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火曜日の幻想譚 Ⅱ

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232.髪に残る未練



 半年前、仕事帰りの電車の中で彼からの着信があった。
「ちょっと、会えないかな」
わたしはすぐに準備をして、待ち合わせ場所に駆けつける。
 食事を前にして彼と差し向かいになった辺りから、どこか彼の違和感に気付いていた。何を言ってもそっけない態度、うつむき加減で物憂げに何かを考えるしぐさ。
 そこから導き出される結論は一つ。けれどもそれを信じたくなかった。

 食事を終える間際、彼から大事な話を切り出される。意識のさかい目で、「あの話」以外であってくれという思いが、無理やり何かを押さえつけている。
「僕たち、別れよう」
 その言葉が耳に響いた瞬間、押さえつけていたものが雲散霧消し、心が悲しみでいっぱいになって、体中の力が抜ける。

 それから先のことはもう覚えていない。気付いたら、家にいた。


 結局のところ、よくある別れ話の一つなんだろう。人間の営みで言えば、それだけの話しでしかない。無理やりそう思い、浴室へシャワーを浴びにいった。
 シャワーを浴びて一段落すると、いろいろなものが見えてくる。そうだ、きちんと対面で別れを告げてくれただけでも、うれしいことじゃないか。それに、交際中はすごく優しかった。今振り返っても幸せな恋愛だったと思う。きっとこれからの人生の糧になるはずだ。
 そんなふうに気持ちが前へ向いてくると、自然とやりたいこともポツポツと心に浮かんでくる。
「そうだ。別れたし、髪、伸ばそうかな」
 別れた彼はショートヘアが好きだった。本人も公言していたし、街を歩いていて、目線が私以外を向くときは、たいていショートの子がそこを歩いてた。それぐらい、髪の短い女性が好きだったみたいだ。でも、もうそんな彼に気をつかう必要はなくなったのだ。
 失恋してから髪を伸ばし始めるって正反対だなって思ったけど、そういうのもいいじゃないか。そう思い、私は髪を伸ばす決意を固めた。そのはずだった。


 それから半年。私の髪は別れたときのまま、一向に伸びない。

 前髪もサイドも後ろもてっぺんも、半年前となんら変わりがない。毛が抜けて薄くなっている様子もない。髪だけが、半年前のまま伸びないのだ。
「……どういうことだろう」
私は悩みに悩みぬいた。失恋のせいで精神がおかしくなってしまったのだろうか。でもストレスで毛が抜けることがあっても、伸びるのがピッタリ止まるなんて聞いたことがない。
「……まだ心のどこかで、彼に未練があるのかなぁ?」
困り果てた末の自問自答に、思わずハッとした。そうだ、彼のLINEや連絡先は全て残したままだった。
 私はスマホを取り出して、彼に関する情報を全て消去する。その瞬間、髪がザバッと音を立てて一気に伸びた。

「……美容院で整えてもらって、それからが新しい私の始まりだ」

 私は握ったままのスマホで、美容院に予約の連絡を取った。


作品名:火曜日の幻想譚 Ⅱ 作家名:六色塔