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 距離感、温度差でもあるのかもしれませんね。



 彼女は元々、子どもが生まれるまではキャリアウーマンでした。



 下の子が大学に入るのを機会に、再就職したのです。



 きっと久しぶりに触れる外の世界が眩しくて愉しくて、夢中になっていたのでしょう。



 その愉しい体験を私に話していただけだったと思います。



 当時、私は自分という人間がどんどん嫌になりました。



 彼女と比べて、つまらないだけでなく、「友達の活躍を素直に聞くこともできない心の狭い」女



 だと自分を責めました。



 色んな意味で、心に掛かる負担は重くなるばかりで、その間も連日のように新しい世界の



 体験談は届きました。



 連絡を取るのを止めると決めるまでにも、随分と時間がかかりました。



 ですが、このままだと自分自身をどんどん嫌いになってゆくような気もしました。



 最後には、とても残念だけど仕方ないと思いました。



 ーこれからも良いお友達でいさせて下さいね。



 最後のメールのラストには、こんなことが書かれていました。



 私はそれには触れず、「お元気でお過ごしくださいね」と打って送り返しました。



 大抵、私から返すとまた返事が来るのですが、そのときはなしのつぶてでした。



 もしかしたら、向こうも薄々は私の気持ちに気づいていたのかもしれません。



 そうして、三年に及ぶおつきあいは終わりました。



 それから後も、時々、



 ー本当にあれで良かったのか?



 としばらくは後悔にも似た気持ちになるときもありました。



 しかし、あれ以上、無理をしていたら、きっと二人の間には深い亀裂が入ったと思います。



 今、思い出すのは愉しかった想い出ばかりです。



 だから、後悔もします。でも、それで良いんだと思います。



 思い出した時、「後悔」するくらいの方が。



 惜しかったな、まだ続けられたのかなと未練を持つくらいの方が終わり方としてはベストです。



 お互いに思い出すのも嫌だーなんてことになる前に、引き返せて良かった。



 恐らく、相手の人も私を思い出すときは、そこまで「嫌な奴」として記憶に残っていないのでは



 とーこれは極めて勝手な独断ですが、そう思っています。



 なので、昨夜、彼女が夢に出てきたときは愕きました。



 闊達で朗らかな彼女のことですから、またあれから私の知らない新しい道へと



 歩みを進めているかもしれませんね。



 どうか元気で活躍されていることを祈ります。



 今も「後悔」は時々するんだけど、でも結局、あれで良かったんだと私は思っています。



 私は私で自分の信じている道を真摯に進めば良いのだとー。

☆「【運気が下がったと感じたときこそ】ー焦らず不安がらず、今の自分にできる手を尽くしチャンスを待つ」

皆様、こんにちは。



 楽しみにしていた週末もあっという間に過ぎますね。



 さて、お題の「好きな番組が終わった」ですが、、、



 私、これまでもお話ししているようにテレビは基本、見ない人間で、



 更に日本のドラマは殆ど観ないんです。



 見るのは韓国時代劇オンリー、、、笑



 なので、韓国ドラマに関してしか話題がないんですがー汗



 やはり、楽しみに視聴しているドラマを最後まで観終わると、凄く淋しいですね。



 韓国ではドラマに夢中になるあまり、「○○廃人」という言葉があるようですが、



 まさに一つのドラマが終わると、「○○廃人」になってしまいそうですー笑



 で、ここから話が変わります。



 10月初めにもお話ししましたように、今月でまた一つ年を取ります。



 この年齢になると、誕生日を迎えるのも複雑な心境ではあるのですが、



 やはり無事に1年過ごして、新しい年を迎えられるということは幸せだし、



 感謝するべきことだと思うので、嬉しいです。



 この年になると、色々なことを考えます。



 今まで自分が歩いてきた道、これから自分が歩いてゆく道。



 そして、気がついたことが一つあります。



 それは、「人生には波がある」ということ。



 何だよ、そんなのは当たり前じゃないかと思われるかもしれません。



 でも、私はある時期まで、そのことに気づけていませんでした。



 人生を一本の線に例えるとします。



 すると、これも当たり前だけど、平坦な一本線ではないんですね。



 波線グラフのように、上がり下がりを繰り返して今に至ります。



 それが私の言う「人生の波」です。



 もちろん、波にも大小があります。



 大きな波もあれば、小さな波もある。



 でも、結局は、大小のそんな幾つもの波の連続が人生というわけです。



 占い風に言えば、波が大きいときは運気が上がっているときだし、



 逆に波が下に来ているときは、運気の下がっているときといえるかもしれません。



 誰にでも「好調」なときと「不調」なときがあります。



 私は平凡な人生で、良くも悪くも普通の人生を歩いてきました。



 そんな私でも、振り返ってみると、平凡なりに幾つもの波を経験したことに気づきます。



 ですが、ある時期まで波があることに気づかなかったと言いましたように、



 自分ではそれを単なるラッキーかアンラッキーかという程度にしか認識していませんでした。



 ー最近、どうも調子が出ないなぁ。



 ツイていないことが続くと、気持ちがどんよりと落ち込み、大袈裟に言えば荒んだ気持ち



 になります。



 裏腹に



 ー最近、何かノッてる気がする。何で?



 と運気向上ではありませんが、良いことが続くようになると、浮き浮きと心が弾んで



 自然と明るい気持ちになりました。



 恐らく、それは誰しも同じかもしれません。



 ただ、運気の良いときはそれで良いのですが、悪いときは結構悲惨でした。



 どんどん気持ちが落ち込む一方で、時に自棄みたいになったり、誰かのせいにしようと



 してみたり、、、



 でも、あるとき、ふっと思いました。



 ー考えてみれば、ツイてるときとツイてないときって、割とはっきりしてるよなぁ。



 その時、人生には「波」があるんじゃないかと考えるようになりました。



 普段からゲッターズ飯田さんや叶姉妹さんのブログをよく読んでいるので、



 そういうのも影響を知らず受けていたのかもしれません。



 とにかく、平凡な毎日の連続の中でも、やはり良いときと悪いときがあり、



 それが「運気グラフの波」ではないかと考えるようになったのです。