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都合のいい記憶

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。

                湖畔脇のホテル

 現在、この日本という島国で、一体何人の人間が失踪、いわゆる行方不明者としてカウントされているのだろう?
 日本の人口は一億二千万人ほどだというが、その中で失踪したとされる人は、何と八万人にも上っているという。しかもそれは失踪届が出された人だけに限ってのことであろうから、実際にはもっといるかも知れない。これは増加もしていなければ、減少もしていない。ほぼ横ばい状態だという。
 ということは、これが頭打ちで、限界に近い人数がそのまま減ることもなく続いているということである。
 何とも恐ろしい数ではないか。
 もちろん、その中には単なる家出もあれば、認知症の患者が徘徊するという例もある。そのほとんどがすぐに発見され、犯罪はおろか、行方不明者としてずっと残っているわけではないのだが、それでも若干名、原因不明として行方不明者に名を連ねる人は存在している。
 中には犯罪がらみの人もいるだろうが、それだけではないかも知れない。姿を隠さなければいけなくなる理由など、普通に生活をしていればあまり考えることではないので、その人の身になってみなければ、想像がつくわけもないだろう。
 そうやって考えると、毎年、数百から数千人が消息不明になってしまうのだから、世の中というのは、本当に怖いものだと思い知らされる。
「日本は治安がいいはずなのに」
 と言われるであろうが、なまじそうとも言い切れないのかも知れない。場所によっては、大人一人でも昼間であっても迷い込むのは危険だと言われている場所もあると言われているくらいである。そんな場所は大都市の裏路地に入れば、どこにでも存在しているのが現実であろう。
 そこには犯罪の巣窟と言われるようなところがあり、クスリだったり、銃だったり、賭博などの違法性のあるものが、公然と売買されているところだったりするのだろう。
「明と暗は紙一重」
 という人もいるが、こんな路地には入り込みたくはないものだ。
 何が起こるか分からない場所への侵入は、下手をすれば死を意味していたりもする。そんな場所に近寄らなければいいだけなのだが、迷い込んでしまう人はいるのだろう。その人たちがいずれ行方不明者として警察に届けられ、最終的に生きているのか、どうなったのか分からないまま、ファイルの中にしかその存在はない状態になってしまう。
 某怪しげな国家を思い起こさせる行方不明者、考えれば考えるほどロクな考えしか浮かんでこない。そうなると国家というものがどれほどあてにならないのか、身に染みて分かるというものだ。
 国家があてにならないのであれば、警察は?
 それこそ、あてにする方が間違っている。
「警察というところは、何か事が起こらなければ行動しない」
 というのが原則で、行方不明者にしても、ストーカー問題、いじめ問題にしても、結局は誰かが殺されたりするという実害がなければ動かない。
 せっかく、危機を予告してやっているのに、何かが起こらないと行動しないのは、実に本末転倒な話だ。
「何かがあってはもう遅い」
 という言葉を警察の誰もが知らないのだろうか。
 そもそも、警察なんぞを当てにする方が間違っていると言われるのがオチではないだろうか。
「では、一体何を信じればいいのか?」
 結論から言えば、
「自分の身は自分で守るしかない」
 ということであり、最後にモノを言うのは、
「君子危うきに近寄らず」
 という言葉であろう。
 それでも仕方なく立ち入らなければいけなくなってしまった場合、
「運命なんだ」
 として諦めるしかないのであろうか。
 世の中には誰にも知られていないことがたくさんある。そのことをこのお話が叙実に描き出していくわけだが、実際に行方不明になる人がどれほど多いのかということを、プロローグとして書いておくことは決して大げさな話ではないということを意味していた。
 さらに世の中には、秘境と呼ばれるところも結構たくさんあり、
「秘境の温泉」
 などと言って、世間ずれしていないようなのどかな場所もあったりするのだが、人間というのはとかくそういうところを好むもののようで、それだけ世間の世知辛さを絶えず感じているかということの証拠でもあろう。
 都会と呼ばれているところから、電車で一時間も行かないところではすでにまわりが田園風景だったり、砂浜が広がっているような海岸の風景だったりする場所も容易に探すことができる。しかし、近くに大手メーカーの工場などがあると、せっかくの光景も台無しになってしまったりする。秘境を探す時は、そのあたりも気にしておかなければいけないだろう。
 鄙びたという表現はよく使われる。元々、
「閑散とした田舎くさいのどかな風景」
 という意味であるが、まさしく閑散とした田舎臭いのどかな場所というと、
「何十年も前と変わっていない」
 という表現に当たるのではないだろうか。
 ただ、昔になればなるほど、田舎というのは閉鎖臭いところで、よそ者を受け入れないであったり、怖い伝説が残っている場所というイメージで、
「今の時代にそぐわない陰気で恐怖を煽る場所だ」
 とも言えるのではないだろうか。
 昔はそんな田舎の人が都会に憧れを持ち、中学を卒業すると、皆都会に出て行ってしまい、
「田舎というところは、老人と女子供しかいない」
 と言われるようになったものだ。
 そういう意味では、田舎がそんなにいいなどというのは、都会人が抱いている妄想であり、現実はそんなことはないということで、田舎の人が都会に憧れるのと反対に、田舎にも大いなる罠があるのかも知れない。
 本当なら、
「住めば都」
 という言葉が示すように、その人がそこに存在しているには意味があるという意識を持つことで、余計なよその土地に対する願望などを持たない方がいいと言っているようなものではないか。
 今の田舎というのは、外目には昔の家であっても、家の中は結構近代化されていて、オール電化などという家もあるのではないだろうか。昔からの家といえば、囲炉裏があって、それを囲むように、冬などは皆蓑のようなものを着て生活しているというイメージがあるが、それはきっとテレビアニメなどでやっていた、昔話の影響が大きいのかも知れない。いかにも絵本に書かれているような簡易なマンガが画面を動いているのだが、それも昔風であり、いかにも田舎臭さを表現しているのも、アニメならではと言えるのではないだろうか。
 本当の田舎の風景を知っている人は、もうほとんどいないかも知れない。ただ、高齢化社会になっているので、田舎に住んだことはなくとも、田舎に遊びに行き、その時のイメージが鮮明に残っている人は、思っているよりも多いカモ知れない。
「どっちなんだ?」
 と聞かれても、どちらともいえない。
作品名:都合のいい記憶 作家名:森本晃次