火曜日の幻想譚 Ⅱ
204.安否
かつて同せいをしていた彼女には、自傷癖があった。
手首は常に切り傷だらけで、毎週のように精神科へと通っていた。こんなことを言ってはいけないが、そんな生活にも関わらず、僕よりよほど元気そうだった。仕事をしている僕のほうが、青白い顔でやつれてしまっている。彼女はストレスで過食となり、付き合い始めた頃より横に大きくなってしまい、恋人としての魅力ももうそれほど感じない。そんな女性が片手間のバイトだけで生活し、手首を切り刻んだ画像をネットに載せ、この世で私が一番、つらくて苦しいんだ的な書き込みをしているのを見ると、世の中ってものがよく分からなくなってくる。
いや、そう思うのはやっぱりよくないだろう。彼女は苦しんでいるんだ。苦しいからこそ食に楽しみを見いだし、仕事も本腰を入れられず、理解をしてほしくて、つぶやきや画像をネットに投稿するのだ。僕が彼女を支えなきゃ、そう思い、疲れた体にむち打って生活費用を稼いでいたのだった。
ある日、そんな生活をしてきたつけなのか、僕は過労で入院を余儀なくされた。書き置きを残して2週間ほど家を開けたところ、彼女は家からいなくなっていた。
「愛想、つかされちゃったのかな」
病気だった彼女が、病気になった僕に愛想をつかすのは、こっけいだなと思いつつ、そういうことも世の中にはあるのかもしれないと思い、一人の生活を新たに始めることにした。
それから10年以上の月日が流れ、僕は結婚して子どもができた。妻も子どもも健康で、病院とは縁のない生活を送っている。そのせいか、僕も久しく病のことなど考えなかったのだが、先日、ふとネットで、リストカットの画像を見る機会があった。
(……? あのときの?)
僕は驚いた。その腕は明らかに当時、ともに暮らしていた彼女のそれだった。ほくろの位置も、その褐色の肌も、薄く透ける血管も、当時のままだった。ただ、SNSのアカウントは変わっていたし、相変わらず過食なのか、腕はさらに太くなった気がする。そして、その画像に付けられていたつぶやきには、病んでる同士を募集するハッシュタグがうめ込まれていた。
「いろいろあったんだろうけど、取りあえず元気……、というか生きているようで良かった」
切り刻まれて血がにじんだ腕で安否を知る、というのも奇妙な話だが、そでを触れ合うのも多生のえんだ。かつてともに暮らした女性の幸せを祈りつつ、僕は家族に見つからぬよう素早く画像を閉じた。