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今日降る雪の (オール讀物新人賞最終候補作)

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 助左衛門は開きかけた口を閉じた。反論できなかったのだ。それは、昼間、居川球磨から問われて内心狼狽した理由でもあった。
「大先生だけではない。自分も海伊が大嫌いでござった」
 と頼母は告白した。
「いや、嫌いというのではない。何でも彼でも杓子定規に物を見るあの堅苦しさが疎ましく苛立たしかったのだ。人はもっと柔軟に物事を受け止めなければならぬ。
 それがわからぬから嫌みをいい、からかい、苛めた。それで怨まれるなら致し方なし。言い逃れするつもりはない」
 だれも言うべきことばが見つからず、黙り込んだままである。
「自分にはわかっている」
 頼母はつづけた。留守居役言葉という独特の言葉遣いがあり、おのれのことを『自分』と呼ぶ。
「これは、海伊を死に追いやった者たちへの意趣返しだ」
「住吉、疑わしき者は?」
 助左衛門が、終始沈黙を守っていた住吉重郎太に問いかけた。
 亡き海伊の後任として入った美月藩の若き江戸留守居役である。
「海伊どのは妻女も亡くなっており、子もございません。かようなことをしでかす者など、さっぱり見当が……」
「兄がおろう」助左衛門が言った。「用人の、何といったか……」
「大友壱之丞様ですか?」重郎太が言った。「しかし壱之丞さまは、刀どころか竹刀さえ握ったことがないと申しますし、それよりなにより、亡き弟のためとはいえ、人を手にかけるような御仁ではござりません」
「されば---」
 依田が言いかけるのを遮って頼母は言った。
「まだ言うか。死んだ者は生き返らぬ。金四郎どのの首を斬り落としたのは海伊ではない」
「襲ってくるとしたらどこであろう……」球磨が呟いた。「われらは、どんなときでも、一人になるということはない。宴席に出向くときは、すくなくとも
一人か二人は供の者がいるし、宴席には多人数が寄り集まる。そこを急襲するとなると、その場にいる者を一人残らず排除しなければならぬし、それでは
手間取って狙う相手を討ち取ることは難しかろう」
 福川藩の脇坂志道がつづけた。
「だからといって、われらの居宅を襲うのも難しい。藩邸の前で昼夜通して待ち伏せしていれば目につくし、見咎められて、決行に到らぬまま取り押さえれられてしまうだろう」
 松井藩の笠原飯山が言う。
「藩邸内に忍び込むことさえ容易ではない。たとえ忍び入ったとしても、広い藩邸内でどれがわれらの屋敷か探り当てるのは容易ではないし、寝屋を探り当てるにはさらに時が掛かる」
 依田が怯えた表情で言う。
「誘き出そうとするのではありますまいか。大先生や居川様や、あるいは女の名を使って誘き出し、一人になったところを狙って……」
「せいぜい気をつけることですな」球磨が嫌みな笑みを浮かべて言った。「我ら、とくに女の誘いには弱い」
 その軽口に笑う者はなく、だれもが深刻な面持ちで物思いに落ちた。
「ふん」頼母が一人鼻で嗤い、盃にあらたに酒を注いだ。「来るなら来い。上杉頼母は逃げも隠れもせぬ。返り討ちにしてくれるわ」



      二

「お頼み申す! お頼み申す!」
 昼過ぎ、神田鍛冶町中居道場の玄関先に立ち、声を張り上げる浪人者があった。
 齢は三十一、二だろうか、細身ではあるが、骨太の精悍な体つきで、周囲を圧倒するような堂々とした気迫をみなぎらせていた。
 剣道着姿の若い門弟たちが出てきて、「何用でござるか」と訊ねると、
「拙者、鈴木善兵衛と申す。強者揃いの中居道場の皆々様にぜひとも、ご教授賜りたくお願いに参った」
 と言った。
 それを聞いて門弟の一人が奥へ走り込み、師範代とおぼしき男を連れてもどってきた。浪人者より二、三歳若いだろうか、胸板が厚く屈強な体つきをしている。
 竹刀を手にしたまま師範代が浪人を見下ろして、せせら笑うように言った。
「ほう、道場破りか。いまどきめずらしい」
「一手、御指南をたまわりたい」
「当道場は他流試合を禁じておる。お引き取り願おう」
「ならばしかたがない。中居道場は怖じ気づいて他流試合を断ったと世間に喧伝させていただく。されば、看板を頂戴して参る」
 くるりと背を向け、看板が掲げてある門のほうへと歩き出した。
 門弟たちが色めき立った。
「待て!」
 男たちが裸足のまま追いかけ、一同が取り囲むと、師範代が行く手に立ちはだかった。
「看板を持ってゆくことは相ならん」
「北辰一刀流中居道場は高名だが、実のところ腑抜け揃いと大いに喧伝するのに、ただのほら吹きと思われては業腹。証しの看板は是が非でも入り用にござる」
「来い」
 師範代はいきなり踵(きびす)を返すと、道場のほうへ足早に歩いていった。
 中居道場は浪人のいうように名のある剣客を多く輩出している由緒ある道場である。その強さは今も変わらず、江戸で五本の指にはいると言われており、
御前試合でもつねに上位を占める。
 師範代の号令で門弟たちが稽古を中断し、壁を背にして座った。
「ただいまより、他流試合を行う。小山っ」
 呼ばれた高弟らしき若侍の小山はまえに出ると、敵愾心をあらわにして浪人を睨みつけた。これまでの無礼や放言がよほど腹に据えかねているようである。
 この道場の門弟はほとんどが武家の上士以上の子弟ばかりで、町人や武家の軽輩の子息はいない。そんな育ちの良い門弟たちも、血気にはやる目で成り行きを見守っている。
「一本勝負。はじめっ」
 蹲踞の姿勢から立ちあがると同時に、小山がいきなり床を蹴り、撃ち込んでいった。浪人は頭を低くして左に跳び、その一撃をかわして、相手の手首に強烈な一撃を加え、胴を打った。目にもとまらぬ疾風迅雷の動きだった。
 若侍の手から落ちた竹刀が音を立てて床を転がっていった。
「一本」
 師範代が苦々しくいった。認めざるを得ないあざやかな一撃だった。
 さらにもう一人、その場にいた高弟を指名したが、おなじ結果に終わった。
 師範代は「くっ」と喉を鳴らすと、
「中居道場師範代、安岡哲馬が相手する」
 とみずから竹刀を取って前に進み出た。
 門弟の一人が防具を差し出すのを、「無用」と突き返し、浪人と対峙した。
 そのとき、安岡は相手の構えが不格好で一風変わっていることに気づいた。後ろ足に重心を置き、腰を思いきり引いているのだ。そういえば、いまほどわかりやすくはなかったが、善兵衛は初戦からこの構えをとっていた。
 こんなへっぴり腰では強い打ち込みはできまい、と安岡は感じた。
「はーっ」
 気合いの声を発し打ち込んでいった。
 しかし、浪人はそれを巧みにはずし、右へ左へ後ろへと飛んだ。間髪おかずに打ち込んでいくが、ことごとくはずされる。安岡は、その不格好な構えが、
敵の攻撃を外すのにきわめて有効なものだと知った。
 相手はこちらの攻撃を待っている。思い返せば、一、二戦ともそうだった。攻撃をすればそれをはずし、隙が生まれたところへ打ちこんでくるのだ。
 よかろう、こちらから仕掛けるのはやめだ。そっちから打ち込んでくるのを待ってやる。
 しばし両者の足がとまり、にらみ合いがつづいた。
 安岡は、善兵衛の右のつま先がじりっと動くのを視野のはじに捉えた。
 来るか。
 そう感じたときには頭頂に激打を浴び、衝撃とともに鋭い音が鳴っていた。