「小説を書くのが大好きですが、読むのも好きです」
そして、更に考えていった時、運気の悪いときに無理をしてあがいても
かえって良くないんじゃないかと思ったんですね。
それから、何もかもが上手くゆかないことを自分以外の人のせいにするのも
これも駄目だと気づきました。
誰かのせいで運気が下がったのではなく、「今はこういう時期だから」と思うしかない。
こういう時期というのは、運気グラフの波の底にいるということです。
なので、底でじっと大人しくしていれば、また自然に波の上の部分に来るはず、、、
そんなことを漠然と考えました。
あ、だからといって、底にいるときに何もしないで良いというわけではありません。
私は、そういうときこそ、今の自分にできるだけの精一杯のことはやらなきゃと
思っています。
何も手を打たないで静観するというのも一つの方法かもしれませんが、
私は性格的にそれは無理ですし、いやなので、そのときの自分にできることはやります。
やっぱり、「あの時、やっておけば良かった」と後悔はしたくないですよね。
でも、そこまで。
打つ手を打ったら、後はもう諦めてなりゆきに任せます。
人生には波があると気づいたときから、肩から少しだけですが力が抜けて
とても楽になりました。
繰り返しになりますが、たくさんの波にも種類があり、
結構なビッグウエーブー笑 もあったし、自分だけにしか判らないようなー他の人からすれば
「何で、あんなことが嬉しいの?」っていうような小さな波もありました。
でも、それもやっぱり人生なんだと思います。
今はビッグウエーブは一生に数えるほどどころか、一、二度しかなくても
ささやかな波がちょくちょく来てくれれば十分なんだと思っています。
そういうわけで、
ー今頃、何かツイてないな、、、
と思うときや、
ーちょっと何か調子が出なくなってきた。
と感じたときには、焦らず不安がらず、今の自分にできる手を尽くしたら
後はなりゆきに任せ、のんびりとしています。
もしかしたら、そういうときこそ、神様からの
ーゆっくり休みなさい。
というメッセージかもしれません。
その中、また小さくても波が来るだろうと楽観的に考えて、、、
ただ、私は占いの専門家というわけでもないので、これは個人的に考えたこと
にすぎませんので、あしからず、、、
☆「今も昔も」
つい最近、「陳情令」という華流ドラマを観終わった。原作小説は中国のBLとのことで、これがもう面白く、一瞬で虜になったという全世界中の女性たちと同様、ハマってしまった。視聴後の今も、ドラマの余韻からなかなか抜け出せず、これはいささか困ったものだと考えている有様である。
それにしても、ドラマ、小説というものがこれほどまでに人を感動、言うならば心を揺さぶる力を秘めているのを改めて知った次第である。
年のせいか、最近は自分がこれまで小説書きとして歩いてきた道を振り返ることが多くなった。先日、ふっと脳裡に浮かんだのは、今から二十二年前のとある光景だ。既にその時、私は二児の母となっており、長男を出産したばかりだった。
ある冬の夜、台所で母が調理している。長男はベビーベットですやすやと眠っており、私は台所で母と話していた。
当時、私は総合文芸同人誌「コスモス文学」に在会していた。コスモス文学についてはコチラに記しているので、ご参考願いたい。この同人誌では年に四回「コスモス文学新人賞」と年に一度、「コスモス文学賞」が応募作品から選出される。丁度、その時、私は「新人賞」の方に選出されたとの知らせを受けた直後だった。
当時、注目していたーというより憧れていた作家に銀色夏生さんがいる。もちろん、今でも現役でご活躍している。私は銀色さんの「つれづれノート」という写真とコラボさせたエッセイ集や詩集が好きだった。
その頃、「つれづれノート」も何冊めかが出ており、最新巻を買って読んでいた。銀色さんは再婚されて、第二子の男の子を出産したということを書かれていた。
プロとアマチュアの違いはあれども、同じ書き手という地平で考えるなら、雲泥の差があるものだーと、どこか空しい気持ちを抱えて「つれづれノート」を読んだ記憶がある。
もちろん、有名作家と無名アマチュア小説書きは比較の対象にはならない。ーならないが、そこは凡人だから、時々、有名作家と自分を比べてみて、
ー自分なんか。
と卑下したくなるのが人の心というものだろう。
あの時、私は銀色さんのエッセイについてや彼女が私と同じで第二子を出産したばかりであるというようなことを、とりとめなく話していたように思う。母はいつものように、何も言わずにただ黙って聞いていた。
ふと母が菜箸を持った手を止め、こんなことを言った。
ーあなたもコスモスで新人賞を頂いたでしょう。
その瞬間、ハッと何か視界を遮っていた霧が晴れたような気がした。
もちろん、これもアマチュア作家を対象とする同人誌の賞とプロ作家の活躍を同じ視点で考えてはいけないと言われればそこまでではあるが。
振り返ってみれば、母と話したあのときからでさえ、既に20年以上が経過している。そもそも何故、あの会話を思い出したのか。心当たりは十分すぎるほどあった。
十日前、私は参加していた小説サイトの一つを退会した。これまで10年余りを過ごしたサイトで、出会って別れた人や彼らとのたくさんの想い出が詰まった場所だ。もっとも、一度、事実上の「退会」(アカウントは残している)をした後、また別名で舞い戻り新しいアカウントで再出発しという経緯があり、今回、消したのは新しい方だ。「東めぐみ」のアカウントはたとえ活動無期限休止しても、消すつもりはない。
だとしても、私にとっては大変な決断であったといえる。何しろ星の数ほどのサイトで活動し、どこもアカウントは消さずに残しているのだ。私にとって、アカウントを消すという行為は、そこで活動していた書き手としての自分を自ら消すことなのだ。
それでも、もうこれ以上、そこで活動する意味よりも心の負担が大きい、つまりメリットよりデメリットが大きいと判断したからこその決断でもあった。
また、新しいアカウントは元々、長期活動するつもりはなく始めたものであり、いつか辞めようという想いが心のどこかにあったのも事実ではある。「ほんの一時」のつもりが予想外に長引き、気がつけば数年間、5作品も発表していた。やはり、なかなか退会するまでには迷いと葛藤があった。
「退会」はいとも容易い。ボタン一つ押せば、終了である。そこで活動した痕跡はすべて消える。もっとも、作品は残すこともできるので、私は作品だけは消さずに退会した。
作品名:「小説を書くのが大好きですが、読むのも好きです」 作家名:東 めぐみ