Ravenhead
夕方四時、パトロール会。今日は委員長達が集まる『生徒会議』の日で、門森とは一緒に帰れない。霧鞘は、商店街をぶらぶらと歩いた。門森が隣にいないと、町の景色は途端に寂れて、色が薄く見える。目の調子は変わらないはずなのに、すれ違う顔も、疲れている人が目立って、町全体が『杏樹は―?』と不満げに言っているようだ。霧鞘はコンビニでキャットフードを選び、将吉にはグミを買った。お小遣いから捻出するこの散財は、全く惜しくない。これであの子が万引きをやめてくれるなら、毎日通う。
「正義感、出してこか」
独り言のように呟いたつもりだったが、前を歩く人が振り返り、目が合った。霧鞘は商店街を抜けて、アパートに続く細い道をスキップするように早足で歩くと、セドリックの前に出た。キジトラは霧鞘のことを友人と認定しており、左手に持つビニール袋に向かって首を伸ばした。霧鞘は笑いながら、言った。
「将吉くんが帰ってくるまで、ちょっと待ってね」
コンビニに寄った時間分、今日は少し遅めだ。霧鞘は空を見上げた。もう四時半を回っていて、空もブリーチをかけたみたいに、抜けた色になってきている。階段をとんとんと降りてくる足音が鳴り、その音からすぐに父の勝夫だと理解した霧鞘は、アパートの方を向いた。
「おとーさん、グミ食べます?」
勝夫は自分の呼ばれ方に面食らったような、困惑した表情を一瞬浮かべた。それは作り笑いに変わり、困惑した表情を飛び越して元の顔に戻った。霧鞘は、思わず言った。
「大丈夫ですか?」
勝夫は首を縦に振りかけたが、すんでのところで横に切り替えた。
「いや、将吉がまだ帰ってこないんです。見てませんか?」
霧鞘は、自分が通ってきた道を振り返った。黒小からなら、今ぐらいの時間には必ず着くはずだ。ビニール袋を地面に置き、猫缶の蓋を開けてキジトラの前に置いた霧鞘は、言った。
「顔写真ありますか? わたし、将吉くんと最初に会ったところ、探してきます」
「いや、ちょっと待って。寄り道しとるかもしれんから」
「ダメ」
霧鞘は勝夫の身体を押して、階段を上がらせた。勝夫は家のドアを開けて、押し込まれるように中に入ると、起動したままのパソコンの前に座り、玄関で待っている霧鞘に、言った。
「霧鞘さん、おれが探すから」
「二人で、違うところを探しましょう。写真、拡大して印刷できますか?」
勝夫が、コピー用紙のサイズに合うよう拡大した写真を二枚印刷すると、霧鞘は鞄からペンを抜き出して、『十野まさよし』とそれぞれに書いた。電話番号を書いた一枚を勝夫に手渡して、自分のスマートフォンを鳴らすように言うと、勝夫の番号を手早く登録し、ドアを開けながら言った。
「いってきます」
勝夫が止める間もなく、霧鞘は階段を駆け下りていった。勝夫は、その行動力と思考スピードに全くついていけずに立ち尽くしていたが、突然耳元でスタートの合図が鳴ったように、慌てて階段を駆け下りた。
里緒菜は、朝戸家が決めた『方向』に、これまでの人生で異議を唱えたことはなかった。それは人生の羅針盤で、従っていれば少なくとも、悪い目には遭わない。その確信があった。しかし、河川敷の下で浩義がデリカのリアハッチを開けたとき、里緒菜はしかめ面で孝太郎に言った。
「お父さん、これ大丈夫なんかな」
運転席から降りてきた島野は、ドアを閉めるのと同時に、倒れ込んで死んだ方が気楽なように、肩で息をしながら一度目を閉じた。この警官一家は、海知と何も違わない。
「あの……、怪我とかはさせてません」
「了解、お疲れ。まあ、ちょっと座りや」
孝太郎が言い、島野が砂利の上に座ると、里緒菜は小声で浩義に言った。
「兄ちゃん、マジでどうすんの」
浩義は、黒い布袋を頭に被せられながらも、言うことを聞いてじっと座ったままでいる子供を見ながら、言った。
「海知を揺さぶるなら、仲間から崩していくのが早い」
里緒菜は、誰にも聞こえないぐらいに小さく息をついた。このやり方はおかしい。確かに、海知はどこかで尻尾を出すだろう。チクロンが警察に駆け込む可能性が高いからだ。しかしそれはあくまで、可能性に過ぎない。孝太郎がデリカの荷室に腰かけ、子供に言った。
「怖い思いさせて、ごめんなあ。ちょっと、自己紹介してくれるかな」
霧鞘は、将吉を最初に見た夜のお店ゾーンを抜け、古い住宅街に足を踏み入れた。まだ五時にもなっていないのに、千鳥足で赤ちょうちんから出てくる酔っ払いや、自転車を蛇行させながら駐車禁止のコーンを蹴飛ばして倒している男、けたたましい声で笑い合う水商売の女、ありとあらゆる雑多な人間で溢れ返っている。霧鞘は早足で歩きながら、将吉が入ろうとしなかった路地を見つけ、覗き込んだ。個人商店が看板を出していて、軒先の雑誌を立ち読みしている客がひとりいる以外は、静かだった。霧鞘は写真のコピーを持ったままつかつかと歩き、沢商店と書かれたひさしをくぐった。
「すみません。あなたが沢さん?」
普段の客層からはかけ離れた霧鞘の風体に、初老の店主が眼鏡をずり上げた。おまけに、おおよそ客らしい質問ではない。沢は立ち上がると、うなずいた。
「そうですが。失礼ですが、お客さんですかな?」
霧鞘は、写真を掲げた。
「この子が、学校から帰ってきてないんです」
「あー、こやつは」
沢は目を大きく見開くと、コピー用紙に穴を開けるように、じっと見つめた。
「こんの、悪ガキはな」
「決めつけは、よくないですよ」
「決めつけって、あんたね。わざわざ名乗って、万引きしよるんやぞ。こんな肝の据わった坊主は、見たことないわ」
沢は半ば感心したように、腕組みをして言った。霧鞘は憮然とした表情で、再度写真を突き付けた。
「わたし、色々買って帰りますから。今日は来てませんか?」
「今日は、朝に来よったわ。棚の雑誌を持って、どっか行きよった。夕方は見てない」
「そのときも、名乗ったんですか?」
霧鞘が言うと、沢はうなずきながら、しかめ面で写真をなぞった。
「この悪ゴロは、十野って名前なんか? 毎回、竹田って言うてたぞ」
里緒菜は、浩義の腕をぽんと押した。
「どうすんの」
孝太郎はデリカから降りると、砂利の上に座っている島野を手招きして、耳元で言った。
「おれははっきり、竹田克之って言わんかったか?」
「言いました」
島野が腰を上げるのと同時に、孝太郎はリアハッチの方向を指差した。
「あの子は、十野って名前や。今、自分でそない言いよったぞ」
「え?」
島野はよろけながらデリカの後部に回ると、その見た目に答えがあるように、将吉の全身を見渡した。
「でも、店で竹田って……」