火曜日の幻想譚 Ⅱ
230.落とし穴
落とし穴は、芸術だと思う。
落とす対象のために一生懸命になって穴を掘り、対象をだますために本気で何もないように擬態させる。それだけではない。穴の底に水を張ったり、くいを埋め込んだり、上から石が落ちてきたり、網にかけたりなど、相手のことを考えたさまざまな趣向も用意できるのだから。
こんなに素晴らしい芸術作品も、そうそうないだろう。私は、妻の誕生日にこの芸術をプレゼントするため、自分で落とし穴を掘ることにした。
わが家の庭の隅の家庭菜園、そこに、落とし穴の位置を選定する。ここならば、妻以外はめったに足を踏み入れることはない。妻のテリトリーと言っても過言ではないからだ。
誕生日の前日、仕事で遅くなると伝え、深夜にスコップで穴を掘る。夜を徹した作業は難航したが、明け方には何とか完成にこぎつけることができた。
「おはよう」
朝、菜園に水をやりに来た妻にあいさつをし、見せたいものがある旨を話す。
「なぁに、朝っぱらから」
菜園に足を踏み入れようとする妻。
「いや、ちょっと待って」
私は慌てて妻を手で制し、菜園の手前に妻とほぼ同じ重さのマネキンを放った。
ズボン! シュルルルルル、ピン!
マネキンは、音を立てて地に落ちたかと思うと、さらに穴の底へと潜る。そして次の瞬間、穴の底に仕掛けられていた網にかかり、脚が絡まった無様な格好で宙に浮いた。
落とし穴はあくまで芸術作品だ。昔、痛ましい事件もあったと聞いているし、絶対に人を落としてはいけない。今回だって例外ではない。妻を傷つけるために作ったのではなく、妻にこの芸術性を理解してもらうために作ったんだ。
「わーっ、パパ、すごーい」
いつの間にか後ろで見ていた息子が、喜色満面で手をたたいている。やはり私の血を継いでるだけあって、この美しさが理解できるのだろう。今度、一緒に作ってやるのもいいかもしれない。
妻が鬼のような形相でいるのが気になるが、取りあえずプレゼントは渡せたし、上出来と言っていいだろう。