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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Ravenhead

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「突発が入って、ちょっと身動き取れんかったわ。少人数の部署はあかんね」
「案件? クレームか?」
「いや、クレームちゃうねんけど。何やろな。お得意さん的な。一回言うこと聞いたら、そのスピードが前例になんねん。そうなると、断れんのよな。それがひとりやったら、まだええんやけど」
「口コミで広がると、仇になることはあるな。おれも値引きの件あちこちに広められて、買い叩かれたわ。死んだ人間送り出すのに、ケチケチすんなやとは思う」
「死んだ人間って。変わらんな十野」
「お前がセメント工場でポリ袋パクパクやってたって知ったら、課の人間は腰抜かすんちゃうか?」
「そうやろうな。ほどほどにしといて正解やったね」
 そこからしばらく、セメント工場の落書きの話で盛り上がった。一発勝負だからといって、竹田はスプレー缶の勢いを確かめるために、最初に必ずバツ印を丸で囲った絵を試し書きした。ほどなくして、竹田の仕事の話が再開し、その後ろであゆみと克之の話す声、そこにコテツの鳴き声が時折混じるのを、勝夫はぼんやりと聞いていた。部屋の照明、奥行き、壁にかかった何かの絵。生活において、おおよそ意味のないもの。十野家は、信楽焼のたぬきですら、鍵をひっかけるホルダーとして機能している。三十分ぐらい話して、途中ビールをひと缶空け、竹田が『あまり飲まんな』と言ったとき、勝夫はうなずいて言った。
「ちょっとは、将吉とも遊んだらな。二日空いたし」
 それは本音だ。将吉をひとりにしたくない。仕事上、完全に叶わないことだが、心の中でその考えがぶれたことはない。そこから十五分ほど話して、オンライン飲み会は史上最速の五十分で幕を閉じた。勝夫が振り返ると、いつの間にかヘッドホンを外していた将吉が、言った。
「終わった? レースで勝負しよう」
 レースでは、苛々をぶつけることができない。全て裏目に出て、壁に車体をこすりつけながら将吉の後を追う羽目になるが、それも一興。車を選ぶのを横で見ていると、将吉はふと手を止めて、勝夫の顔を見た。
「なんもなくなって、二人だけが残ったら、友達に戻るん?」
「おれと竹田は、友達やで」
 勝夫が答えると、将吉は首を傾げた。コントローラーを掴んだ勝夫が先を促しても、将吉は車を選ばず、しかめ面で考え込んでいるようだった。勝夫は笑いながら、言った。
「なんや、あの女子高生コンビに入れ知恵されたか? 隅に置けんなお前も」
「入れ知恵じゃなくて、なんやろ。おれ、あの二人はめっちゃ優しい人らなんやと思う」
 将吉はようやく車を選ぶと、目を輝かせながら言った。
       
       
― 水曜日 深夜一時半 ―
       
 いびつな関係。朝戸家の三人と、場違いな客人がひとり。ハイエースの荷台には、くの字に折りたたまれたタガメの遺体。客人の島野には、人並みの夕食が出された。里緒菜は簡単な料理しか作れないが、孝太郎は対照的で、島野が自分の置かれた立場を一瞬忘れるぐらいの、豪華な食事を作り上げた。今は全員が寝る準備を済ませた状態で再び居間に集合しており、島野もひと部屋を与えられていた。ただ、誰ひとり悔しそうな表情や、後悔、悲しさのような感情を見せないことが、家の中に異様な緊張感を作り出していた。孝太郎は、名簿の写真を見ながら言った。
「海知は、姿を消した。あいつのネットワークを揺さぶる必要がある。中から壊されたら、自分が置かれた立場に気づくはずや」
 仲間がこのタイミングで何かの被害者になれば、海知は自分しか知らないはずの情報を相手に握られている、ということを知るだろう。さらに、それが海知自身の責任だと見せかけるような仕掛けがあったとしたら? 海知は火消しと犯人捜しの両方をしなければならない。
「島野さん、腹が膨れたところで悪いんやけどな。今日一日かけて、やってほしいことがある」
 孝太郎の頭の中に、最初からずっとあったこと。海知が抱える強盗メンバーの中で、チクロンだけが家族持ちで、失うものがある人間だ。あとは独身だったり、バツイチだったり様々。チクロンは所帯持ちかつ、二十四時間以上の拘束もできないのに、海知とは十回も組んでいる。相当御利益のある相手ということだ。孝太郎は、島野の隣に腰を下ろすと、言った。
「こいつのガキを捕まえて、ここまで連れてこい」
      
 午前八時半、窓口のシャッターが開き、住民課は外に向けて開かれる。竹田のデスクは、気安く声をかけづらい程度に散らかっていて、椅子は課長職以上に支給されるひじ掛け付きのものだが、ほとんどの課員は竹田のことを、親しみを込めて『竹さん』と呼ぶ。他の部署の人間に本名と勘違いされて、『竹課長』という宛名で回覧が回ってきたこともあった。
「竹さん、水曜日ですよ」
 そう言いながらデスクの前に立った松虫京子は二十六歳の派遣スタッフで、ほとんど竹田の秘書のような存在だ。竹田はうなずくと、眼鏡を額に上げて目をぐりぐりと押した。毎週水曜日は、伝説のクレーマーがやってくる。マイナンバーカードのことで文句を言い、国民健康保険のことでは、係の人間がいつもと違うと、その知識を試すように様々な質問を繰り返す。
 松虫は、あと一年で違う職場に飛び立つ。竹田は、両手を宙に上げて一切触れないようにしてきたつもりだが、連絡先はすでにお互いのスマートフォンに登録されていた。もちろん仕事場を離れれば一切の接点はないし、猫の動画配信の件も発覚していないはずだ。もし気づかれていたら、松虫の性格なら隣の市の役所まで触れて回るだろう。もちろん、ちやほやされるのは、悪い気はしない。三十八年の人生で、自分の方を振り向いた女性は、あゆみだけだった。今井係長に、『竹さん、生き生きしてますね』と言われたのが、二年前。ちょうどそのころに松虫が入ってきて、どういうわけか、最近は他の女性課員からも、良く話しかけられる。今井はサーフィンが趣味の、竹田とは住む世界が違うぐらいに『モテる』男だが、長年横で見てきて、今が竹田課長にとって一番充実した時代な気がすると、事あるごとに言う。竹田は、デスクの前から動こうとしない松虫の顔を見ながら、時計の針を確認した。いつも通りなら、八時五十分あたりで自動ドアが開き、姿を現す。
「さー、来るぞ。松虫さん、作り笑いして」
 松虫が口角を上げて笑顔を作ると、竹田は首を横に振った。
「まだ本心が出とる。もっともっと」
 松虫はデスクから離れながら笑顔と真顔を繰り返し、窓口の席に座った。そのとき、自動ドアが開いたが、入ってきたのは作業服姿の別の男で、業務が始まり、いつもよりも少ない仕事量でお昼を迎えたとき、松虫が言った。
「来ませんでしたね」
 竹田はうなずいた。町の毛細血管であり、情報通。時計職人で、へそ曲がり。今まで、水曜日の朝と言えば、タガメのクレーム対応だった。現れないのは、ここ数年で初めてのことだ。今井とランチに出ている間も、竹田はそのことが頭から離れず、今井の話もあまり耳に入らなかった。厨房の方をちらちらと見ながら、今井は言った。
「今日、うわの空っすね。これからは、ミステリアス系のキャラで行きます?」
「いや、今まで通りで頼む」
 竹田は箸を割りながら、笑った。
         
作品名:Ravenhead 作家名:オオサカタロウ