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第三話 くらしの中で

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その二 *私の足跡



私は小学生のときからピアノを習っていて高校三年間は受験に向けての勉強もしていたので、当然憧れの東京での暮らしができると思っていた。所が受験間際に突然眼精疲労の頭痛が始まり、完治して他県の大学に行く自信がつくまでに六年もかかった。

最初の一年間はそれこそ療養生活で寝たり起きたりしていたが、翌年からは母の元から通える習い事に通った。体調はすぐには良くならず、最初の半年は自由が利く機械編の編み物学校で自分のセーターやカーディガン、母のスーツまで作れるようになっていた。
翌年は洋裁学校へ入学し自分のスカートや裏付きのスーツを縫った。
春の入学の時期になると頭が痛くて行けなくなり、どちらの学校も九月からの入学だったので半年ずつであった。
二年間はかなり自由な通学だったのでそれなりにゆっくりして友達と仲良く過ごしたことは楽しい思い出だ。

四年目になったとき、洋裁学校の付属として設立された栄養専門学校に入学することになった。今は短大に昇格している。
単位をとらなければいけないのでそれなりに勉強はしたが、頭が痛くなると学校を休んだので友達からノートを借りたりしてどうにか卒業までこぎつけ栄養士の免許を取得した。

私にとって地元の専門学校へ行くことは本意ではなかったので情けない思いだったが、後から思えば料理が上手というのは結婚したとき夫にも子供にも有利だったと思う。

母は栄養学校を卒業した時点で就職をさせようと思っていたらしく受験用紙をぽんと机に置いたりして誘導した。素直な私は母のなすがままに二箇所の受験をした。
一箇所は市内の警察署、もう一箇所は保健所の栄養士として合格通知が来たが私はそのどちらにも行くことはなかった。

いつまでも仕事をしない私にイライラしたのか、母は教育委員会の所長に頼んで音楽会で一位をとる郡部の小学校へ就職させた。全員が教育学部を出た教師の中に入って、何もできない私には色々な仕事を託された。

高学年の音楽の先生、給食の主任、それと保健室の管理、免許があるのは給食の栄養士としての仕事だったが、大した仕事をした記憶もなく、調理師のおばちゃん達の反感を受けたことは確かだ。働きも無い癖に給料は彼女等より高かったからだ。

年上の女教師達の軽蔑の態度は痛いほど刺さった。特に今思えばまだ若かったはずの50前や30代の先生らは憎しみをあらわにした。先生というからどこの先生かと思ったら医者のことかと母のことを言っていたらしい。

男性教師は我関せずの態度だったが校長は音大に行けなかった私を不憫に思ってか何かと気遣ってくれ、年下の女事務員と小遣いの女の子とは仲良くしていた。


作品名:第三話 くらしの中で 作家名:笹峰霧子