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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Ravenhead

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 沢商店から逃げながら、『おれの名前は竹田克之じゃ! 捕まえてみろ』と叫んでいた少年。あの時点で確信したし、間違いないと思った。足はすこぶる速く、学校に着くまでには捕まえられなかった。帰り道で『自分、万引きしたやろ。めっちゃ追われてるぞ』と言ってデリカに引き込んだのが、つい一時間前のことだ。罪の意識がかなりあったのか、少年は自分から突っ込むように車の中へ身を隠した。あまりにも急で、確認する暇はなかった。言い訳ばかりが頭に浮かぶ中、里緒菜が言った。
「顔、見られた?」
 島野がうなずくと、里緒菜は呆れたようにぐるりと目を回して、俯いた。デリカは、足のつかない車だ。去年から浩義が中古車屋の駐車場に保管していて、ほとんど表には出ていない。この車でどれだけ動き回っても構わないが、顔を見られたのなら、今度は島野と朝戸家の接点を切らなければならない。それはいずれ取り掛かるとして、最優先なのは、完全な一般市民であるこの子供だ。孝太郎は、島野の傍に屈みこむと、里緒菜と浩義を手招きし、全員が輪になったところで、里緒菜に言った。
「この子から家族とか家の情報を、全部聞き出せ。自分とこの家と、知ってたら竹田の家も」
 里緒菜がうなずくと、孝太郎は浩義の方を向いた。
「おれが言うとおりに脅迫状をワープロしろ。一通は十野宛、もう一通は竹田宛や。あと、この子の名札を探せ。どっかにあるはずや」
 浩義がうなずくと、孝太郎は島野に言った。
「脅迫状ができたら、島野さんは両方の家に放り込んできてくれ。名札は、竹田の家や。スピード勝負やから、急がなあかん。絶対に顔は見られるなよ」
 少なくとも、海知の関係者の足元には辿り着いている。内側から揺さぶって崩すには、チクロンはうってつけの相手だ。そこまで考えたとき、孝太郎は小さくため息をついた。
 いつの間にか、自分たちが『収束させるべき事態』の側になっている。
        
 小学四年生のとき、アウシュビッツ収容所のことを知った。『世界の歴史』という本で、図書館のテーブルに置きっぱなしになっていたのを、興味本位で開いたのがきっかけだった。ガス室のことが書かれていて、そこで使われた毒ガスが『チクロンB』であることを知り、隣でくすくす笑う十野が、名前をもじって『竹ロン』と書いた。二人で大笑いし、竹田は先生から大目玉を食らうまでの間、『チクロン』と名乗っていた。それは、虐待と放置が繰り返される竹田家から身を守るための鎧となり、結婚をして人生を完全に取り返した後、今度は『病気』となって復活した。
 竹田はタイムカードを押し、今井に『お疲れ』と言い残すと、ショッピングモールまでの道を歩いた。子供のころから不思議に思っていたのは、人それぞれに『色』のようなものがあって、自分だけにそれが見えるということだった。例えば十野は、オレンジ色だった。竹田は、自分が何色に見えているか気になって十野に訊いたが、竹田が着ているシャツの色が返ってきただけだった。それが自分だけに見える色だと分かった日、夜に洗面所で鏡に映る自分を見て、自分の色が黒色だということを知った。十野が薄っすらオレンジに色づいて見えるのに対して、鏡に映る竹田は、全身が真っ黒に塗りつぶされていた。次の日からは、各々が持っている色が混ざることに気づいた。十野は、青色を纏った同級生と話した後、オレンジ色がくすんで茶色っぽくなる。それは、青色が混ざったからだ。それが赤色の同級生なら、十野も赤っぽくなる。竹田はその様子を眺めながら、思った。色が黒ということは、自分の色が相手に合わせて変わることはない。ただ、相手の色はくすんで、黒っぽくなる。高学年になるにつれてその色は見えなくなっていき、中学校に上がって十野と共に『不良』の仲間入りをしたときには、そんな時期があったことすら、忘れていた。ある日、セメント工場跡で焚火をしていた竹田は、十野の顔がオレンジ色に染まっているのを見て、かつて短期間だけ採用された『チクロン』というあだ名を思い出した。色が見えていた、変な子供。それが『チクロン』であり、遠い過去の存在。竹田はそう結論付けた。高校、大学と進んで、あゆみと結婚し、克之を授かった。家を買い、初めての七五三が終わったのが六年前。その頃に、色が復活した。
 あゆみと克之は、シルバーのような光沢のある、白色。今井は薄い緑色だった。頭の中にチクロンが帰ってきたことを知り、竹田は精神科に頼ることを考えたが、人事に及ぼす影響や、家族がどんな目で見られるかということも同時に頭に浮かんできて、諦めた。いつまで続くのかと途方に暮れていたのが、もう五年前の話。当時は今井主任、竹田係長という組み合わせで仕事を回していたが、ある日、住所不定の人間が住み着いているという噂のアパートをこっそり訪れて、雰囲気だけでも掴んできてくれと税務課の飲み仲間から頼まれ、現地を訪れた。一〇三号室のドアは開けっぱなしで、中から出てきた海知は、竹田の七三分けに整えられた髪型を『お役所ヘッド』と呼び、追い払おうとした。竹田はその場から動けず、海知の顔を触った。『は? キモっ』と言われたのは、今でも覚えている。
 海知は自分と同じ、黒塗りだった。その色はすぐに消えたが、今までに自分と同じ色の人間は、見たことがなかった。竹田は靴も脱がずに海知を部屋の中へ突き飛ばし、どこで『黒色』になったのかということを問いただした。海知は最初こそ困惑していたが、竹田の色の話を聞くにつれて落ち着きを取り戻し、『やべー奴やな』とひとしきり笑った後、最後にこう言った。
『おれが、色を消したるわ』
 初めて強盗についていき、海知に『ほな、好きにしろや』と差し出されたのは、保険金詐欺で生計を立てていた一家の、十九歳の娘だった。頭から足先にかけて、全身が濃い青緑色だったが、竹田がボロ雑巾のようになるまで弄んだあとは、死んではいたものの、普通の人間の色に戻っていた。それから九件の強盗に関わり、計六人を殺した。
 竹田は食料品売り場につながるエスカレーターに乗り、松虫のことを思い出した。書類を一緒に探しているとき、髪や手が十秒おきに触れる。それがどことなく、二人目の女に似ている。色仕掛けで逃れようとした珍しいタイプで、色は松虫と同じ、ピンクだった。頭が金平糖のような形になるまで、コンクリートの壁に叩きつけて殺した。克之が寂しいだろうと、二人目を作ることを考えたのもこの頃だったが、それは結局実現しなかった。どうして、昔のことを思い出すのか。年に何回か、色を消す。それが日常生活に組み込まれたことで精神状態は改善したし、今井係長からの評判はいい。竹田は総菜を買い足すと、店員の顔を見つめた。こちらが安定している証拠に、店員の顔に色は乗っていない。普通の営業スマイルに、袋の端を持ち上げた状態で商品を差し出してくれる丁寧さもあった。
 家に帰って、『野菜好きのためのハンバーグ』を買ってきたことをあゆみに伝え、克之とコテツに挨拶をした後、風呂に浸かっているときに竹田はようやく思い出した。
 タガメが来なかったということが、どうしても気にかかっている。
      
作品名:Ravenhead 作家名:オオサカタロウ