Ravenhead
そんなわけがない。高雄は少したるんだ頬をぴしゃりとやると、犬が水を切るように首を振った。強盗の線で間違いない。おれはどの道、捕まったら死刑だ。六人を殺したのだから。松虫は契約が切れたら初めての『課外活動』で殺すかもしれなかったが、そんなことを言っている場合じゃない。
でも、家族はどうなる?
所帯持ちの連続殺人犯。六人の内、五人は殺害前に強姦。ひとりは殺害後だ。住民課の課長で、仕事の合間に個人情報を強盗仲間に提供し、自身もスキーマスクを被って参加していた。今井係長はどうなる? せっかく仕事が上り調子なのに、殺人鬼を『竹さん』と呼んで慕っていた事実は、上からどう見られるのだろう。同情されるのか、出世の道を塞がれるのか、全く分からない。十野は、殺人鬼の旧友として、あちこちから取材攻めに遭うのだろうか。それが、葬儀屋の仕事に与える影響は? あゆみの『ご飯できたよ』という声に、高雄はよろけながら立ち上がった。中身を戻した封筒と名札は机の中にしまい込み、浅く息をしながら階段を下りた。とにかく、晩御飯を乗り切ろう。高雄が料理の並ぶテーブルの前に立つと、あゆみと克之が顔を上げた。高雄は震える手を固く丸めて抑え込みながら席に着いた。表情は分からず、声だけが聞こえてくる。
二人は、真っ黒に塗りつぶされていた。
夜九時、セドリックを逆向きに突っ込ませた十野はアパートの階段を上がり、ドアを開けたところで、封筒がポストに入っていることに気づいた。仕事は二日続けて休みで、それは心配事から除外されていた。何かが届くとしたら、請求書ぐらいしか思いつかない。十野は封筒を開いて、中身を手の上に出した。
『心配をかけて申し訳ない。ご子息は明日返す。ただし、その間に一台でもパトカーや警官が訪ねて来たり、家の外に出たら、殺す』
その文面を読みながら、十野はいつもゲームをしていたテレビの前に腰を下ろした。それは、倒れ込まないように体が先手を打っただけで、十野自身には座ったという意識は全くなかった。連絡先も、身代金も、何もない。ただ明日返すとだけ、書かれている。それまで黙っていろということだ。
スマートフォンの画面に電話番号が表示され、それがメッセージであることに気づいた十野は、開いてから霧鞘だということに気づいた。
『家に帰るまで、聞いて回りました。見守り隊の防犯メールで、通学路にとまってる白いバンのことが書かれてたらしいです』
十野は、午後九時七分を指す卓上の時計に目を向けた。
『今まで、探してくれてたんですか?』
『八時半ぐらいに、帰りました。いいんちょと遊んでたって言ったら、大丈夫でした』
『門森さん?』
『そです、うちはゆるいので』
霧鞘の、やや気の抜けた返信。十野は、霧鞘家の告別式を思い出した。あの悲劇的な事故。娘は葬儀にも出られないぐらいに憔悴していて、確かあのとき、霧鞘家の父は言ったはずだ。『娘は、とても動ける状態ではなくて。友達が来てくれてます』
十野は返信する言葉も浮かばず、しばらくメッセージを眺めた。その友達が、門森なのだろう。スマートフォンがロック画面に戻って画面が暗くなり、十野が視線を逸らせたとき、叩き起こされたようにまた光った。
『警察には言いましたか』
『さっき、電話しました。いろいろ、ありがとう』
『わたし、学校いる間は返事遅いですけど、連絡はいつでもしてください』
やり取りが終わった後も、十野は真っ暗に戻ったスマートフォンを見つめていた。
将吉は、金目当てではない何かに巻き込まれた。
夜の十一時。全身の手入れが終わり、あとは眠気に誘われるまでの落ち着いた時間が続く。松虫はテーブルの上に置いたノートパソコンで、ささやかな小旅行の計画を立てていた。あと一年で今の現場を去らなければならないのは、正直寂しかった。三年ルールの代わりに無期限の雇用なんて、そんな選択肢はあるわけもないし、そもそもスムーズに次が繋がるかは、かなり怪しい。暗い気持ちをねじ伏せるように近場の宿を探していると、パソコンの脇に置いたスマートフォンが震えた。
『ライブ配信を開始しました』
半年前、その特徴的な動きを見てすぐに気づいた。『コテツ日記』という名前の、猫動画配信チャンネル。顔が映らないようにしていても、顔以外の全てが『私は竹田課長です』と主張しているようなもので、それ以来、動画が上がれば通知が来るように設定している。松虫は、無意識に時計を見上げた。こんな遅い時間に、告知もなくライブは珍しい。パソコンを操作して動画サイトへ移動すると、松虫はライブ配信の再生ボタンを押した。すでにコメントをしている人はたくさんいて、皆同じことを考えているようだった。『ゲリラ?』や、『いきなり配信してる』といったコメントが並び、松虫は『週ど真ん中の水曜日なのに、主さんおつです』とコメントを入れた。アカウント名は『キョウ』で、おそらく竹田課長は気づいていない。
画面が明るくなり、いつもの機材にいつもの背景が映った。コテツがお腹を見せて寝そべっていて、褒めちぎるコメントで溢れた。それを優しく撫でる手が映り、続いて、コメント欄では『主』と呼ばれる竹田課長が、首から下だけ映り込んだ。シャツの柄と体型について茶化すようなコメントが流れた後、主は言った。
『ええっとですね。今日は皆さまに、ご報告しなければならないことがあります』
松虫は思わず『やだやだやめて』とコメントを入力した。それに便乗するように『生きてけない。やめないで』や『主、何かあったの』といったコメントが続いた。それを読んでいるのか、主は一度咳ばらいをすると、言った。
『そうですね。ちょっと事情がありまして……。皆さん、色紙って覚えてます? 昔、遊びませんでしたか?』
松虫はそれには反応しなかったが、数件のコメントが流れた。
『水につけると、その水に色がつくんですよ。青なら青、赤ならちょっとピンクぽく』
コメント欄が静かになった。松虫は眉をひそめながら、耳だけを集中させた。こんな、喋る人だっけ? 主は構わず続けた。
『お互い、自分の色があるわけですが、これが混ざったら紫色になりますよね。元に戻りませんよね』
その口調は切羽詰まっていて、どこか危なっかしく感じる。松虫は本能的にそう感じて、姿勢を正した。何かが起きている。
『私は、人間が色に見えます。例えば会社に私を慕ってくれる後輩がいるんですが、彼女はピンク色です』
松虫の心臓が跳ね上がった。わたしのことだ。なのに、頭が嬉しいと感じることを拒否している。どういう表情をするべきか決めかねていると、主が突然姿勢を低くして、プロレスラーのようなマスクを被った顔が大写しになった。しんとしていたコメント欄が騒がしくなり、『え、顔見せ?』『マスクの趣味よwww』と言ったコメントが次々と流れた。
『ピンク色が他の色と混ざったらどうなります? 元には戻りませんよね? 私の色は黒です』
松虫は少しだけ震える指先で、コメントを打った。
『主と混ざったら、みんな黒になるじゃん』
『ええ。だから、ずっと色が見えないことにして、生きてきました。でも、諸事情により、叶わなくなりました』