火曜日の幻想譚 Ⅱ
131.いってくるよ
「ジリリリリン」
鳴り響く目覚ましを止め、布団を片付ける。天気は上々。いつもと変わらない朝。眠たい目をこすり、洗面所で顔を洗う。鏡を見ると、グレーの髪としわの入った顔が目に入る。
妻が用意してくれる朝食は、いつも通り。バターだけを塗ったトースト二枚とミルク入りのコーヒー、そしてサラダ。トーストをかじりながら、体面に座る妻の顔をしげしげと眺める。随分と苦労をかけさせた。だが、いつも笑顔でいてくれて感謝している。
二人の子供は、どちらも結婚して所帯を持っている。昨年、上の娘夫婦の間に元気な男の子が生まれた。私たちにとって初孫だ。目に入れても痛くないとは良く言ったもので、少し甘やかしすぎだと娘が時々あきれている。
この家のローンはあともう少し。今までの蓄えと年金でどうにかなるだろう。始めは、会社まで遠かったので、通勤するのにも一苦労だった。だが慣れとは恐ろしいもので、最近は満員電車の中で文庫本も読めるようになってしまった。
高級車ではないが、車も買うことができた。だが、いわゆるサンデードライバーと言うやつだ。車はもっぱら、妻が買い物に行くのに使っている。痛ましい事件もあったし、私は事故を起こす前に免許を返納した方がよさそうだ。
出世もそれなりにすることができた。同期と比べれば、大したことはなかったかもしれない。だが私の能力等々を鑑みれば、上出来といった所だろう。
そして今日、私は勤めている会社を定年で退職する。
ボロボロになってはいるが、昨日しっかりと磨いた靴を履く。そして、すっかりくたびれてしまったかばんを持って、人生最後の出勤をする。
「それじゃ、いってくるよ」