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端数報告2

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火事で焼かれて死ぬのとコロナ、どちらで死ぬのがいいですか


 
久しぶりの投稿だが、おれはこれまでこのブログで、
 
「帝銀事件の犯人は平沢貞通に決まってる」
 
なんていうタワケたことをさんざん書いてきた人間である。それから、
 
「周防正行が『それでもボクはやってない』で描いてることは全部嘘だ」
 
とか、
 
「トム・クルーズとスピルバーグは間違っている。『マイノリティ・リポート』の〈殺人予知システム〉がもし未来で実現したら、それは決して廃止してはならないし、できない」
 
なんてことを書いてきた者である。
 
つまり、マトモな人間ではない。誰もが「気の触れたやつ」「徹底的に間違ったやつ」として見るだろう者なのだ。だからこれから書くことも、そういうやつが書いたものとしてどうか読んでいただきたい。
 
結論を先に言えば、
 
 
【いま叫ばれている「コロナの感染拡大防止」はすべて間違っている。マスクなど要らんし、むしろ着用してはならない】
 
 
なのだが、同じことはちょっと前に別のサイトに、
 
ヤマト航海日誌2
https://novelist.jp/91017.html
 
として書いて出している。が、けれどもそのサイトが、今後運営をやめることもあるだろう。だからこっちは一応は読書ブログなんだけれどもここにも出しておこうと考え、今こいつを書いているわけである。内容はほぼ同じになるはずなのでご了承ください。
 
 
   *
 
 
今年の8月、一時的にコロナの死者・重症者が増大し、「第2波だ」と騒がれたけど、おれは「バカか」と思って見ていた。なぜなら、
 
 
「どうせその連中、暑いからってクーラーをガンガンにかけてハダカで寝たりしてたんだろ。風邪も引くさ。毎年この時期、そういうバカが大勢熱を出したりとか、中には肺炎で死ぬやつが出るのは当たり前じゃねえのか」
 
 
と考えていたからだ。案の定、熱帯夜が終わると同時に発症者数は元に戻った。池上彰は、
 
「第2波です。あれは絶対に第2波です。必ずすぐに第3波が来て人類の99パーセントが死ぬんだ、ウヒャヒャヒャヒャ! ボクは死なないけど!」
 
と〈神に選ばれた人間〉の顔で笑って叫んでいたし、今も叫んでるみたいだが。
 
でも絶対におれの考えが正しいのに決まってる。あれはただのクーラー病に違いない。
 
で、「やっぱり」とおれは思った。あの時期に倒れた人間は、それまでは無症状であったのが寝冷えのために風邪を発症させたのだろう。コロナは体調に問題なければ感染してもなんともなくいられるが、体調を崩すとマズイ。そんなウイルスということだ。
 
そして風邪とは、もともとそういうものなのだ。以前ここに書いたように帝銀事件の平沢も死因は肺炎だったと言うが、人口が一億いれば日にふたりや三人が肺炎で死ぬのは当たり前のこと。それをこの世の終わりのように大騒ぎするのはおかしい。
 
4月に国が緊急事態宣言を出したとき、〈禍〉は既に終わっていた。以前ここで紹介した齋藤勝裕とかいう学者が学者ヅラして、
 
アフェリエイト:人類を脅かす新型コロナウイルス
 
とかいう本を出したときには〈禍〉は完全に終わっていた。この先生が最初の1ページ目を書き始めたときからもう終わっていた。どこかの船を襲って何割か殺したような猛毒型のコロナは早い段階で消え、日本にまで来たときには毒性をかなり弱めていた。
 
志村けんが死んだ頃にはさらに毒を弱めており、志村が死んだのは志村がいい歳をして冷や水かぶるようなことばかりしていたやつだからだ。
 
緊急事態宣言が出た時には、コロナはもう完全に普通の風邪と変わらないものになっていた。コロナはたとえ感染しても体調に問題なければまず無症状でいられる。高齢者が感染するとマズイのは高齢者がもともと体調が万全と言えない存在であるからだが、それだって、〈年寄りの冷や水〉と言われるようなことをしなければ滅多なことでヤバくならない。
 
そういうウイルスということだ。もちろん死者をゼロにはできず、日に何人かの割で死ぬが、それはもともとそういうものなのでしょうがない。死んだ人は運が悪いが、コロナで死ぬのは長い闘病の果てに死んだり、火事の炎に焼かれて死んだりするのに比べてむしろ幸運という見方もできる。
 
のではないか? おれ自身は、むしろそうだ。火事で死ぬよりまだコロナの方がいい。
 
癌に体を10年かけてジワジワやられて死ぬよりは、コロナで死ぬ方がいい。そういう考え方さえできる。だからと言ってお年寄りに行水を勧めるわけではもちろんないが。
 
コロナで死ぬのを〈呪われた死に方〉という見方を取って忌避したり、感染者差別をするやつがいるというのが間違いなのだ。そういうやつこそ差別していい。池上彰にはヤカンの熱湯を浴びせてよろしい。それが正義だと、天に代わっておれがここに書いておきます。
 
とにかく、風邪で日に何人か死ぬのはまったく大騒ぎすることではないのだ。人口が一億いれば階段で足を滑らせ転がり落ちて死ぬ者もやはり日に何人か出る。だからと言って世の中からすべての階段を無くせと言うやつがいたら頭がおかしい。
 
交通事故で死ぬ人間がいるからすべてのクルマをホカせ。飛行機事故が起きる率を完全なゼロにできないのなら一機たりとも飛ばしてならない。火事で焼け死ぬ人間がいるなら今日から地球人類みんな、火を使わずに生きましょう。
 
そんなことを言うやつがいたらそいつの頭はおかしい。が、「コロナの感染拡大防止」というのは、実はそれと同じくらいに狂ったことを言っている。
 
それとこれとは違う? いや、違わない。「コロナの感染拡大防止」はまったくのナンセンスだ、誰も気づいてないだけでね。理由のひとつは世界で多くの死者が出続けているからだろうが、しかしコロナの毒性自体は、どこでもたぶん日本と変わらないのじゃないか。
 
世界のどこでも今のコロナは、普通の風邪と変わらぬ程度の毒性しか持っていない。それでも人が死に続けるのは別の理由がある。
 
貧困だ。コロナは直接の犯人でなく、世界の貧しい国や地域で貧しい人がコロナにやられているのじゃないか。貧しい人が病気になって百万死ぬのも例年通りなのだけれども、それが今年はコロナによる肺炎というだけのこと。
 
こんな話はニュースでまったく出ることはないが、おれが見ていてそう思う。世界にはハゲタカが空を飛んでる国や地域がいくらでもある。民が餓えに苦しんでいて、麻薬やエイズが蔓延し、人身売買が横行し、子供が屑拾いをしてたり〈AK〉を持たされたりしている。
 
そんなところでは普通の風邪への抵抗力さえ人が持つのが難しい。とりわけひどい国になると、人が死んでもカウントもされない。それを含めたらコロナの死者は、いま数えられている数字の倍にもなってしまうのじゃないか。
 
作品名:端数報告2 作家名:島田信之