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桜咲くころ(下) オール讀物推理小説新人賞最終候補作

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 約束の時刻、佐賀町の店を訪ねたが、源八はまだ戻っていなかった。店の隅で茶をすすって待っていると、四半刻もたったころ、あわただしく
入って来た。
 源八は切れ切れの息で「お待たせしました」と詫び、女房のおちかに水だといって一気に飲み干すと、話しはじめた。
「弥三郎は、島田町の永居橋そばの裏店をねぐらにしていたんですが、もう十日も帰ってきていません。やくざ者らしい男たちが金を返せと
毎日のように押しかけるので、雲隠れしたんだろうという噂です」
「博奕か」
「その見当で、心当たりの博奕場をしらみつぶしにあたってみたんです。霊巌寺裏の小さな荒れ寺に賭場が立っているんですが、そこに出入りしている
客から、弥三郎が大きな焦げつきを出して、どこかへ連れていかれるのを見たという話を聞き出しました」
「消されたか」
「それがですね、妙なことに、弥三郎を連れて行った用心棒の浪人も、その日をさかいにぷっつり見なくなったというんです」
「浪人……?」
「もっとも、貸元の友吉は、何を聞いても知らぬ存ぜぬですが」
「そのことと、おぬいが消えたことと引っかかりがあるのか?」
「おぬいの家の裏の堀川を下ると、熊井町に行き当たります。そのあたりの空き家にうさんくさい連中が出入りしているという噂を耳にしたことが
あるんです。そいつを調べるのに手間取ってたんですが、その空き家というのが、貸元の友吉が誰かの借金のカタに取ったものだとわかりました」
「つまり、友吉の持ち物か」
「はい」
「行くぞ」
 刀を取り、立ち上がった。

 熊井町は、仲町界隈の賑わいや華やかさからはずれた、静かな町である。あちこちに空き地や雑木林もある。
 源八が、あれですと一軒の空き家を指す。人の手が入らなくなって久しいらしく、荒れ果てて、伸び放題の庭木や雑草にうずもれていた。
 竹垣越しに家のほうをのぞく。空き家のはずが、左手の台所のあたりから、蝋燭の明かりがちろちろと漏れ、人の声がする。
 ふたりは、壊れ落ちかけている枝折り戸をすり抜け、庭に入っていった。気が早い虫の声が、人の気配を感じ、ピタッと止んだ。
 足を止め、家のほうをうかがい見る。話し声は続いている。気づかれていないようだ。
 ふたりは、ふたたび歩みを進める。
 勝手口の戸が開いている。
 文史郎は戸口の脇にはりついて、耳をそばだてる。
 源八は戸口の向こうの窓の下にうずくまり、顔をしかめてぼりぼり腕を掻いている。蚊に刺されたのだ。文史郎もすねのあたりが無性に痒くなってきて
掻く。
「帰して下さい」
 女の声にハッとし振り向いた。
 のぞき込むと、台所の柱に、女が後ろ手にくくりつけられており、その向かいに樽を置いて腰掛け、話している男の背中が見えた。
 窓の下から、源八が文史郎に向かって声を出さずに言う。
(弥三郎です)
 文史郎も声に出さずに言う。
(あっちはおぬいだ)
 弥三郎が言った。
「金のありかを言う気になったか」
 おぬいのすがるような声が聞こえる。
「何度言ったらわかるんです。そんなもの、ありゃしません」
「いい加減白状したらどうだ。そうしたら帰してやる」
「お金を貯め込んでいるなんて誰から聞いたんです。根も葉もない噂です」
「あくまでもとぼけるなら、おおそれながらと訴え出るぜ、甚平を殺したのはおぬいでございますと」
「何度も言うように、あの人は酔っぱらって堀にはまったんです。殺したとしたら、あんたでしょう」
「そのころはわけありで江戸を離れていたんだ。殺せるわけがねえ」
「知ってるんですよ、あなたが甚平を嫌っていたこと。死んだと聞いて、正直ほっとしたでしょう」
「……あいつは狂犬そのものだった。男前だし普段はおとなしくて優しいから、女はころりと騙されるが、ひょいとした拍子に目が据わり残虐になる。
薄気味の悪い野郎だ。ああ、大嫌いだったさ。だから、くたばったと聞いて祝い酒を飲んだくらいだ」
「着物は? うちにあった着物はどうしたんです?」
「売ればいい金になりそうだ」
「あれはだいじなお客様のものです。返してください」
「それより自分の命を心配しやがれ」
「あんたみたいな意気地なしが、殺せるもんですか」
「おれだって、やるときゃやるぜ」
 その言葉に、ふんと鼻を鳴らした者がいる。
 台所にもう一人いた。
 覗き込み目をこらすと、蝋燭の向こうの暗がりに、鞘がらみの刀を抱いて壁にもたれている男がいた。暗くて顔はさだかではないが、月代が伸びているし
袴をつけているから、どうやら浪人者らしい。
(行きますか?)
 源八が無言で訊く。
 文史郎がうなずくと、源八は用心深くその場から離れていった。何かのときは捕り方を呼びに行くように申し合わせてあった。
 弥三郎がつづける。
「あんな疫病神みたいな女に捕まるとは、おれも焼きが回ったもんだと、甚平の奴、こぼしていたぜ」
「疫病神はどっちだったんでしょうね」
「餓鬼はどうした」
「神隠しにあいました」
「とぼけるな。甚平から聞いたぞ。神隠しなんて嘘っ八だ、おれに殺されると思ってどこかに捨ててきたんだ、じゃまくさいのが片づいてすっきりしたがな、
と言っていた」
 文史郎の気持ちが強ばる。子どもは掠われたのではなく、おぬいが捨てた?
「預かってもらったんです」
「誰に?」
「言うもんですか。あの人にそれを言ってしまったことを今でも後悔しているんですから」
「甚平には教えたのか」
「散々殴られて、白状してしまったんですよ。あの人は、子供を預かってくれた人からお金をゆすりとろうとしたんです」
「強請る?」
「自分の子が拐かされたと訴え出ると」
「そりゃいい。たしかに人別帳の上では、まぎれもなく甚平の子だ」
「それで、先様にとんでもない迷惑をかけてしまった。だから、口が裂けても言うもんですか」
「弥三郎」
 ひび割れた声がした。
 弥三郎がビクッとして振り向く。暗がりのむこうから浪人が言った。
「これ以上おまえの与太話に付き合っちゃいられねえ」
「与太話じゃねえって」
「このばあさん、金は持ってねえ」
「ちょっと待ってくれ。いま白状させる」
「甚平を殺したのもこの女じゃねえ。ということは、おまえが金を返せるあてはなくなったということだ。それを知ったら、貸元はどう言うだろうな」
 浪人がゆっくりと立ち上がり、刀を腰に差し落とした。背の高いがっしりした男だった。
 カチッと冷たい音が聞こえた。刀の鯉口を切ったのだ。
「ま、待て、早まるな」
 弥三郎が樽からずり落ち、尻餅をついたまま土間を後ずさる。
「そうとわかったときは二人とも始末しちまえという友吉親分のお達しだ」
 浪人が刀を抜いた。
「待った」
 文史郎は十手を掴んで飛び込んでいった。捕り方を待っている猶予はない。
「このふたりには聞きたいことがある。いま殺されちゃ困るんだ」
「誰だ」
 文史郎をにらみつけたのは、鬼気を帯びた氷のような目だった。剣の道を極めた者が相手を倒すと決めた、殺意の滾った目だった。
   やられる。
 文史郎は、全身を貫く恐怖心とはちがう予感のようなものに凍りついた。
 気構えて、低く声を吐き出す。
「八丁堀だ。神妙にしやがれ」