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今日降る雪の (オール讀物新人賞最終候補作)

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 留守居役の人数は藩の大小などによって、一名のところもあれば多人数を置いてあるところもある。助左衛門の小野原藩には四名いるが、長津藩には留守居役が三人、居川球磨がその筆頭で、殺された吉川金四郎は次席である。
 助左衛門が聞いた。
「金四郎が、誰かの怨みを買っているというようなことはなかったか」
 球磨は口を結んで答えない。
 殺された理由が何にせよ、その首が置かれていたのが助左衛門の屋敷前だったことが、すべてを示唆しているように球磨には思える。
 顔を上げると、目に映ったのは、年甲斐もなく怖気立ち、底知れぬ不安に囚われている老人の姿だった。
 球磨は重い口を開いた。
「大先生が、恨みを買うようなことはございませなんだな?」
「何を申す。そのようなことがあるわけがない」
 助左衛門は言下に否定したが、どこか狼狽しているようにも見えた。
 球磨は「んー」と深いため息をつき、ふたたび腕を組んで黙り込んでしまった。
 生首が見つかった後、助左衛門はすぐにそれを幕府に届け出た。御徒士目付が駆けつけ、首が置かれていた現場の見分や発見者の聞き取りを行い、その見分書と口書きが御目付を通して月番の若年寄にあげられた。
 金四郎の首が置かれたのは神楽坂だが、首なし死体が見つかったのは町地の品川である。本来、町地で起こった事件は町奉行所の受け持ちとなるが、
首が見つかったのが武家屋敷だったので、御目付と町奉行のどちらで吟味探索するか、若年寄に判断を仰いだのである。
 いずれにせよ、すでに月番の北町奉行によって探索ははじめられている。
「見分にきた徒士目付に根掘り葉掘り聞かれて、ひどく不快な思いをした」助左衛門が言った。「御上に届け出なんぞしなければよかったと後悔したぞ。
金四郎の首は秘密裏に処分して、口をつぐんでおれば良かったのだ。町方が品川の金四郎の死骸を調べ、首なし死体のまま探索が終わってしまえば、痛くもない腹を探られることもなかった」
 球磨は無言で頷いただけだった。あまり関心がないように見えるのが、助左衛門には不満らしい。
「敵は、我が山下家ではなく、帝鑑の間詰めの留守居役組合を標的としているのではないのか」
 と助左衛門が言った。
「なぜ、そうお考えで?」
「そ、それは、当家が怨みを買うような覚えはないからだ」
「さようか……」
 球磨の答えは歯切れが悪く、何かしら含みがあるようでもある。
 煮え切らない態度に助左衛門は苛立ち、
「今夜、売茶亭(ばいさてい)でな」
 と言い捨てるように言葉を残して出て行った。
 一人になった球磨は目を落とすと、腕を組んで深いため息をついた。
 助左衛門に同情する気持ちはなかった。一刻も早い事態の収束と自藩に被害が及ばないよう、ひとえに願うばかりである。
 金四郎にこんなひどい仕打ちをしたのは誰だろう、と思案はふたたび立ちもどる。
 助左衛門には言えず口を濁したが、実は、思い当たる節がひとつだけあった。もしそうだとすると、この凶事は、金四郎一人では済まない。もはや、その禍根を断つことは叶わないからだ。
 そのことに思い至って、球磨は突然、恐怖と不安に凍りついた。
 まだ誰か殺される。つぎは……誰だ?


 売茶亭の二階の奥まった座敷に、江戸留守居役たちが集まっている。
 江戸留守居は会合や相談と称して、藩の公費で高級料理屋やときには吉原、芝居見物、相撲見物と遊興に明け暮れる。そんな寄合に対し幕府は禁止令を出したが、何年かするとまたぞろ幅をきかせはじめ、御留守居茶屋と称する料理屋も現れ始めていた。芝久保町にある売茶亭も、そんな御留守居茶屋のひとつで、平清や八百善とならぶ名代の料理茶屋でもある。
 その、いかにも高級そうな料理屋から、今夜も三味線の音や芸者や客の華やいだ笑い声が聞こえている。
 しかし、二階の奥まったその一室だけは、場違いに重い空気につつまれていた。
 広い座敷には酒肴の膳が用意されているが、そこで盃を傾けているのは一人だけである。
いつもなら呼ばれた芸者たちが出番を待って控えているはずの隣の小座敷に武家たちが集まり額を寄せ合っていた。
急遽、山下助左衛門から招集を受けた帝鑑の間詰め大名家の留守居役たちである。
 誰が金四郎を殺して助左衛門の屋敷の前に首を置いたか、さんざん憶測や見解を交わしたが、解明するには至らなかった。
 金四郎の死体の斬り口から見て、ただならぬ遣い手らしいと聞いても、恐怖心を煽られるだけで、その遣い手というものにはだれも心当たりがなかった。
「殺したのは誰かということより、この先どうすべきかでござろう」
 分別くさくそう発言したのは脇坂である。三十七のとき備後福川藩の留守居役に就いて七年になる中堅である。
「他出のときは、警護人を伴うことにしましょう。若党だけでは心許ない。せめて二人か三人腕の立つ者を」
 と美濃稲垣藩の依田謙之亮が言った。
まだ三十前の、助左衛門はもとより周囲の顔色ばかりうかがっている気の小さい男である。
「ならば他出そのものを控えれば良い。さすれば襲われることもない」
 と笠原が言う。信濃松井藩の留守居で、依田とは年齢も経験年数も近い。
「では、われらの寄合の会もしばらくは控えるということに……」
「方々は」
 口をだしたのは隣の座敷で一人酒盃を傾けていた上杉頼母である。
「事件はまだ終結していないとお考えのように聞こえるが? つまり、吉川金四郎どのがはじまりで、さらに二人目、三人目の犠牲者が出ると」
 一同が返答に詰まり押し黙る。
 豊前戸倉藩の留守居の頼母は三十半ばとまだ若いが、相手が誰であろうと歯に衣着せぬ物言いをする。平然と冷徹非情な意見を吐いて場を白けさせることもあるが、しかしそれはいつも正鵠を射ているので、反論の余地がなく、皆を黙らせてしまうのだった。
「ご一同、なぜそうお思いか」
 全員、うつむいたままである。
 頼母は盃を満たしぐいと飲み干すと、皆のほうに振り返り、さらに追いつめるように強くことばを吐いた。
「大友海伊(おおともかいい)」
 突然出たその名に、部屋の空気がぴしりと凍りついた。
「どなたも、そうお思いなのであろう。それに触れぬのは、その名を口にするのがはばかられるか」
 それに対して声を返したのは、大先生の助左衛門だった。
「……あれはずいぶん前のことだぞ。それに、あの男はすでにこの世にはないのだ。それがどうやって金四郎を殺し、首を切ってわしの屋敷まで運ぶのだ」
 震えおののき、依田謙之亮が思わず口走った。
「亡者があの世から舞い戻ったか」
 一昨年の師走、下総美月藩の留守居役大友海伊は寄合の席を飛び出し、吾妻橋から身を投げて死んだ。
「海伊はここにいる全員に怨みをもっていたと思うが、とくに怨まれていたのは殺された吉川金四郎、この上杉頼母(たのも)、それといちばんは大先生であろう。つぎに襲われるとしたら、二人のうちのどちらかだな」
 助左衛門がむっとして聞く。
「なぜ、わしが一番なのだ」
「お忘れか? 海伊は、大先生の度重なる苛めに、我慢ももはやこれまでとみずから命を絶ったのじゃ。金四郎の首がお手前さまの門前に置かれていたことが、何よりの証しでござろう」