短編集86(過去作品)
孤独の本当の意味
孤独の本当の意味
――一匹狼――
ロンリーウルフと英訳すると格好いい言葉になる。日本語ではどういうイメージを受けるだろう?
日本人というとどうしても「和」の精神を重んじて、人との協調性を重視するところがある。聞こえはいいが、実際にいいイメージを持っている人がどれほどいるかというのも疑問である。
一匹狼という言葉を今さらながら考えている男が一人、名前を西本靖という。彼は自分のことを考えていると行き当たった言葉が「一匹狼」であることに気付いた。
中学の頃に、
「僕は一匹狼だからね」
と言っていた男の先生がいた。理科の先生だったが、痩せていて後ろ髪を伸ばしているような先生だった。中学生から見ても、
――あまり女性にもてるタイプじゃないな――
というイメージで、クラスメイトからは「オタクッぽい」と言われていた。「オタク」という言葉がちょうど流行り始めた頃だったはずで、誰を見ても「オタク」だというやつもいたくらいだ。
そんな先生が自分から言うのだ。あまり信憑性を感じなかったが、要するに女性にもてず、いつも一人でいることから、負け惜しみの意味で言っているだけだった。それが中学の頃にはハッキリと分からなかったので、一匹狼という言葉をいろいろ思い浮かべては、いい意味なのか悪い意味なのかを推測していた。
だが、蓼食う虫も好き好きと言われるように、そんな先生も西本氏が卒業してからすぐに結婚した。相手の女性は同じ学校の先生で、どちらかというとパッとしない女性だったが、それはインパクトが弱いというだけで、可もなく不可もなくといった感じの女性だった。
物静かなタイプの先生で誰にも相手にされるわけではなかった。だが、よく見ると落ち着いた雰囲気が見る人によっては妖艶さに写ったかも知れない。思い返してみると、地味だが綺麗な雰囲気を醸し出していた。
男の先生は名前を須藤先生といい、女性の先生は牧野先生といった。少しわがままで、自意識過剰的なところがあった須藤先生に対し、いつも何かに怯えているようで、大人しいという雰囲気しかなかった牧野先生では、ある意味お似合いのカップルなのかも知れない。
自意識過剰なところのある須藤先生の気持ちをコントロールできるとしたら、雰囲気は大人しくていつも怯えているようであるが、見つめる目の向こうに見えるものが自分だとドキッとするように感じる牧野先生しかいないだろう。逆に牧野先生の怯えを少しでもなくし、自分に自信を取り戻してくれるような男性がいるとすれば、須藤先生のような一匹狼だと自分から言える人が一番似合っていることだろう。
新婚当初は少しぎこちなかったようだ。中学を卒業してから最初の同窓会が次の年にあったのだが、その時に、
「なあ、うちに来ないか」
という須藤先生の言葉で賛同した人が西本氏を含め女性を一人含んだ三人だけだった。
中学時代、伸ばしていた後ろ髪を綺麗に切って、スポーティーな髪型に変わっていた須藤先生を見違えてしまったほどだ。髪型が変わっただけで五歳は若く見え、本人かどうか疑いたくなるほどである。
「いいんですか? 新婚家庭にお邪魔して」
女生徒は気さくな笑顔で、簡単に口を開いた。男二人は戸惑っていたが、彼女はお邪魔する気が満々だったようだ。
家に行くと、オタクっぽかった先生が、立派に大黒柱を勤めていた。新婚家庭自体それまでにお邪魔したことなどなかったが、それでも想像していた雰囲気そのままである。赤いエプロンをかけて奥から出てきた牧野先生は、学校で見る姿からは想像もできないほど明るい雰囲気である。
大体赤い色が似合うなど想像したこともなかった。地味な服を着ていつも自信なさそうに歩いている姿、それしかイメージとして湧いてこなかった。
「おい、生徒たちを連れてきたぞ」
すっかり亭主を地で行っている須藤先生は、頼もしく見える。「オタク」などという印象はもうない。
「まあ、いらっしゃい。皆懐かしいわね」
初めて牧野先生の笑顔を見たような気がするくらいの満面の笑みだった。真っ赤なエプロンがよく似合い、笑顔に映えていた。
それを横から見ている須藤先生の顔にはいとおしさが溢れている。何がここまで二人を変えたのだろう。
――結婚というのはそんなにいいものなのか?
その時、初めて結婚という二文字を頭の中に思い浮かべた。ドラマなどで見ていても、
かなり遠い将来の出来事のように見えて、完全な他人事である。
それまでの西本氏も、自分は他人とは違うという思いが強かった。一緒に行動する連中はいても、彼らも同じように他の人と一緒にいることはない。
――類は友を呼ぶ――
というがまさしくその通りで、西本氏の近くにいる連中は西本氏とは同類だった。それがその日一緒に先生の家を訪れている連中であり、それぞれに個性的な性格であることを認め合っている。
しかし、西本氏はつるんでいるような群れの成し方はしたくない。群れの中に埋もれるのではなく、自分の個性を発揮できながらの類であればそれでいいのだと思っている。
だが、この考えはあまり他の人には分からないようだ。お互いに個性的な性格であることを認め合っている連中であっても、西本氏の考えが分かるかどうか疑問であった。
だが、先生の家に行ってから、少し他の人と接してみようと考えるようになった。新婚家庭の温かさを肌で知ることができたからで、本当に部屋の中が暖かく、甘い香りに睡魔を誘われ、ボンヤリとしてしまったことをいつまでも忘れないだろう。
中学時代に先生としてしか見ていなかったギャップがそこにある。一匹狼としての雰囲気はもはやなく、普通の家庭に収まってしまった先生を見て、少し複雑な気分だった。
その理由はしばらく分からなかった。自分が変わってしまうことをその時に予感したが、思ったとおり、まわりに対して協調性を持つようになっていた。
「あいつも成長したな」
親はそう言って喜んでいた。
親に対しては逆らうことのなかった西本氏は、親という存在を絶対なものだと思っていたのだ。
――自分の個性はそれが根底にあるのかも知れない――
小さい頃から父親には、
「人と同じことをしていては、成長しないんだぞ」
と言われていたが、母親からは、
「皆と仲良くしなければいけません。自分勝手ではいけないのよ」
と言われていて、幼い頭で考えていて混乱してしまったことは言うまでもない。
やはり父親としての威厳が勝るのか、人と同じではいけないということが頭に残っている。そのままそれが自分の考えになったのだが、一人でいることに慣れてしまうと、人と行動をともにするのが億劫になる。
億劫という言い方は正確ではないかも知れない。自分が中心でなければ我慢できない性格、母から言わせれば自分勝手な人ということになるのだろう。
西本氏から父親を見て、それほど感じないが、
「お父さんは自分勝手な人だから、あんな風になっちゃいけないのよ」
と、よく母に言われたものだ。そんな二人がどうして結婚したのだろうと感じるが、考えてみれば二人が結婚しなければ自分も生まれてこないので、それ以上の疑問は無駄に思えた。
作品名:短編集86(過去作品) 作家名:森本晃次