が出るかもしれないというのはおれも納得していた。
 
だがそれ以外はデタラメだ。大阪で宝くじの三等が当たった人がいるからと言って東京で自分の買ったくじが当たる、それも一等が必ず当たるとわめきたてるようなものだ。日本で個別に強毒型が生まれるおそれはまあゼロではないだろうが、それを心配するのは杞憂。
 
ヨーロッパでふたつみっつ火山が噴火したからと言って、日本の富士も噴火すると吠え立てるようなもんだ。と、そんなふうに感じていたところに困ったことに、志村けんが死ぬという、四等の当たりが出るようなことが起きてしまった。
 
それでいよいよ「一等が当たる、必ず当たる」ということになってしまって今に至っているわけだが、結局あの志村の死より衝撃的なことは起きてない。マスクが役に立ってないため感染が広がり、累計数が膨大なものになったにもかかわらず。
 
起きるわけがないのである。もともと五・六・七・八等の玉しか入ってないはずの福引箱にどういうわけか、三・四等が混ざっちゃってて出たに過ぎないことなのだから。それより遙かに確率の少ないことが必ず起こると考えるのはどうかしている。
 
志村の死は1985年の事故で墜ちた日航機に坂本九が乗っていたのと同じ。運命のいたずらに過ぎない。のだけれども宝くじに狂ったやつらにそれを言うだけ無駄だろう。〈コロナの禍〉とは宝くじだ。去年の半ば、ヨーロッパでの強毒型の流行がおさまったところでテレビは言い出した。
 
「アメリカやインドで人が死に続けています。だから終息はしていません」
 
と。おれが見るところ、コロナの話はそこからいよいよおかしくなってる。
 
最初からおかしいのだがますますだ。つまりこれは宝くじを買うやつが、
 
「当たるまではやめられない」
 
と言い出したところにあたる。これを言う人間は、週刊誌の予想ページを読みながらナンバーくじを毎週買い出す。買わなければ当たらない、つまり買えば当たるのだ、と言いながら。
 
木星、そして無限の彼方。彼は2001年宇宙の旅を始めてしまった。光のトンネルを抜けて人間でないものに変わってしまっちゃったのでした。
 
という、それが宝くじの怖さだ。おれは買わない。怖いからね。10万も20万ものカネがありゃ原付バイクが欲しいからね。
 
 
ヨーロッパの強毒型はワクチンを作らないうち終息した。
 
 
おれが見るとこ、コロナの話はいよいよそこからおかしくなってる。
「アメリカやインドで人が死に続けています。だから終息はしていません」
テレビがそう言い出して、ワクチン学者が「そうだそうだ」とわめき出した。
 
「そうだ、終わりではありません! ワタシが作るワクチンが! ワタシが作るワクチンが! ワタシがこれから作るワクチンだけが終わらせられるのです! ワタシがいま開発中で、もうじき完成するワクチンは、効果絶大で副作用ゼロ! 他の人が作るのはダメ! ワタシのワクチン! ワタシのワクチン! ワタシのワクチンだけがコロナを。史上最悪最凶のウイルスを滅ぼすことができるのです。億の人を、全人類を救えるのです。ワタシの!! ワタシの!!!! ワタシのだけがあ――――っ!!!!!!!!!!!!」
 
などとてんでにわめき出した。これに対して池上彰が、
 
「おお! そうか、そうなのですね! 期待しています! 期待しています! ボクがこれから出す本に、ちゃんとそう書いておきます!」
 
アフェリエイト:池上彰『コロナウイルスの終息は撲滅でなく共存』
 
と言うから頭がカラッポな人間達がそれを真に受けることになる。キャリーオーバー継続中。一等の玉は必ず出るのだ。
 
という、これをやったらいずれ宝くじを買う者が、
 
「元を取るまでやめられない」
 
と言うのと同じことになり、やがて、
 
「半分でも取り戻さねばやめられない」
 
と言うのと同じことになる。それが今の日本だけでなく全世界の状況だ。
 
前回おれはこのくじに三・四等はないと書いたがその程度なら、まあ確率はゼロではない。しかしその上、二等の〈スペイン風邪と同等〉と、一等の〈それ以上〉はない。確率は完全なゼロだ。百年前と今はまったく違うのだから。
 
特に日本は明治・大正の日本と違い、上下水道が整って、どの家にも水洗トイレ。冷蔵庫と洗濯機。アルミサッシの窓とポリエステルの服。そのうえ、ミカンでもタマゴでも一個20円もしないで買えて嫌いなやつに投げつけてやれる。おれなんか今年の冬は近所のスーパーで二千円で買った一時間の電気代が0.6円という電気毛布を肩にひっかけ、これがなんとも使い心地がいいもんだからこれひとつだけで暖房を済ませてまったく寒さ知らずだった。
 
画像:電気毛布
 
こんな国で肺炎の死者が何万も出てたまるかつーんだバーカ。しかしこれも経済がまわっているからできることなのに、緊急事態宣言なんかでできないようにしてどうする。厚労省がいま出す数字は明らかにすべてデッチ上げである。宝くじに狂ったやつがロト6を百万も毎週買っては当たりにいちばん近い券をかざして、
「ホラ見なさい、ホラ見なさい、取り戻せる。取り戻して終わりにすることができるんだ!」
とやってる。それと同じだけの話なのだ。
 
テレビの言うこと全部が全部、だんだんそんな感じになってきているとあなたは見ていて思いませんか。木星、そして無限の彼方。話は変わるが、最近テレビで『スーパーカブ』って深夜アニメが始まって、おれは見ている。萌えアニメなど、おれはほんらい見ない人間なのだけれどもこれはしかし、おれに見させるものを持ってて、第一話の最後のところで主役の少女がモノローグで、
 
   *
 
「このカブは、どこまで走れるんだろう」
 
アフェリエイト:スーパーカブ
 
と言った。
 
うーん、と思う。まあ、無限の彼方じゃないよな。原付だし。宇宙の旅をすることはない。
 
そこそこ足が地に着いてるものでもあるのでおれが見ることもできるんだが、行こうと思えば南米南端、ホーン岬まで行けるだろう。カブなら。たとえ故障しても、町にさえ着きゃどこだって部品を手に入れ直せるだろう。
 
スーパーカブはカッコよくないけれどもカッコいい。『ボトムズ』のスコープドッグのようであり、AKライフルのようである。実用性を追求しきったデザインがもたらすたたずまいは、イザというとき本当に頼りになるのはこいつだという気にさせられる。
 
作品名:端数報告3 作家名:島田信之