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桜咲くころ(上) 第45回オール讀物推理小説新人賞最終候補作

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 定町廻り同心の平井文史郎は、着物の裾をからげ、永代橋を走っていた。
 妻の七尾が、隣家の下男に託して、今すぐ屋敷にもどれと言ってきたのだ。
 父嘉之助の容態が急変したという。どんな火急の場合でも、七尾がお役目中に使いを走らせてきたことはない。それだけでも
のっぴきならない事態だと察せられた。
 母の一周忌がちかいことも、文史郎の不安を大きくさせている。父は母を亡くして抜け殻のようになった。
 まさか親父殿は、おふくろ殿の後を追って、このままみまかってしまうのではないのか。
 病気知らずだった父が、四十を過ぎたころから急に病気がちになり、ここ一年ほどは疝気の気がひどくなって、とうとう床に伏せってしまった。
 かかりつけの医者が出す高価な薬もさほど効がなく、やつれてきてはいたが、気長に養生すればいずれは良くなるだろうと高をくくっていた。だから、
七尾の報せは、文史郎をひどく慌てさせた。
「おめえはあとから来い」
 必死に後をついてくる与吉に声を投げ、さらに足を速めた。
 与吉は、父の代から供をしている小者で、もうすぐ六十に手がとどく。
 たまらず橋の真ん中で立ち止まり両膝に手をついて激しく咳き込む老人の姿が、みるみる小さくなっていった。
 霊岸島を駆け抜け、八丁堀の組屋敷に着いたときには、もう日が暮れかかっていた。
 走り込んで行くと、六、七人の者が父の床を囲んでいた。
 叔父の新田勝之進や伯母の光代の顔もある。
 文史郎は、勝之進を慕っていた。頼もしいこの叔父の顔を見ると、心が落ち着く。
 父の嘉之助は三人きょうだいで、三枝光代は姉、新田勝之進は弟で、勝之進は文史郎の実の親でもある。
 新田家に三男として生まれた文史郎を、嘉之助が平井家の養子に申し受けたのである。もっとも、そのとき文史郎は数え年で
二歳にもなっていなかったから何も覚えていない。
 妻の七尾が、文史郎を認めると無言でうなずいた。気丈にしているが、顔は青ざめている。
「いったいどうした」
 歩み寄ってゆくと、叔父の勝之進が立ってきて、むこうへと目顔で言い、縁側へ出ていった。
「おひさしゅうございます」
 文史郎の挨拶に勝之進は小さくうなずき、すぐに顔を寄せてきた。
「もうだめかもしれん。腹に血が溜まっているそうだ。胃の腑に大きな痼りができていて、それが破裂したらしい」
「それで急に」
「医者の診立てでは、もう長くはないと」
「しかし、今日明日というわけでもありますまい」
「その心づもりでいろと言われた」
 あなどっていた。まさかそこまで深刻な事態に至っているとは思ってもみなかった。
 七尾が呼びに来た。
「旦那さま、お義父様が」
 もどると、嘉之助が目を開け、「ふたりだけに」と言うので、嘉之助と文史郎を残してみな出ていった。
 嘉之助が切れ切れの声で言った。
「文史郎、おまえに言っておくことがある」
「なんでございましょう」
「七尾にはほんによくしてもらった。くれぐれも礼を言ってくれ」
「じかに申されたらいかがです? そこにおりますぞ」
「七尾はいい嫁だ。大切にしろ」
「はい」
「それとな」
 そこまで言って、息を詰め顔をしかめた。
「痛みますか」
 深く息を吸い込み、嘉之助が最後の力を絞り出すように言った。
「おぬいを……、気にかけてやれ」
 そのことの意味を理解しかねた。
「おぬい? 誰のことです?」そう言ってから、かろうじて思い出した。「昔うちで働いていたという女中のことでしょうか」
 嘉之助が、壁のあたりに目を漂わせた。
「三津か」
 それは、亡くなった母の名だった。
 いかん、と文史郎は思った。迎えに来た母の姿を見たらしい。
 嘉之助が言う。
「もう行かねばならぬ」
「親父殿、何を申されておる」
 やつれた顔に、フッと笑みが過ぎった。そして、そのままこときれた。
「父上! 父上!」
 皆がばたばたと部屋にもどってくる。
「大旦那様!」
 与吉の声が轟いた。長年仕えた老小者は、嘉之助のことを今も隠居とは呼ばず、そういう呼び方をした。廊下にひれ伏し、歯を食いしばり、
わなわな震えている。
「与吉、おまえもこちらへ。お義父さまを見てさしあげてください」
 七尾に言われ、
「大旦那様、大旦那様……」
 与吉はうなされたようにつぶやき、よろけながら入ってきた。
 夕暮れの薄暗い寝間に、女たちのすすり泣きが流れた。

 父嘉之助との思い出は多くない。
 すぐに思い浮かぶのは、仁王のように文史郎を見おろしている若き日の姿である。四歳のころから竹刀を持たされ、自宅の庭で毎日のように
手ほどきを受けた。
京橋常磐町の矢作道場で俊才といわれた父の稽古の厳しさは尋常ではなく、幼いからと手心が加えられることはなかった。
 成長とともに厳しさは増し、朝夕の素振り千回はいうにおよばず、打ち込みや受けの稽古が限りなくつづいた。構えに隙があればたちまち
竹刀が飛んできて、幼い身体を容赦なく打ち据えた。
 嘉之助は寡黙で、家人と話すのをあまり聞いたことがない。
 ましてや文史郎と言葉を交わすことは滅多になかった。いつも背筋を伸ばし毅然とした立ち振る舞いの父に、一種の畏れと尊敬の念はあったが、
そのぶん、親しみの情はわかなかった。
 文史郎にとって、謹厳実直で寡黙な父は、踏み入りがたい孤高の人のように思われたのである。
 やがて父の言いつけで霊岸島の金井道場に通うようになり、直接指南を受けることがなくなって、ますます話をする機会はなくなった。だから、
父との楽しい情景も、感傷に浸るべき思い出もない。
 父の無感情な態度に、幼い文史郎は胸を痛めた。どうせ、自分は血が繋がっていないのだとねじくれもした。
 しかし、歳月とともに、その思いは的はずれのような気がしてきた。そして、父はもともと情の薄い人なのだと結論づけた。情愛を受けないのは、
子の自分にではなく、父のほうに原因があると考えたのである。そうすると、ほとんど会話のない父子関係も沈黙の食事も苦痛ではなくなった。
 だから、母が息を引き取ったとき、父の目からこぼれ落ちる涙を見て、文史郎は目を疑い、涙の意味をはかりかねて当惑もした。
 その日をさかいに、父は食事もままならないほど憔悴し、たちまち老い込んだ。
 そして、ついに力尽き、床に伏せたのは今年、庭の桜の蕾がふくらみはじめた頃である。それまでの超然とした父しか知らない文史郎の目に、
その姿はまるで枝先にしがみつく腐りかけた花のように見苦しく、不甲斐なく映ったのだった。

   おぬいを気にかけろ? なんでだ?
 幾度となくおなじ問いがくり返される。
 父の遺言となった不可解なひと言が、文史郎を悩ませる。なんの因果であんなばばあを気にかけねばならぬのだ?
 おぬいは祖父の宗右衛門がまだ存命のころ家にいた女中なのだが、文史郎が平井家に来るのと入れ違いに辞めているので、直接顔は合わせていない。
ただ、町廻り場内の住人なのでおぼろげに知っているというだけのものである。話をしたこともない。そんな女をいきなり名指しで気にかけろと
言われても困る。
 そもそも、「気にかけろ」とはどういうことだ?