火曜日の幻想譚 Ⅱ
190.ムカデの前立
「よくやったぞ。壮之介」
戦いで首尾よく勝利を収め、上機嫌の大将は満面の笑顔で、相手方の将の首を持ち寄った壮之介に声をかけた。
小貝 壮之介は、先年、戦で命を落とした父の跡を継ぎ、常陸佐竹氏に仕える品田 春昭の配下として足軽頭の役を受け持っていた。そして今日、壮之介は初めての合戦で、名のある敵将を討ち取る活躍をしたところなのである。
「うむ。うむ。壮之介、見ぬ間に良い顔になったな」
「ありがとうございます」
「そなたの今日の活躍、あの世の父もさぞかし喜んでおろう。これからも、品田のために存分にその力を振るってくれ」
「もったいなきお言葉、恐悦至極にございます」
「おお、そうだ。おまえにあれを取らそう。おい、あのかぶとをここへ持て」
春昭は小姓に命じ、一つのかぶとを持ってこさせた。大変立派なもので、前立には精巧に作られたムカデの飾り物が施されている。ムカデは、後退しないことから武士の間では勇猛さの象徴として、よく意匠で取り扱われているものだ。
「どうじゃ。素晴らしいだろう。これをとらすゆえ、戦場でのさらなる活躍を期待しておるぞ」
春昭は、ますます上機嫌になり、大きな声で笑う。一方、かぶとを賜ってこれもまたうれしいはずの壮之介の顔は、みるみる青ざめていった。
実は、壮之介はムカデが大の苦手だった。あのたくさんの脚がもぞもぞといやらしくくねるさまを見ると、さしもの勇敢な壮之介も怖気を振るってしまう。わが家のかわやに出現した日などは、妻に取りすがって退治してもらったほどだ。幸い、妻は旦那のムカデ嫌いをよく理解していたので、それをあざ笑うようなことはなかったが。だが、今は仕えている主の前、そうも行かない。しかも、かぶとを授かるという名誉にあずかっているときなのだ。
「…………」
壮之介は震える手でかぶとを手に取ろうとする。だが、精巧に作られ、今にもあのいやらしい動きをしてきそうなムカデが邪魔をする。
しばらく時間がたった。自分の素晴らしい贈り物になかなか手を出さない壮之介に、主君はだんだん苛立ってきた。
そのとき、壮之介は玉のような汗を流しながら、ようやくの思いでそれをつかみ取った。目はすっかり虚ろで、体はブルブルと震えている。壮之介はそんな絶望的な状況の中で頭にかぶった。
その瞬間、そこにいる誰もがその奇妙な光景を目にしていた。なんと、前立のムカデがもぞもぞと動き出して壮之介の顔に貼りつき、彼の鼻先にかみついたのである。
「?!」
目の前にいきなり大嫌いなムカデが現れ動揺した壮之介は、腰の刀を抜き払い、自らの鼻に突き立てる。刀は脳に達し、壮之介はかぶとを被ったまま息絶えた。
「…………」
春昭を始め周囲の者は、ムカデと壮之介の一連の行動をあぜんとして眺めていた。そんな中、壮之介の鼻先で刀に貫かれているムカデが、するりと刃先をすり抜け、かぶとの前立の位置にしれっと戻って動かなくなったという。
その後このかぶとは、壮之介の同輩の長野という、特にムカデが嫌いではない男に下賜された。長野は普段、腰抜け侍とののしられていた軟弱者で、どちらかといえばそろばんでの働きを買われていた人物だったが、このかぶとを手にしてからは、戦の場でも壮之介のような活躍をするようになったという。