火曜日の幻想譚 Ⅱ
225.沼の底
底なし沼に落ちてしまった。
踏みしめることのできる大地は数メートル先。もう胸まで泥につかっている。
やがて肩が、首が少しずつ沈んでいく。
「ああ、終わりか」
その言葉を最後に口と鼻が泥に飲まれ、呼吸が奪われる。
誰も来る気配は、ない。僕は観念して、目を閉じた。
……と思ったら、沼の底には定食屋があった。僕は定食屋の天井に開いている穴から、ドサリと床に落下する。
「久々のご新規さんだね。取りあえずなんか食べてきな」
おばちゃんはそう言って、水とメニューを置いていく。
サバみそ定食をつつきながら、おばちゃんにいろいろと聞いてみる。
「おばちゃん、地底人なんですか」
「違う違う。あたしらも沼に落ちたのよ」
「“ら”ってことは他にもいるんですか」
「ええ、結構いるわよ。どの底なし沼に落ちたかは知らないけどね」
「他の人はどこにいけば?」
「そこの扉から出ていけば、みんな生活してるよ。底なし通り商店街って名前でね」
「地上には戻れないんですか」
「戻れないというか、戻らないね。みんなのんびりしてるし。私らのこのお店も趣味みたいなもんだし」
こんなにあっけらかんと話されると、何か拍子抜けしてしまうな。そんなふうに思いながら代金を支払って店を出る。そこに見えたのは、〇〇銀座なんて名前がついていそうな、至って普通の商店街。そこに老若男女が歩いてる。でも、どことなく彼らの顔に共通点がある気がしなくもない。もしかしたら、底なし沼にはまりがちな顔ってのがあるのかもしれない。
その商店街をずっと歩いて、外れまで来ると立入禁止の場所があった。厳重にバリケードが敷かれ、入り込むすき間もない。たまたま近くを通った人に尋ねてみる。
「ここには、なにがあるんですか」
「ああ、ここには底なし沼があるのさ。はまったら危険だから、こうやっているんだよ」
「なるほど。そうですか」
一度は底なし沼にはまってるのに、それを警戒するのはなんか面白いな。僕は思わず笑っていた、自分のことをすっかり棚に上げて。