Ravenhead
海知は、十時に目を覚ました。文章を書くのは疲れる。伝えるように表現を選ぶのは、中々の大仕事だった。そう思いながら、疲れを飛ばすように景気よく首を鳴らすと、海知はハンモックから飛び降りた。夜中の三時に朝戸家まで移動し、投函して、どこにも寄り道せずに戻ってきた。二十九年の人生、一秒たりとも勤勉なタイプではなかったが、今回に限っては始末をつけなければならない。パーツショップの中には、埃だらけのオーディオが置かれていて、JBL製の立派なスピーカーが両脇を固めている。海知はスマートフォンを繋いで、メタリカのバッテリーを流した。大音量に埃が浮き立ち、それに負けない大声で、海知は言った。
「島野! 起きろ!」
事務所に飛び込むように入り、ソファの前に立ったとき、島野がいなくなっていることに、海知は気づいた。
「島野!?」
声のボリュームを調整するのを忘れたように、素っ頓狂な大声が飛び出し、海知はソファに腰かけた。温度は残っていない。朝のうちに出たのだろうか。四時ごろ帰ってきたときは、足が見えた気がする。記憶は定かではない。何せ、文章を書くのは大変な作業なのだ。寄り道もせずに帰ってきたし、今回ばかりは、自分で始末をつけなければならない。海知は島野の姿勢を再現するように横になり、窓から差し込む光に目を細めた。
「朝飯か……?」
自分の家に戻るような、馬鹿な真似はしないだろう。朝飯なら、誘ってほしいところだ。しばらくの間、頭に何も浮かばなかったが、海知は突然、目を大きく見開いて飛び起き、ガレージまで戻ると、オーディオからスマートフォンを抜いた。ガレージの中には、一台車が置いてある。八十八年型の黒いギャランで、あちこち塗装が剥がれかけている上に偽造ナンバーだが、エンジンと足回りだけは整備されている。取り出しボタンの潰れたカセットデッキの中では、誰かがダビングしたミックステープが回ったままになっていて、A面の一曲目は長渕剛の『何の矛盾もない』。その後は、井上陽水とオフコースが続く。入っている歌のタイトルが否定形で終わるものばかりだから、『ないないミックス』と呼んでいる。
ギャランのトランクを開けると、海知は仕事道具を放り込み始めた。チクロンの唾液が乾き切って層になっているボール型の猿ぐつわだけは、タオルでくるんで投げ込み、ほとんどの資材を乱雑に押し込んだところで、海知は棚からレミントン製の八七〇散弾銃を手に取った。銃身長は十四インチ、グリップはパックマイヤーのヴィンディケイター。全長六十センチほどで、後部座席の足元に滑り込ませることができる。二挺のAMTスキッパーは、ステンレス製だが光を跳ね返さない仕上げで、四五口径。これは助手席の上に置いておく。エンジンをかけると、ギャランは埃を散らしながら息を吹き返し、静かなアイドリングに落ち着いた。カセットデッキが回りはじめ、井上陽水の『傘がない』が流れ出してしばらく経ったとき、海知は歌に合わせるように、言った。
「弾がない〜」
海知はスマートフォンを取り出し、チャラの番号を鳴らした。数コールで電話を取ったチャラは、言った。
「昨日から、マメにかけてきますね」
「弾、売って」
「散弾?」
「十二番と、四五口径。おまかせで」
電話を切って、シフトレバーを一速に入れ、アクセルを踏み込んだ海知は、閉まったままのシャッターに車体を突っ込ませ、ギャランはエンジンを震わせてエンストした。
「焦りすぎやろ」
自分に言いながら、ギャランから降りた海知はシャッターを開き、再び乗り込むと、仕切り直すようにエンジンをかけ、アクセルを踏み込んだ。十五分ほど走り、入口で腕組みをするチャラに目配せすると、海知はギャランをヤードの中に入れた。チャラは、ギャランの車体を眺めながら、口笛を吹いた。
「年季入ってますね」
運転席から降りた海知は、トンチャイがテーブルの上に並べている箱の前に立った。ホーナディのダブルオーと、PMC製の四五口径フルメタルジャケットを二箱ずつ取り分けると、トンチャイが鼻を掻きながら言った。
「おー、戦争でも始めますか」
「もう始まっとる。チャラも聞いてくれ」
海知はチャラを手招きすると、集まった二人に向かって、言った。
「二人とも、率直に頼む。一日の売り上げはどれくらいや?」
「アキラさんの車代が、ほとんどなんですけどね。毎度ありです」
チャラが答えると、海知は愛想笑いを返した。
「何日か、店を閉めてくれ。二人とも、おれが呼ぶまで家から出るな。その間の金は出すから。いけるか?」
「はい。じゃ、弾代はそのときで」
チャラがうなずき、トンチャイはすでに休みに入ったように、首を伸ばした。海知は弾をギャランに放り込むと、小さくため息をついた。
「島野とも、終わりかもしれん。居場所が分からん」
海知の肩をぽんと叩き、チャラは笑った。
「島野さんを動かしてるのは、すでに死んだ人間ですね。だからあの人は、あっちこっちふらふらすると思うよ。死ぬまで」
「スピリチュアルはやめろ」
海知は運転席に乗り込み、入ってきたときと同じスピードでギャランを後退させ、ヤードから出ていった。チャラとトンチャイは、私物をリュックサックに詰め込み、外に置かれた案内看板を中に投げ込んだ。
夕方四時のパトロール会。今回は迷うことなく、まっすぐ十野家のセドリックへ。霧鞘と門森は、ボンネットの上で眠るキジトラにそれとなく近寄った。霧鞘がスマートフォンを取り出して、何枚か写真に収めたとき、足音が聞こえてきて、二人は振り返った。将吉が驚いたような表情で立っていて、霧鞘が笑顔になると、同じように笑顔を返して、駆け寄った。
「わー、キジトラに会いに来てくれたんですか?」
「将吉くんのことも、待っとったよ」
霧鞘が言うと、将吉は俯いて一瞬黙り、少しだけ紅潮した顔を上げて笑った。門森は、キジトラの後頭部から首にかけて、優しい手つきで撫でながら、言った。
「晩御飯まで時間あるかな?」
将吉がうなずくと、霧鞘がポテトチップスの袋を鞄から出して、掲げた。
「今日は、わたしが買ってきた。食べる?」
三人でセドリックを囲み、ポテトチップスを半分ほど食べたところで、霧鞘は言った。
「お父さんは、仕事?」
「今日は休みです。でも、朝に帰ってきたんで、ずっと寝てると思います。夜は友達とオンライン飲み会すると思うんですけど」
将吉が澱みなく言い切り、門森は霧鞘と顔を見合わせてから、言った。
「オンライン飲み会って、最近の流行りやんね」
「なんかいつも、終わってから怒ってるんですよね。ほんまに友達なんかな。竹田っていう人で、子供のころから友達やったんですけど、金持ちになってから変わったみたいです」
霧鞘は指でポテトチップスを二つに割ると、連続で食べて、宙を仰いだ。塩でざらざらする指をこすり合わせながら、言った。
「ほんまの友達かどうかは、生活が変わったり、お金が手に入ってる今は分からんよ。もしそういうのがなくなって、ほんまに二人になったら、どうかな。わたし、二人のことはよう知らんけど、そのときは友達に戻るんちゃうかなって思う」