今日降る雪の (オール讀物新人賞最終候補作)
一
夕暮れころから降りはじめた雪は、夜が深まるとともにいっそう激しくなってきた。
江戸城の濠に沿ってつづくその広い通りも、白一色に塗り込められ、音はなかった。
そのかすかな雪明かりをたよりに突き進む一人の武士の姿があった。
降りしきる雪が視野を塗りつぶし、行く手をはばむ。
深く積もった雪のなかに足を踏み込むたびに吐き出される白い息は、たちまち闇に吸い込まれて消える。
男は、傘も差さず蓑(みの)や合羽も着ていない。
頭の上の一文字笠には雪が積もり、黒羽織に納戸色の袷(あわせ)、鉄紺の無文の袴も真っ白である。
手に提げている晒し木綿の白い包みが、かじかんだ手に食い込み、時とともに重みを増してくるようだった。
品川からここまで歩いて来るのに一刻(二時間)もかかった。
男は牛込御門のまえから右に折れ、広い坂道をゆっくりと上っていった。深夜、行く手には薄闇のなかに白い風景が延びているばかりで、人の姿はない。
神楽坂とよばれるその坂の右手は武家地で、通りに面して大きな屋敷がつづいている。この辺りは旗本屋敷が多く、坂道の向こうの北側には小旗本の
居宅がひしめく。
坂の中腹まで来ると、男は足を止め、向き直った。
笠を上げ、正面に見据えたのは、相模小野原藩留守居役、山下助左衛門の屋敷である。
江戸定府の江戸留守居役は、それぞれ藩邸内に与えられた屋敷を居所としているが、藩邸内での暮らしは窮屈だといって、そとに別宅を構える者も少なくない。
助左衛門邸の大きな門は固く閉じられ、厚く雪をかぶって、門番の姿もなかった。
男は手にしていた晒し木綿の包みをほどくと、なかのものを取り出し、門前の踏み石段に叩きつけるように置いた。
ぐちゃっと音がしてそこから血がほとばしり、周囲の雪を紅く濡らした。一刻前に切り落としたばかりの生首だった。
男は門を離れて通りに戻ると、振り返ってまた門を睨みつけ、無言で雪の坂を下っていった。
新しき 年の始の 初春の
今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)
男の背を追うように、懐かしい声が降りしきる雪とともにとめどなく降りおちてくる。今は亡き友が餞(はなむけ)として贈ってくれた歌である。
雪は、坂道にしるされてゆく男の足跡も覆い消して、静寂だけを闇に沈めていった。
「殿、殿!」
障子越しに浅田七五郎の声がした。この家の若党である。二十四歳という若さに似合わず冷静沈着で頼りになる男だが、めずらしくその声は取り乱していた。
「どうした、大きな声を出して」
眠りを破られた助左衛門は、寝床から不機嫌な声をあげた。
「お休みのところ、恐れ入ります。一大事でございます」
「なんだ、こんな朝早くから」
「御免」
障子が開いて、七五郎が青ざめた顔で入ってきた。
「門前に、首級が置かれておりました」
「しゅきゅう?」
七五郎が枕元まで近づいてきて声をひそめ、「生首でございます」と言った。
「どういうことだ?」
「わかりません。つい今し方、仁平が雪かきをしようとおもてに出たところ、門前の踏み段の上に置いてあったと」
「何者の首だ。当家の者か」
「見覚えのない顔にございます。髪型から察するところ武士のようですが」
「首だけか? 胴体は?」
「見あたりません」
「見知らぬ武家の首だけが、当家の門前に置いてあったというのか」
「はい」
「屋敷を違えたのであろう。当家には、さような禍難を受ける覚えはない」
「まことに」
「早急にお上に届けなさい。そのような悪戯を働く者を野放しにしておくわけにはいかぬ」
「承知いたしました」
「首はどうした」
「門前にいつまでも置いておくわけにもまいりませんので。あちらへ」
助左衛門に促され、七五郎が障子を開けると、雪に被われた白い庭が廊下の向こうに広がり、部屋に明るみがさした。
半身を起こして覗き見ると、庭先に老中間の仁平のこわばった顔があった。
助左衛門は寝床を出て、廊下に出た。
ひざまずいていた仁平が顔を上げ、ぼそりと言った。
「こちらにございます」
膝元に男の首が置かれてあった。齢は三十半ばほどだろうか、その顔には今も苦悶の表情が残っており、髷は崩れ、口元には血がにじみ、かっと見開いた目は空をにらみつけている。
その禍々しい眺めに、助左衛門は思わず「うっ」とうめき、後ずさった。
「何者の所業でしょうか」
七五郎があらためて生首を見やってつぶやいた。
助左衛門は、死に顔の右の頬の、赤く大きくふくらんだ吹き出物に気づいて思わずあとずさった。
「そ、そ、そ、それは……」
七五郎が訊いた。
「存じ寄りの者ですか?」
助左衛門は、目を剥き空をにらみつける生首を震える指でさして言った。
「吉川だ、吉川金四郎、豊前長津藩の留守居役だ」
障子を閉めたきった役部屋は、庭一面を被った雪が昼下がりの日差しを照りかえして明るかった。
木挽町汐留の長津藩の上屋敷である。
山下助左衛門は、先刻から、長津藩留守居役の居川球磨と内談をつづけていた。しかし、話はとぎれがちで、たびたび沈黙が流れた。
江戸留守居役は、藩主が不在のとき文字通り江戸藩邸の留守を守り、藩主が在府であっても、御城使として江戸城中に詰め、幕閣の動静などを把握し対応する。
藩の外交官でもあり、幕府や他藩との交渉事もたいせつな職務である。
他藩の留守居役との交流を通しての情報交換も重要で、そのために留守居寄合仲間もつくられている。殿中では大名の格式によって帝鑑の間、柳の間、雁の間、菊の間など詰め席が決まっているが、江戸留守居組合も基本的には藩主の詰め席と同じ列の藩で組織されることが多かった。五位の譜代大名である長津藩と助左衛門の小野原藩はおなじ帝鑑の間詰めの組合である。
明るい障子のほうに目をやったまま沈思していた居川球磨が、組んでいた腕をほどき、丸火鉢に手をかざしてぼそりといった。
「大先生のお屋敷に金四郎の首とは……いったい誰がなんの意趣で……」
留守居役には貫禄によって格式があり、留守居寄合の中でいちばんの古参には敬意を表して「大先生」と呼ぶ。
大先生の助左衛門はいらいらして言った。
「それがわからぬから、こうして訊きにきておる」
今朝方、金四郎の首が見つかったのと時をおなじくして、金四郎の遺骸も見つかっていた。
首を切り落とされ、品川の料亭の裏庭の雪の中に転がっていたのである。
金四郎は昨日、その料亭で朝方まで飲み、そのまま別室で芸者と枕をならべて休んだのだが、早朝になって手水にたった。
なかなか戻ってこないことに気づいた芸者が、ようすを見に行って発見したのである。
金四郎の亡骸は町方によって見分され、いまはこの上屋敷にもどっている。切り離された首も助左衛門が運ばせて引き渡した。
球磨は「んー」とうめき、ふたたび思案に暮れる。まったく犯人に心当たりがないようである。
「吉川金四郎は御当家の御留守居役、貴公の直属の者でござろう。何者の仕業か、心当たりはござらぬのか」
夕暮れころから降りはじめた雪は、夜が深まるとともにいっそう激しくなってきた。
江戸城の濠に沿ってつづくその広い通りも、白一色に塗り込められ、音はなかった。
そのかすかな雪明かりをたよりに突き進む一人の武士の姿があった。
降りしきる雪が視野を塗りつぶし、行く手をはばむ。
深く積もった雪のなかに足を踏み込むたびに吐き出される白い息は、たちまち闇に吸い込まれて消える。
男は、傘も差さず蓑(みの)や合羽も着ていない。
頭の上の一文字笠には雪が積もり、黒羽織に納戸色の袷(あわせ)、鉄紺の無文の袴も真っ白である。
手に提げている晒し木綿の白い包みが、かじかんだ手に食い込み、時とともに重みを増してくるようだった。
品川からここまで歩いて来るのに一刻(二時間)もかかった。
男は牛込御門のまえから右に折れ、広い坂道をゆっくりと上っていった。深夜、行く手には薄闇のなかに白い風景が延びているばかりで、人の姿はない。
神楽坂とよばれるその坂の右手は武家地で、通りに面して大きな屋敷がつづいている。この辺りは旗本屋敷が多く、坂道の向こうの北側には小旗本の
居宅がひしめく。
坂の中腹まで来ると、男は足を止め、向き直った。
笠を上げ、正面に見据えたのは、相模小野原藩留守居役、山下助左衛門の屋敷である。
江戸定府の江戸留守居役は、それぞれ藩邸内に与えられた屋敷を居所としているが、藩邸内での暮らしは窮屈だといって、そとに別宅を構える者も少なくない。
助左衛門邸の大きな門は固く閉じられ、厚く雪をかぶって、門番の姿もなかった。
男は手にしていた晒し木綿の包みをほどくと、なかのものを取り出し、門前の踏み石段に叩きつけるように置いた。
ぐちゃっと音がしてそこから血がほとばしり、周囲の雪を紅く濡らした。一刻前に切り落としたばかりの生首だった。
男は門を離れて通りに戻ると、振り返ってまた門を睨みつけ、無言で雪の坂を下っていった。
新しき 年の始の 初春の
今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)
男の背を追うように、懐かしい声が降りしきる雪とともにとめどなく降りおちてくる。今は亡き友が餞(はなむけ)として贈ってくれた歌である。
雪は、坂道にしるされてゆく男の足跡も覆い消して、静寂だけを闇に沈めていった。
「殿、殿!」
障子越しに浅田七五郎の声がした。この家の若党である。二十四歳という若さに似合わず冷静沈着で頼りになる男だが、めずらしくその声は取り乱していた。
「どうした、大きな声を出して」
眠りを破られた助左衛門は、寝床から不機嫌な声をあげた。
「お休みのところ、恐れ入ります。一大事でございます」
「なんだ、こんな朝早くから」
「御免」
障子が開いて、七五郎が青ざめた顔で入ってきた。
「門前に、首級が置かれておりました」
「しゅきゅう?」
七五郎が枕元まで近づいてきて声をひそめ、「生首でございます」と言った。
「どういうことだ?」
「わかりません。つい今し方、仁平が雪かきをしようとおもてに出たところ、門前の踏み段の上に置いてあったと」
「何者の首だ。当家の者か」
「見覚えのない顔にございます。髪型から察するところ武士のようですが」
「首だけか? 胴体は?」
「見あたりません」
「見知らぬ武家の首だけが、当家の門前に置いてあったというのか」
「はい」
「屋敷を違えたのであろう。当家には、さような禍難を受ける覚えはない」
「まことに」
「早急にお上に届けなさい。そのような悪戯を働く者を野放しにしておくわけにはいかぬ」
「承知いたしました」
「首はどうした」
「門前にいつまでも置いておくわけにもまいりませんので。あちらへ」
助左衛門に促され、七五郎が障子を開けると、雪に被われた白い庭が廊下の向こうに広がり、部屋に明るみがさした。
半身を起こして覗き見ると、庭先に老中間の仁平のこわばった顔があった。
助左衛門は寝床を出て、廊下に出た。
ひざまずいていた仁平が顔を上げ、ぼそりと言った。
「こちらにございます」
膝元に男の首が置かれてあった。齢は三十半ばほどだろうか、その顔には今も苦悶の表情が残っており、髷は崩れ、口元には血がにじみ、かっと見開いた目は空をにらみつけている。
その禍々しい眺めに、助左衛門は思わず「うっ」とうめき、後ずさった。
「何者の所業でしょうか」
七五郎があらためて生首を見やってつぶやいた。
助左衛門は、死に顔の右の頬の、赤く大きくふくらんだ吹き出物に気づいて思わずあとずさった。
「そ、そ、そ、それは……」
七五郎が訊いた。
「存じ寄りの者ですか?」
助左衛門は、目を剥き空をにらみつける生首を震える指でさして言った。
「吉川だ、吉川金四郎、豊前長津藩の留守居役だ」
障子を閉めたきった役部屋は、庭一面を被った雪が昼下がりの日差しを照りかえして明るかった。
木挽町汐留の長津藩の上屋敷である。
山下助左衛門は、先刻から、長津藩留守居役の居川球磨と内談をつづけていた。しかし、話はとぎれがちで、たびたび沈黙が流れた。
江戸留守居役は、藩主が不在のとき文字通り江戸藩邸の留守を守り、藩主が在府であっても、御城使として江戸城中に詰め、幕閣の動静などを把握し対応する。
藩の外交官でもあり、幕府や他藩との交渉事もたいせつな職務である。
他藩の留守居役との交流を通しての情報交換も重要で、そのために留守居寄合仲間もつくられている。殿中では大名の格式によって帝鑑の間、柳の間、雁の間、菊の間など詰め席が決まっているが、江戸留守居組合も基本的には藩主の詰め席と同じ列の藩で組織されることが多かった。五位の譜代大名である長津藩と助左衛門の小野原藩はおなじ帝鑑の間詰めの組合である。
明るい障子のほうに目をやったまま沈思していた居川球磨が、組んでいた腕をほどき、丸火鉢に手をかざしてぼそりといった。
「大先生のお屋敷に金四郎の首とは……いったい誰がなんの意趣で……」
留守居役には貫禄によって格式があり、留守居寄合の中でいちばんの古参には敬意を表して「大先生」と呼ぶ。
大先生の助左衛門はいらいらして言った。
「それがわからぬから、こうして訊きにきておる」
今朝方、金四郎の首が見つかったのと時をおなじくして、金四郎の遺骸も見つかっていた。
首を切り落とされ、品川の料亭の裏庭の雪の中に転がっていたのである。
金四郎は昨日、その料亭で朝方まで飲み、そのまま別室で芸者と枕をならべて休んだのだが、早朝になって手水にたった。
なかなか戻ってこないことに気づいた芸者が、ようすを見に行って発見したのである。
金四郎の亡骸は町方によって見分され、いまはこの上屋敷にもどっている。切り離された首も助左衛門が運ばせて引き渡した。
球磨は「んー」とうめき、ふたたび思案に暮れる。まったく犯人に心当たりがないようである。
「吉川金四郎は御当家の御留守居役、貴公の直属の者でござろう。何者の仕業か、心当たりはござらぬのか」
作品名:今日降る雪の (オール讀物新人賞最終候補作) 作家名:加藤竜士