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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Ravenhead

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 霧鞘がメッセージを付け足すと、真顔の顔文字が返ってきて、『はよう体に伝えて』と続いた。霧鞘は布団を足で押しのけると、体を起こして大きなくしゃみをした。朝起きて、準備が整うまでの間に、やらなければならない三つの『チーン』がある。ひとつは、鼻をかむこと。次はココアをレンジで温める。最後は着替えて、出がけに仏壇のお鈴を鳴らす。霧鞘家は、父と母と真由の三人家族。二年前に兄を交通事故で失うまでは、四人家族だった。
      
「里緒菜は?」
 朝戸浩義は、麦茶をひと口飲んで、朝のラジオ体操をしている父の孝太郎に言った。屈伸の途中でペースをくじかれたように、孝太郎は顔をしかめながら言った。
「走っとる」
「あいつ、マラソン選手にでもなるつもりか」
 浩義は、庭に出て孝太郎の隣に立つと、明るくなった空を見上げた。小さく鳴るラジオ体操の音楽は、昔は本当にラジオから鳴っていた。今は、孝太郎がぎこちなく扱うスマートフォンのアプリから鳴っている。隣でゆっくりと体を伸ばしながら、孝太郎は言った。
「部長いけよ、お前」
「おれが決めるんちゃうから」
 浩義は警部補で、同期の中では順調に昇任した方だった。生活安全部には、ノンキャリアが目指せる部長の椅子がある。先週、麻薬取締官との連携でホストクラブを摘発したことで、本部長賞が浩義に贈られることになった。もちろん、自分で決められるわけではないが、見えない階段をひとつ上ったことは確かだ。
 孝太郎は、刑事部捜査一課で数々の凶悪事件を扱った後、四十半ばで交通課に戻った。来年定年するまで、『町のおまわりさん』を貫く。朝は道場で汗を流し、三交代制の勤務を今でも続けている。配属先は、悪名高い滝岡交番。自身の家を構えるこの辺りは黒川地区と呼ばれ、比較的治安のいい文教区だが、二十キロほど離れた滝岡地区は、港と繁華街と空き地で構成された町で、ありとあらゆる暴力事件が起きる。
「ほな、お先」
 孝太郎が居間に戻り、浩義は煙草を抜いた。ブロンズゴールドのジッポライターは里緒菜が昇任祝いにくれたもので、ローマ字で苗字が彫られている。拝命する前には、考えもしなかった悪習慣。警察官としてのスタートは誰でも同じだが、今の自分は、少しだけ力の強いサラリーマンと変わらない。それは、二階の客間で眠っている妻の春香も同じように考えているようで、時折思い出したように、浩義が機動隊にいたころの体型からはみ出した分を、手でなぞってくる。最近では、息子の浩太までが同じことをするようになった。自分が九歳だったころと比べると、伸び伸びと育っていると思うし、自分が父から得られなかったと思っていることは、反面教師のように与えてきたつもりだ。そんな浩太も、今は春香の隣で眠っている。家族行事で学校を一日休ませるという発想自体、自分が子供のころは考えられなかった。そして、警察官が有給休暇を取れるということも。事案が向こうからやってくる刑事部に比べると、生活安全部が抱える事案は、こちらが主導の綿密な段取りに基づいたものが多い。本部長賞のきっかけになった今回の摘発も数か月がかりだったが、お祭り騒ぎが終わったら、こうやって家族の時間が過ごせる。
 浩義が控えめに煙を宙へ吐いたとき、ずっと鳴っていたサイレンの音がどこかで止まった。
        
 これから生まれる人間は、出てくるまでその数が分からない。しかし、死ぬ人間の数を見込むのは簡単で、今生きている人間を数えればいい。それが十野メモリアルサービスを営む十野家の哲学で、発案したのは二代目である勝夫の父だった。葬儀屋といえば、神妙な顔をしたスタッフがありとあらゆるマナーをもって接してくる、厳かな場。しかし、最近は従業員を抱えず、派遣会社を通じて人を呼ぶことが多い。安定したサービスを提供できればいいが、なかなかそうもいかないのが現状だ。通夜を見届けて一時間前に帰ってきたばかりだったが、寝付く寸前にサイレンの音が割り込んできて、目が覚めた。トイレに向かって歩いているところで、居間でゲームをしている将吉の背中が見え、勝夫は後ろから息を殺して近づき、ヘッドホンをずらせて耳元で言った。
「おーい、目に悪いぞ」
 将吉は肩をびくりとすくめて振り返ると、笑いながら勝夫の肩を叩いた。
「なんなん、びっくりしたー」
「こんな時間にゲームしとるほうが、びっくりするわ。学校ちゃうんかい」
「早起きしたんやで。夜更かしできへんから」
「さよか、何のゲームしてんねん?」
 勝夫が隣に座ると、出っ張り気味の腹の前にコントローラーがぽんと置かれた。将吉は、黒川小学校の三年生。幼稚園までは、竹田克之と同じ『はなぐみ』だった。克之は私立へ行き、今は親同士の付き合いしかない。竹田高雄との付き合いは、三十八年の人生の内、三十二年に渡る。飲み仲間であり、小学校時代からの記憶を断片的に共有できる、唯一の人間だ。動画配信にこだわる竹田は、広告収入のことを話した勝夫に向かって眉をひそめ、『金儲け考えたら、変な演出とかしてまいそうやわ』と言った。その時は、それでも金にはなるんじゃないのかと思っただけだったが、つまるところ、竹田は金に苦労していないのだ。二人ともスタート地点は同じで、商店街の裏にひしめき合うアパート群で育った。しかし、勝夫がアパートで人の死を待っている間、竹田高雄は家を買い、役所の仕事で忙しくしている。出張も多く、月に数回オンラインでやる『飲み』の場では、どうしても仕事の話が多い。背景に映るのは、何も吊るされていない白い壁紙。役割を与えずに済む壁は、安アパートの二階に居を構える十野家には存在しない。しかし、これ以上の部屋数が要らないのも事実だ。妻のかおりはブライダルプランナーをしていた。出張族で忙しかったが、どうにかして将吉をこの世に送り出し、五年前に死んだ。登山が趣味で、体力的に追いつけない勝夫はひとりで送り出すのが常になっていたが、かおりは普段より遅い時間帯に下山を試みて滑落し、命を落とした。当日の朝に交わした後味の悪い会話が、最後のやり取りとして刻まれた。
『やっと休めたのに、そうやって送り出すん?』 
 今は、山が人を殺すための装置に見える。将吉がじっと見つめていることに気づき、勝夫はキャラクターを選ぶと、言った。
「ムードミュージックが要る」
「いらんし」
 将吉の言葉を無視して、勝夫はスレイヤーのCDをコンポにセットすると、再生ボタンを押した。
「サイレントスクリームでええか?」
「いらんし」
 イントロが始まるのと同時に、勝夫は玄関から持ってきた箒を掲げて、天井を思い切り突いた。ワンテンポ遅れて上階に住む薬局の店員から『朝からうるさいんじゃ!』と抗議の声が下りてきたが、勝夫は叫んだ。
「今から騒ぐ合図じゃ、次はお前を棺桶に入れんぞ!」
 将吉が笑い、ヘッドホンのジャックを抜いた。格闘ゲームのキャラクターがポーズを取り、『ファイト』と掛け声がかかったとき、勝夫は将吉に言った。
「ほら、お前もゆうたれ。お前もー?」
「棺桶に入れんぞ!」
作品名:Ravenhead 作家名:オオサカタロウ