端数報告3
アメリカが戦後のインドに積極的に介入しなかったのは、こうした要素が人権問題に発展しかねなかったからだ。実際、インド復興を支援するヨーロッパやシンガポールや日本も、カーストの問題には知らんぷりを決めこんでいる。
アフェリエイト:虐殺器官
こうだ。日本人はインド人を見ても知らんぷりを決め込む。中島らも・著『やっぱり明るい悩み相談室』にはこんな記述もある。これはスキャンで見せるしかないが、
画像:やっぱり明るい悩み相談室10-11ページ
画像:やっぱり明るい悩み相談室表紙
アフェリエイト:特選明るい悩み相談室
続きはこの三冊のどれかで読めるかも。読めないかも。とにかく、ガンジスの川岸をちょっとタチの悪い風邪が襲えばたくさんの人間がそこに浮かぶことになろう。インドで肺炎の死者が何万も出てると聞いても毎年のことじゃないのかよ、としかおれには思えなかった。
だからこれは〈禍〉ではない。宝くじに狂ったやつらが目の前の数字だけ見てわめき叫んでいるだけなのだと。
――が、それ以上に今回ここで何が言いたいかと言えば、日本だけが〈禍〉を終わらせることはできないということだ。問題は別のところにあるのだから、ワクチンなんか効くわけがない。ワクチン接種はゆえに確実に失敗に終わる。日本国内だけのことなら、成功したように見せかけることは簡単にできるだろう。ワクチンどころか、食塩水を全員に射つだけで、
「禍は完全に終わりました。ワタシ達の勝利です!」
と言えてその嘘をバレないようにすることもできる。だが世界では死に続ける。百万人が今年もまた。
来年も死ぬし再来年も死ぬ。そのときに、
「日本のワクチンは日本だけのものだから、外国には売りませんし作り方も教えませんヨ」
と言って済ませることができるか。
できないよな。もうひとつ引用するが、石田衣良・著『池袋ウエストゲートパーク』第一巻第三話『オアシスの恋人』にはこんな記述がある。
*
「私は九〇パーセントペルシャ人のイランでアラブ人として生まれました。イランではアラブ人といわれ、他の国にいくとペルシャ人といわれる」
おれにはその違いさえぴんとこなかった。
「どうして、日本にきたの」
「日本はとてもいい国です。お金いっぱい稼げます。イランではどうやって日本にいくかみんな考えてる。それに差別があまりない」
日本に差別がないわけない。部屋だって簡単には借りられないだろう。
「それはマコトさんが、サウジアラビアにいったことないから。私はあそこでカフェのアルバイトしてたことあります」
縦長の鼻の穴がふくらんだ。声がおおきくなる。
「日本なら誰だってのどが渇いたら店にはいって自分で飲みものを買って飲みます。でもあの人たちは、外に停めたメルセデスのなかでホーンを鳴らすだけ。わたしたちが出ていって注文を聞き、もっていかなくてはならない。表の気温は四十度越えてる。クルマのなかは冷房で気持ちいい。私が汗だくでもあの人たちへっちゃら。ジュースを渡すと礼儀知らずはちょっとだけ開けた窓からお金を道にまきます。貧乏人、外国人といってメルセデスは去っていく。私、何度もやけどしそうになりながら小銭ひろいました」
金持ちとそうでないやつ。どこの国も同じということか。
「同じ宗教を信じる兄弟の国からきた人を奴隷のように扱う。イラン人もトルコ人もパキスタン人も出稼ぎのみんな怒ってます」
アフェリエイト:池袋ウエストゲートパーク
これだ。これこそがおれが見る、世界の中で日本の死者が少なく済んできた理由だ。日本はこういう国だから人が健康に生きられて、タチの悪い風邪が来ても肺炎の死者を抑えられる。〈スペイン風邪〉では40万人死んだと言うが、その頃には平均寿命はもともと50歳だろう。毎年普通に何万人も死んでいたんじゃあないのか。
当時は上下水道がなく、格差は大きく貧しい者がろくにミカンも食えずにいた。部落差別なんてものも、今よりずっと激しかった。暖房と言えば薪であり、ハイテク素材の服などなく、アルミサッシの窓もないから隙間風が吹き込んでいた。
当然、毎年何万人もが肺炎で死んでいたはずだ。〈スペイン風邪〉で40万と言ったところで、
「今年の風邪はほんとにタチが悪いんだってな。毎年10万人のものが今年は40万だってさ」
なんて案外ほんとは言ってたりしたんじゃないのか。
どうもそういう疑いをおれは感じずにいられない。だからマスク着用に密を避ける必要なんてただのひとつもあるわけないのだ。だいたい、志村けんが死ぬまでは、
「せきやくしゃみが出る人以外がマスクを着けても意味ありません」
と言っていなかったか? 何をどう考えてもそっちの方が本当であり、宝くじに狂ったやつらがマスクマスクとわめき出すからマスクを着けなきゃいけなくなってる。コロナの話はすべてが宝くじである。そして一等一億はない。二等三等に四等すらない。五等六等に七等はあるから、
「今日は八等2人もの死者が出ました! 今日は七等3人もの死者が出ました! おお! 今日はまたなんとなんと! 五等5人が! 五等5人が! 五等5人が出てしまいました! 五等ですよ! 五等ですよ! 五等が出てしまったのです! 5人が! 5人もの尊い命が! これは一等一億円が当たる前触れに違いありません! マスク着用! マスク着用! マスクを着けねば波が! 波が! 波が!」
とやってる。コロナは人類が経験したことのない史上最大の災厄であり、だから〈波〉が来たときに〈スペイン風邪〉の何倍もの、いやいや何十・何百倍もの死者が出るものとされた。〈スペイン風邪〉より凄いんだから死者数が下回ることなどないのだと。
ところがだんだん言い方が変わる。ええとですね、〈史上最大の災厄〉というのは、死者数がどうのという単純な話ではないのです。あなたがコロナに感染してお年寄りに近づくと、そのお年寄りは死んでしまうかもしれませんよね。可能性がわずかでも、一万分の一でもあれば決して決して近づいてはならないのがわかりませんか。世界でただのひとりでも肺炎で人が死ぬことがあってはいけないのがわかりませんか。ひとりでも死ぬっていうことは、〈スペイン風邪〉より遙かに恐ろしい災厄でしょうが。そうでしょ。ああ恐ろしい。恐ろしいったら恐ろしい。こんな恐ろしいことがありますか。まったく、〈スペイン風邪〉なんかくらべものにならない。何千倍も何万倍も恐ろしいではありませんか。ねえ。そうでしょ。ねえねえねえ。だからひとりでも死ぬ人間が出る限り、地球人類の全員がマスクを着けて生きねばならないのですよ。
なんて言い方に変わってきた。なんて言い方に変わってきたが、
アメリカやインドで肺炎で死ぬ人間をゼロにすることができるか。
無理だ。1パーも減らせるものか。風邪のウイルスが殺してるのでなく、人が殺しているのだから。人が行う差別が人が殺している。そこに気づかない限り、肺炎で死ぬ人の数を減らすことなどできはしない。ワクチンなんかなんの効き目も持ちはしない。今年も来年も再来年も何万も死ぬに決まっている。