青い絆創膏(後編)
最終話「歩いていく」
お母さんは紅茶のポットを傾けて中身をカップに注ぎながら、待ち切れない様子で話し始めた。
「凛、お父さんね、入院してたのよ、先月まで」
「えっ…どういうこと…?」
お母さんはもう不安がなく、心配が去ってほっとしているみたいだったけど、私は急に聞かされたことで、やっぱり不安になった。
「お酒がね、お父さん多かったでしょう。それで、私達と離れてそれがますますになって…おばあちゃんが心配して、病院に行くのを勧めたの。もちろん、私もお父さんを手伝いたかったけど…おばあちゃんは、「さんざん息子のことで苦労を掛けておきながらそんなことはできない、それに、自分でやるしかないから、時々様子を報せる」って言ってくれてね…」
知らなかった。私が知らない間に、そんなことになってたんだ。私はびっくりして、それから納得した。
そりゃあ、お父さんと元々はすごく仲が良かったお母さんだもの。そんなことを聞かされたら、心配だけでどうにかなっちゃうだろう。私に話さないで隠しているだけでも、心が潰れてしまうかもしれない。
お母さんはゆったりとカップから紅茶を飲むけど、私は先がわからないからそういうわけにもいかずに、ティーカップに掴まって身を乗り出していた。
「それでね、先月退院できたんだけど、家での様子が心配で…」
「そう、だね…」
私にできるのは、相槌を打つくらいだった。
「あなたにはもちろん言い出せないし、でも、失敗したらまた始めからになるから、あの人にその勇気があるかどうか、心配で心配で…」
「そうだったんだ…知らなかった、そんなことになってたなんて…」
「でも、おばあちゃんが言うには、退院して自宅での生活も問題なく出来るようになったって言ってたし、薬も効いていて、病院に通うことも嫌がってはいないようなの…それで、良かったと思って…」
そこまでを話すと、お母さんは本当にほっとしたように大きくため息を吐いて、ゆっくりとまたお茶を飲んだ。
「良かったね…お母さん…」
私もほっとした。
“良かった…、お父さん、お酒やめられたんだ…!”
嬉しかった。私も、ときどきお父さんのことは心配だったから。
“これでお母さんももう心配し続けなくて済むんだ…お父さんとお母さんがこれからどうするのかは、わからないけど…”
私達は二人とも「よかったね」と言い合って、お茶を飲み終わって雑談をしていた。
それからお母さんが、「お茶のおかわりがほしいわね」と言ったときだ。
その時、私は考えていた。
“もう、今なら話していいんじゃないかな”
それは、他ならぬ、たかやす君のこと。
今ならお母さんはショックな話を聞かされても大丈夫なような気がするし、それに、私だってずっとお母さんに話したかった。
だから私は、そのまましばらくお母さんと話しながら、タイミングを見計らっていた。
お母さんが二杯目の紅茶を注ごうとしたとき、私は注意深く息を吸う。
「ねえ、お母さん、内田たかやす君ていう子がいてね…」
何も考える気力が持てない話題だったからかもしれない。それほどに重い憂鬱が支配する問題だったからか、整理して話すなんて、できなかった。
だから私はそれをそのまま、テーブルの上に投げ出したのだ。
「前に、ライブに行ってたって言った日、チケットを私に分けてくれて、連れて行ってくれた人、なの…同じ学年で…その子とは、実は私が、クラスにいたくなくて、屋上に通ってた時に、会って…」
「屋上に…?」
そこで、今度はお母さんが心配そうに身を乗り出してきた。お母さんは両手に小さな紅茶のカップを持ったままだ。
「うん…なんかね、特に理由があったわけじゃないんだけど、ほら、思春期って変なこと考えるでしょ?」
「そう、かしらね…」
お母さんは、泣きそうな顔をしていた。多分、自分とお父さんが家でどんな様子だったかとか、思い出してたんだと思う。でも私は、あえてそれは口に出さなかった。今、お母さんは喜んでいるんだもの。
“そう。今、お母さんは喜んでる。そこに、こんな話をしていいのかな”
でも私には、下ろしかけた重荷を途中でまた背負い直すことは出来なかった。
「たかやす君はね、「君はちょっと息抜きが必要そうに見えた」って言って、私のことをわかってくれたように見えた。もちろん、それでお母さんにあんなに心配を掛けたのは悪かったけど…でもね…」
「でも?でも、どうしたのよ?凛…」
お母さんは、今にも泣きそうなのを堪えている私を見て、怯えてせっつく。
「死んじゃったの…たかやす君…自分から…」
私はやっぱり、またうつむいて泣いていた。いつもこう。彼の話をする時は。
そこで私は“ああ、やんなっちゃうな”と思った。
“どうして泣いてなくちゃいけないの?どうして悲しみだけで埋め尽くさなくちゃいけないの?たかやす君との思い出まで…!”
そう思って顔を上げて、泣き顔のままで、お母さんを見た。お母さんも泣きそうな顔をしていた。
「ねえ…でもさ、お母さん…私、自分を助けてくれた人のことを話すのに、毎回悲しんで泣くなんていやだよ…!笑って…笑いながら、そんないい人がいるんだって、誇って話したいのに…!」
「凛…!」
お母さんは、ついに私が吐き出した気持ちに震え出し、慌てて私の椅子に近寄ってきて、私を抱きかかえた。
「ねえ、凛。そんなに急ぐことないじゃないの…だって、友達を亡くすって、とても悲しくて辛くて、お母さんだってそんな時には何も考えつかないわ…。でも、凛が悲しい気持ちがあるなら、お母さんだって聴くわ。だから、そんなに自分を痛めつけないで…。もう、見てられないわよ…」
私はそれを聴きながら、声を上げて泣き、お母さんに抱きついた。お母さんは私が落ち着くまで、何度も私の背中をさすってくれていた。